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文学と批評に関するLouisのブックマーク (3)

  • あなたに文学が何だか決める権利はない――福嶋亮大「文壇の末期的状況を批判する」批判 - wezzy|ウェジー

    文学をどんどん不自由に 悲しいことに、こうした「文学は〇〇だ」「文学は××でない」といったような、文学を不自由にする主張は、現代日において幅広く見られます。 たとえば、2015年に大阪芸術大学の文芸誌『藝大我楽多文庫』が「ライトノベルは文学か」という鼎談を発行しました。近世演劇の研究者としては、大部分が文字で書いてあるものに関してこんな問いはおかしい、むしろ文字以外の要素が多い演劇よりもラノベのほうが文学らしいのでは……と思えますが、この鼎談は無意識に近代小説のみを「文学」と考えています。 「作品からその作家像を思い描けるのも『文学』の面白さのひとつです」(p. 20)などという指摘が出てきますが、先に登場した叙事詩や、地の文がなくてそれぞれの登場人物に全く異なる行動をとらせることができる演劇などは、多くの場合「作品からその作家像を思い描」くことができません。私が研究しているシェイクスピ

    あなたに文学が何だか決める権利はない――福嶋亮大「文壇の末期的状況を批判する」批判 - wezzy|ウェジー
    Louis
    Louis 2021/05/09
    「「『同性』愛が文学に場所を見つけられるとすればこの方向しかない」と結論しています。こんな指摘は文学にとって余計なお世話だと思います」『LGBT批判序説』の伊藤氏貴准教授、高校生直木賞を企画した人なのか…
  • ばななと日本人 - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    よしもとばななが、web上で叩かれている。居酒屋での店員の対応について書いたエッセイが発端のようだ。 「よしもとばななさんの「ある居酒屋での不快なできごと」」 http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=20090808 よしもとさんは、自分たちのように社会的人脈が豊富な客に対しても、頑なに接客マニュアルを固持し、特別サービスをしてくれない居酒屋店長を批判する。よしもとさんによれば、この店長は接客マニュアルに従うことに専心するばかりに、相手の権威的な立場を計算に入れずに対応する。こうした相手の立場に応じて損得を計算するような、その場その場の対応がないがために、結果的にマニュアルに縛られた居酒屋店長は利益を逸しているというのだ。 よしもとさんが批判しているのは、店長個人ではなく、こうしたマニュアル通りの対応をさせているチェーン居酒屋のシス

    ばななと日本人 - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)
    Louis
    Louis 2009/08/20
    父親に続いて娘も時代遅れになったこと、そしてそれに自覚してない不幸、ってことかなー。/こういう見方を「批評」というんだよな、と再確認。ただの悪口を「批評」という人は見習ってほしい。
  • ノーベル文学賞の日 - 内田樹の研究室

    今日はいよいよノーベル文学賞の発表である。 村上春樹氏ははたして今年ノーベル文学賞を受賞するであろうか。 物理学賞、化学賞と立て続けに日人受賞者が輩出しているので、今年は「日イヤー」になるかも知れない。 というわけで、新聞社から「村上春樹ノーベル文学賞受賞のコメント」の予定稿を求められる。 今回は S 新聞、K 新聞、Y 新聞の3紙から求められた。 S 新聞には過去2回書いているので「三度目の正直」。 私のような門外漢に依頼がくるのは、批評家たちの多くがこの件についてのコメントをいやがるからである。 加藤典洋さんのように、これまで村上文学の世界性について長期的に考えてきた批評家以外は、村上春樹を組織的に無視してきたことの説明が立たないから、書きようがないのである。 だが、説明がつかないから黙っているというのでは批評家の筋目が通るまい。 批評家というのは「説明できないこと」にひきつけられ

    Louis
    Louis 2008/10/10
    批評を批評されるのを嫌う批評家が多いからなぁ…/ラノベ批評家でありラノベ作家でもある本田透氏も批評家は作家の半歩後ろを歩く、とおっしゃってたっけ。批評家の考えうることの殆どは作家が既に考えたこと。
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