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沖縄と戦争に関するLouisのブックマーク (6)

  • 命の恩人を日本軍に殺され 米軍上陸時、接した住民をスパイ視 久米島<あの日 生かされて>1(前編) - 琉球新報デジタル

    山を下りた後の恐怖を語る内間好子さん=8日、久米島町 「米軍上陸!」。当時15歳の内間好子さん(92)=久米島町=は知らせを聞き、幼いきょうだいをおぶって必死に逃げた。うっそうと木が生い茂る山の奥へ―。日軍と米軍の交戦の音が聞こえた。「大変だよー! アメリカーがちょーんどー!(来たぞ)」。集落の人が叫んだ。ガクガクと体が震えた。その時、大きな声がした。「アメリカーは何もしないから心配しないでよー!」。仲村渠明勇(めいゆう)さん(当時25歳)の呼び掛けだった。 1945年6月26日、久米島の日海軍通信隊(鹿山隊)30人余りに対し、米軍は約1千人で上陸した。米軍の捕虜になっていた島出身の仲村渠さんは米軍を先導。山に避難した住民に家に帰るよう説得して回った。仲村渠さんは山の奥の「ウチゲンナー」と呼ばれた場所で、親戚だった内間さんの母親に気付いて笑顔で近づいた。「おばさん、元気だったね?」「安

    命の恩人を日本軍に殺され 米軍上陸時、接した住民をスパイ視 久米島<あの日 生かされて>1(前編) - 琉球新報デジタル
    Louis
    Louis 2022/08/25
    本島で米軍の捕虜になった後で島民を救おうとした仲村渠明勇さん
  • 語り継ぐ沖縄戦2011 (2) 久米島住民虐殺ひも解く証言

    語り継ぐ沖縄戦2011、2回目のきょうは、久米島での戦争を考えます。 久米島では6月23日以降に住民を虐殺する事件が相次いで起こりました。当時を知る人が減る中で、今だから語れる証言を基にこの住民虐殺が起こった背景を考えます。 島では、6月23日以降も戦争は続きました。 盛元さん「首に紐をくくって道は、こっちから海岸のところへ引っ張っていて見せしめの為に引っ張っていったという風に言われています」 アメリカのスパイだとして住民を虐殺する日軍。ずっと沈黙を守っていた島の人たちが、去年ようやく当時のことを語り始めました。 喜友村さん・譜久里さん・喜久永さん「(敗戦を知らない友軍は)アメリカにひいきする奴はやるよ(殺すよ)という状態だったですからね。日は、勝つとしか考えないから。疑心暗鬼でですね。人を信用できなくなるわけですよ」 当時、久米島で指揮をとっていた鹿山隊長は、住民たちに命令文を出し監

    語り継ぐ沖縄戦2011 (2) 久米島住民虐殺ひも解く証言
  • 「仲間の恥をさらすな」元陸軍伍長が語り続けた加害体験:朝日新聞デジタル

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    「仲間の恥をさらすな」元陸軍伍長が語り続けた加害体験:朝日新聞デジタル
    Louis
    Louis 2021/08/08
    「近藤一さんは、自ら手を下した戦争の「加害」体験をも後悔とともに語る、ごく少ない元兵士だった」
  • 「震える少女」は私 米軍撮影の沖縄戦記録映像 81歳の女性が名乗り 「初めて見る米兵怖かった」 - 琉球新報デジタル

    米兵を前に身を震わせる少女―。米軍が撮影した沖縄戦の記録映像に収められ、沖縄戦を取り上げた映像作品でもたびたび映し出される少女について、浦崎(旧姓・賀数)末子さん(81)=那覇市小禄=が22日までに「これは私だ」と名乗り出た。当時、高嶺村大里(現在の糸満市大里)にいたという浦崎さんは紙の取材に「初めて見るアメリカーの青い目が怖かった」と証言。終戦以来74年ぶりに米兵と遭遇した場所を訪れ、家族4人を失った過酷な戦争体験を振り返った。 米軍撮影の「震える少女」について「自分だ」と名乗り出た浦崎末子さん NPO法人「沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会」で当時、編集にかかわった元琉球大学非常勤講師の山内榮さんは「映像は沖縄戦の末期に豊見城市以南で撮影されたものとみられる。証言の内容からも撮影された人である可能性は非常に高い」と指摘した。 浦崎さんの証言によると、撮影されたのは1945年6月下

    「震える少女」は私 米軍撮影の沖縄戦記録映像 81歳の女性が名乗り 「初めて見る米兵怖かった」 - 琉球新報デジタル
  • 「戦争終わったよ」投降を呼び掛けた命の恩人は日本兵に殺された 沖縄・久米島での住民虐殺 - 琉球新報デジタル

    沖縄戦での久米島で、米軍から逃れて自死しようとして住民の呼び掛けで一命を取り留めた渡嘉敷一郎さん=19日、東京都練馬区の自宅 【東京】沖縄戦で島における日軍の組織的戦闘の終了後、久米島に配備されていた日軍にスパイ容疑で虐殺された仲村渠明勇さんに命を救われた少年がいた。現在、東京都練馬区で暮らす渡嘉敷一郎さん(80)だ。渡嘉敷さんは久米島に上陸した米軍に捕らわれるのを恐れて池に飛び込んで命を絶とうとしたところ、仲村渠さんの呼び掛けで思いとどまった。同じ久米島出身の政子さん(80)が住民虐殺の歴史を語り継ぐ活動を続けており、一郎さんも参加して語り始めた。紙に体験を語るのは初めてで「一番怖かったのは日兵だった」と振り返る。 沖縄島で捕らわれた仲村渠さんは1945年6月26日、米軍と共に久米島に上陸し、住民に投降を呼び掛けていた。日のポツダム宣言受諾後の8月18日、島にいた日軍の

    「戦争終わったよ」投降を呼び掛けた命の恩人は日本兵に殺された 沖縄・久米島での住民虐殺 - 琉球新報デジタル
    Louis
    Louis 2019/06/24
    「投降を説得するのが役割だった。明勇さんに命を助けられた。島の人にとっては恩人。それを、逃げるところを後ろから日本刀で切って殺されたと聞いた」
  • うらそえプラス

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