来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
良識というのはあった方がいいものだけれど、ありすぎると、なんとなくうっとうしくなる。世の中の「過度に良識ある大人 の方々には、ちょっと違和感を覚えるところがある。 例えば、「電車内での化粧」に対する反応である。「我こそは良識の固まり」と思っているような方々は、あれを目の敵にする。 彼らは口を極めて電車内での化粧を罵倒する。「みっともない」と罵倒しながら、心の中ではほとんど「悪いこと」と思っているのである。「典型的悪」と「典型的みっともない」の間には、かなりのグレーゾーンがあると思うのだが、彼らにとっては、ほとんどの「みっともない」は「悪」の一部と位置づけられるようなのだ。 電車内での化粧が「悪」であるなら、化粧をしないことが「善」であるかといえば、そういうわけじゃない。それは単に「フツーのこと」である。良識派としては「善」を為したいと思う限り、単に「フツー」のままではいられない。 「フツー
たまに人から、作品への意見を求められることがあります。 マンガ家志望であったり、趣味のマンガ執筆であったり、いろいろですが 若いころは私もホイホイと身の程をわきまえず意見を言ったものでした。おせっかいもしました。 でも半世紀近く生きてきて、しみじみ思うのは、私はそういうアドバイザーには不向きだということです。 原則私はプロとしての立場からシビアな意見しか言えないところがありまして、当たり障りのない、相手の自尊心を満足させていい気分にさせられる意見が不得意でもあります。 無論、日常の一コマとして、素人の方のイラストなどを拝見して、ああ、この絵のここんとこはすてきだなあ!とか思えば、そのとおり誉めます。それは正直な私の感想です。 でも、これを作品(人様に鑑賞していただく作品)としてどう思うかと居住まいを正して問われれば、こちらもマジでガチな感想を言わざるを得なくなる。 そのとき、それに耐えられ
前から欲しかったチェーンソーを買った。東芝製で軽くて安い。カインズでは5900円で売っている。地元の人は数万円もする専門メーカーのものを使っているが都会の貧乏ド素人にはこれで充分。取扱説明書を読むと「常識を働かすこと」と注意書きが書いてある。なんだと思ったが、これが大切だとわかった。 チェーンソーは危険な道具で、「キックバック」といってチェーンソーが自分の体に向かって跳ね返る現象もあり、十分注意して使う必要がある。注意書きにはチェーンの延長線上に自分の体を位置させないこととか、安全眼鏡と手袋をはめることとかいろいろ書いてあるが、「常識を働かせること」と書いてあったのには笑った。でも、これが一番大切なことだったのです。 チェーンオイルを入れて丸太を剪りまくって大満足。実に簡単。終わって油と木屑でベトベトになっているチェーン部分を脱いだ軍手で拭いていたらいきなりモーターがかかって軍手が巻き込ま
「私が看護婦なのではなく、私の仕事が看護婦なのだ」 『そして私は一人になった』(山本文緒著・角川文庫)より。 (山本さんの1996年10月19日の「日記」の一部です) 【世の中の作家の中には、日々全部が小説的な全身小説家の人もいるけれど、私はどうもそういうタイプではないようだ。 以前、看護婦さんのインタビュー記事を読んでいたら「私が看護婦なのではなく、私の仕事が看護婦なのだ」という台詞に行き当たって、ああ、私のスタンスはそれに似ているなと思った。 私は小説を書いてお金を稼いでいるのだから便宜上作家と呼ばれるけれど、本当は私自身がまるごと作家なのではなくて、私の職業が小説を書くということなのだ。 でも、オフの日の看護婦さんも、目の前に病人がいたら知らん顔はできないように、私も日常に起こる些細なことを小説を書く糧にしている。そうして何をしていても頭のどこかで小説のことを考えてはいるのだけれど、
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