レイソルを率いてJを制覇したネルシーニョ氏について。 レイソルの鮮やかな勝利については、別途講釈を垂れようと思う。ただし、レイソルの優勝を称える報道があふれる中、不思議だったのは、ネルシーニョ氏の16年前の悲劇について言及するマスコミが、あまり見つけられなかった事だ。そう昔の事ではないのだが。 ハンス・オフト氏が率い92年のアジアカップを初制覇した日本は、USAワールドカップまであと一歩にせまりながら、93年秋に「ドーハの悲劇」に散った。 そして、94年日本協会は、かつてのブラジルのスーパースタアだったファルカン氏を監督に招聘した。氏は独特の選考眼で、意表をつく選手をチームに加えながらチームを作った。しかし、同年のアジア大会の準々決勝で韓国に苦杯。就任1年足らずで更迭される。もう少し様子を見てもよいのではないかと言う意見も多かったが、当時の川淵強化委員長はそう決断した(後年、氏が協会会長に