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日本と東北地方太平洋沖地震に関するisrcのブックマーク (17)

  • やなせたかし氏 日本人の正義とは困った人にパン差し出すこと (NEWS ポストセブン) - Yahoo!ニュース

    コラムニストの石原壮一郎氏は、震災直後、事務所で付けっぱなしにしていたラジオから『アンパンマンのマーチ』が流れてきたのを聞き、思わず落涙した。そして自分がレギュラーを務めているラジオ番組の企画で「被災者を元気づける曲」として、この曲を躊躇わずイチ押ししたという。なぜそれほどまでに心を揺さぶられたのか。 「震災で被災地の悲惨な状況を見て心を痛めたり、原発事故で不安を感じたり、モヤモヤとした複雑な感情が入り交じっていたと思うんです。その中でこの歌が、たとえいろいろなことがあっても人は生きて行かなくてはならないんだということを教えてくれました。漠然とした生きる事への不安に対して、それでも生きていけと励ましてくれたのです」 人々を勇気づけるこの歌はどのように誕生したのか、どのような想いが込められているのか。自ら作詞を手がけた「アンパンマン」作者で今年92歳、漫画界の大御所やなせたかし氏に、ノン

    isrc
    isrc 2011/05/05
    正義って相手を倒すことじゃないんですよ。普通の人が行うものなんです。怪獣を倒すスーパーヒーローではなく、怪獣との闘いで壊された街を復元しようと立ちあがる普通の人々がヒーローであり、正義なのです。
  • www.さとなお.com(さなメモ): 独立後の初仕事

    3月一杯で電通を辞めてフリーエージェントになったが、辞める前からずっと「助けあいジャパン」というプロジェクトをやっており、まったく「区切り感」がない。そのうえ無給・無休のボランティアである。 こんな無報酬のことばかりやっていると当然干上がるので、そろそろ営利活動を始めないといけないが、まだ「助けあい」で精一杯。折しも震災後の不況で仕事もあまり動いておらず、まぁ講演や講義は着々と入ってきているものの、こんな状態が続くのは実によろしくない。そろそろい扶持くらい稼ぎださなければ。 とかいいつつ、実は独立初月の4月はひとつ仕事をやった。 そう、少しだけど収入があった。ママン、パピー、初収入だよ! 初収入って、うれしいね! やったのは海外への新聞広告。 4月11日に菅直人首相の記名で出した、世界主要紙に対する震災支援感謝&原発お詫び広告である。 実際には制作というよりECD(エグゼクティブ・クリエ

    isrc
    isrc 2011/05/04
    国もずいぶん変わってきている。風穴があいてきている。すごく強いルートがあるわけでもないひとりのクリエイティブ・ディレクターの意見でもちゃんと聴いてくれる。ボクにぶぅたれてくる方々も、ぜひご自分で。
  • 晴れ - finalventの日記

    新緑が眩しい。沖縄のうりずんを思い出す。暮らして二、三年後だったか沖縄にも四季はあるものだと思うよになり、うりずんの感覚を得たものだった。とはいえ、もう清明も終わっている。 昨日の朝日新聞社説のところでCBIRFについて書き、補足もしたが、彼らが日を去る。ということは2号炉の崩壊はないと見てよいのだろう。すでにヨード剤の配布も終わっている。事態は膠着とはいえ巨大な危機は脱しつつある。そう思うと奇妙な脱力感もあり、新しい日常が始まるのだろうと思う。 戦争も、まあ日中15年戦争という言い方もあるが、いわゆる非常時たるは1年くらいだったのではないか。もちろん、地域によっても違うが。そして非常時は戦後のであったかもしれない。特異な生活空間の持つ、魔力というのとも違うが、歴史的な非日常性というものを考えさせられた一か月余であった。

    晴れ - finalventの日記
    isrc
    isrc 2011/04/21
    戦争もいわゆる非常時たるは1年くらいだったのではないか。そして非常時は戦後であったかもしれない。特異な生活空間の持つ、魔力というのとも違うが、歴史的な非日常性というものを考えさせられた一か月余であった
  • 【正論】慶応大学教授・竹中平蔵 誤った議論の代表は「復興税」だ - MSN産経ニュース

    被災された方々やそれを支える人々の頑張りには、心打たれる。その一方、肝心の政府の対応が鈍い。関東大震災時、翌日に復興院の設立が発表されたのに、1カ月たっても第一次補正予算の姿さえ見えないのはどうしたことか。 ≪「複合連鎖危機」と認識せよ≫ 復興の議論を進めるに当たり、まず危機の質について認識を共有することが重要だ。今回は地震・津波にとどまらず、原発事故、エネルギー不足、サプライチェーン崩壊、農産物安全性の危機など複合的な問題が連鎖的に起きている。「複合連鎖危機」であり、対応を怠ると、日という国への信認全般が揺らぎかねない。「バリュー・オブ・ジャパン」(日の価値)の危機、といってもよい。逆に、これを機に、日の課題を包括的に解決して、21世紀型の新しい日を作ることもできる。 それには、復旧、復興、その後の改革を一体化し、迅速かつ切れ間なく行う必要がある。東北の農業を単に復元するのでは

  • 東日本大震災を受けて:クロサカタツヤの情報通信インサイト

    震災について、いま何を考えているのかを書き留めておこうとしたのだが、何から書き出せばいいのか逡巡したまま、1ヶ月以上が経った。いまでも正直分からないままではあるが、それでも書き留めておかなければと思い、手を動かしてみることにする。 ●まだ完全には前を向けない 地震国に暮らす者としては、来るべきものが来たとしか言い様がないのは、頭では分かっている。しかしいざ「その日」が来てしまうと、なぜこんなことになってしまったのだろうと、率直に思ってしまう。つい1ヶ月余り前までそこにあった、豊かで平穏な日常は、もう誰の手にも二度と戻ってこない。この現実を、私自身が、まだ受け入れられずにいる。 東京圏に暮らす私でさえもそう思うのだから、被災地でご家族や知人、あるいは家や仕事を失った方々の絶望たるや、いかばかりだろうか。帰ってこない母親をサンタクロースに願う幼い娘さん。自慢の息子を失って遺された孫と共に立ちつ

    東日本大震災を受けて:クロサカタツヤの情報通信インサイト
    isrc
    isrc 2011/04/15
    政府ではなく私たち一人ひとりが、自らのコミュニティに責任を持ち、小さなガバナンスの下に日常生活はコミュニティが自律的に担い、一方で政府には政府にしかできない仕事(外交、防衛、国家財政等)を担ってもらう
  • 日本は変わらないとやっていけなくなる

    大震災が日に与える影響ははかりしれないものがあり、どうなっていくのかという先行きへの不安が高まってきています。しかし問われているのは、日がどうなるかではなく、これからどうするかであることは言うまでもありません。 バブルの崩壊によって不動産は価格が上がり続けるという「土地神話」は崩れ、その後の経済の長い停滞は、経済は伸び続けるという「成長神話」もそれが幻想にすぎないことを見せつけてきました。それでも日はやってこれたのです。 膨大な財政赤字があっても、日はただちに経済が破綻することはなかったし、多くの企業も成長性を失ってもなんとかやってこれ、危機感がなかったわけではないにしても、それが政治や経済の変革や企業変革の格的な流れを生み出すまでにはいたらなかったというのが現実でした。 しかし今回の震災は、そんなゆとりをも吹き飛ばすことになりました。被災地だけでなく、日の経済をどう立て直すか

    日本は変わらないとやっていけなくなる
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    isrc 2011/04/11
    消費者の目線がさらに厳しくなり、これまでは本質的でない付加価値で膨らんできた消費は減少し、ほんとうに欲しいものにしか出費しないという傾向がくる
  • 【海外発情報の受け止め方】ハーバード大学教授サマーズ元財務長官は「日本が貧しい国になる」などとは言ってませんでした。

    日向清人(ひなたきよと) @hinatakiyoto サマーズ元米財務長官が「日は貧しい国になるでしょう」と講演で断言した旨報じられているが、http://j.mp/hcbdJj 地震の当日、復興事業で一時的にGDPが伸びるだろうと言っていた人ですからhttp://j.mp/gUEyUv、どうも信用できません。この報道。 2011-04-01 08:54:17 日向清人(ひなたきよと) @hinatakiyoto [1/2] サマーズ元財務長官は日が貧しい国になるなどとは言ってませんでした。http://t.co/NKbe7Y8 何を言ったかと言えば、「18世紀のフランスの経済学者たちが指摘したとおり、ものを破壊して再建したところで国が豊かになるはずものなく、 2011-04-01 09:16:25 日向清人(ひなたきよと) @hinatakiyoto [2/2] その意味で今回の震災

    【海外発情報の受け止め方】ハーバード大学教授サマーズ元財務長官は「日本が貧しい国になる」などとは言ってませんでした。
    isrc
    isrc 2011/04/06
    実際には「まことに残念ながら」なんて言っていないし、静まりかえったのはにわけに呑み込めず「えっ、どういうこと?」と思ったからです。
  • ポスト3・11の時代 : 池田信夫 blog

    2011年04月02日13:27 カテゴリ経済 ポスト3・11の時代 もしフリの劇画版の入った日経BPムックができた。冒頭の齊籐誠氏と池上彰氏の対談は、震災後に急いで行なわれたものだが、質的な問題を論じていると思う。 日経済は、これまで生産能力が余って需要が足りないといわれ、経済政策もGDPギャップを埋めることが目的だった。しかし今回の震災で起こった計画停電は、あと数年は続く。それは日が供給制約の時代に入ったことを象徴している。労働人口はすでに減りはじめ、貯蓄率も遠からずマイナスになるだろう。0.5%まで下がった潜在成長率は、エネルギー制約などでほとんどゼロになるだろう。それを上げない限り、いくら需要を喚起しても成長できない。 だから必要なのは昔の資設備を「復旧」することではなく、東北の都市計画をやり直す「復興」である。政府の役割は、かつてのようにあり余る生産能力への需要を作り出

    ポスト3・11の時代 : 池田信夫 blog
    isrc
    isrc 2011/04/02
    成長から衰退の局面に入る日本が「第二の敗戦」からやり直すためには、今までより貧しくなる覚悟と多くのつらい選択が必要
  • ネット元年の出来事を思い出し「明日」の話をしよう

    まずは昔話を書く。1995年、阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件が発生した。当時の日は1991年から続く不況、いわゆる「失われた10年」の真っ最中で、追い討ちをかけるような大災害と大事件は、私たちに「豊かな日、安全な日」が崩れ去るかのような衝撃を与えた。しかしこの年、IT分野では新たな希望が生まれていた。インターネット上での「ジャパニーズ・ドリーム」である。 1995年は、日でもインターネットが爆発的に普及し始めた年だ。そして、インターネットを活用したEC(電子商取引)などのネットビジネスの可能性が喧伝されてもいた。そんな中で、最初にECにチャレンジしたのは、震災の直撃を受けた関西の小企業、個人商店であった。彼らは短期間に成功を収め、中小企業や個人だけでなく大企業までが、その事例に学ぼうとした。 また、多くの若者が起業に踏み切った。彼らは「震災などに直面し、価値観が変わった」と話し

    ネット元年の出来事を思い出し「明日」の話をしよう
    isrc
    isrc 2011/03/29
    1995年、最初にECにチャレンジしたのは、震災の直撃を受けた関西の小企業、個人商店であった。また、多くの若者が起業に踏み切った。彼らは「震災などに直面し、価値観が変わった」と話していた。
  • Opinion & Reviews - Wall Street Journal

    News Corp is a network of leading companies in the worlds of diversified media, news, education, and information services

  • 溜池通信 vol.465 pdf

    isrc
    isrc 2011/03/27
    あるのはただ、大した変化は期待できない中、前進を続けよう、できれば明るく――という荒っぽい決意だけだ。何より日本に対して楽観的になれる最大の理由は、この辛い20 年を支えてきた社会資本の貯えがあることだ。
  • 【萬物相】日本の底力 | Chosun Online | 朝鮮日報

    【萬物相】日の底力 東日巨大地震 アップルのiPhone(アイフォーン)はメード・イン・チャイナ、つまり中国製だ。台湾企業のフォックスコンが中国広東省の深セン工場で製造している。iPhone1台の製造原価は179ドル(約1万4492円)ほどだ。しかしその中でフォックスコンの懐に入るのはわずか6.5ドル(約526円)。原価の多くは部品などを供給する日ドイツ韓国、米国などの企業に流れる。中でも日企業の取り分は60ドル(約4858円)で、iPhoneが売れればそれだけ日企業の取り分も多くなる。 1990年代まで米国の有名デパートでの家電製品売り場は日製品ばかりだった。しかし2000年代に入ると韓国製、中国製、台湾製などが増え、状況は変わったかのように見えた。サムスン電子の営業利益は、ソニーやパナソニックなど日の大手メーカー9社の営業利益を合計したものを上回っている。IT(情報技

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    isrc 2011/03/24
    日本は文字通り「世界の部品・素材工場」であるため、日本が災害から一日も早く復旧することが、今後の世界経済の動向にとって大きなカギとなる
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 東日本大震災のこと。

    これまで以上に、よくなるよ、日。(3月21日) ・闇を数えるのではなく、光の射す方向を向く。 何度もくりかえし言ってきました。 そういうふうにしている人が、たくさん見つかります。 とても心強いです。 ずいぶんきつい場所にいながら、 あるかぎりの笑顔を見せてくれる人もいます。 ぼくらのほうが、ありがとうと言いたい気持ちです。 知っています。 まだできてないことが、たくさんあることも。 掌を合わせて祈るしかできないことがあることも。 たとえようもない悲しさは、 少しずつ増えていくよろこびと、 隣り合わせにあったりもするので、 ことばにできることは少なくなります。 しかし、ものごとはやはり明るいほうに向って、 力強く進んでいることはたしかです。 通れる道が増えていきます。 そこに通うクルマが、人や荷物を運んでいきます。 線路の点検ができてきたら鉄道も息を吹きかえします。 瓦礫が片づけられていく

    isrc
    isrc 2011/03/23
    まだ早い、まだ言うのは早いと思っていたのですが、先走って口からもらしてしまいます。<これまで以上に、よくなるよ、日本。>ああ、言っちゃった。
  • 私の“成田難民”体験記:日経ビジネスオンライン

    3月11日午後2時46分。今回の大震災が発生した時、私は成田空港にいた。1週間の日出張からシリコンバレーに戻るためである。震災の影響ですべてのフライトがキャンセルとなり、私は空港内で夜を明かす「成田難民」の1人となった。 夕方午後5時発のサンフランシスコ行き全日空輸便に乗るため、リムジンバスで空港に到着したのは午後2時過ぎ。ホテルをチェックアウトした後、都内でウロウロするよりは、早めに空港に着いて荷物を預け、のんびりした方がいいと考えて、早めにバスに乗った。そうしていなければ、バスに乗っている途中で地震に襲われていただろう。 第一ターミナルでチェックインを終えて、銀行でお金を両替していた時に最初の大きな揺れが襲ってきた。立っていられず、カウンターにつかまり、しゃがんで揺れが収まるのを待った。 揺れが止まった後、人々が走って避難していく様子が見える。銀行員さんたちは、「空港は地震には強い

    私の“成田難民”体験記:日経ビジネスオンライン
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    isrc 2011/03/22
    通信事業者はインフラ再建と接続維持に努力し、ネット業界は「今まであり得なかった、役立つ情報サービス」を次々と生み出している。NTTだけが責任を担っていたころよりも多くの日本人の知恵を集めて生かす場が増えた
  • 震撼する国ニッポン  JBpress(日本ビジネスプレス)

    3月11日に東北沿岸部を襲った巨大地震と津波、それに続く福島原発事故が日を震撼させている(写真は、宮城県気仙沼市で、瓦礫の中で作業にあたる自衛隊員)〔AFPBB News〕 これは、予想されていた「大地震」でさえなかった。世界最大の大都市である東京は長年、巨大地震に身構えてきた。だが、そのマグニチュードの事象が起きた時、震源地となったのは、東京より人口の少ない東北地方沿岸部の沖合いだった。 今では世界が嫌というほど分かっているように、それは始まりに過ぎなかった。地震に続いて起きたこと(破壊的な9メートルの津波と、近くの原子力発電所で起きかけたメルトダウン)は、日を芯まで震撼させた。 声も出ない恐怖の中で、人々は人的被害の大きさ(死者は1万人を超え、50万人が避難民となる可能性が高い)が次第に明らかになるのを見つめてきた。菅直人首相は、地震、津波、原発事故という3重の惨事を、日の戦後最

  • BLOGOS サービス終了のお知らせ

    平素は株式会社ライブドアのサービスを ご利用いただきありがとうございます。 提言型ニュースサイト「BLOGOS」は、 2022年5月31日をもちまして、 サービスの提供を終了いたしました。 一部のオリジナル記事につきましては、 livedoorニュース内の 「BLOGOSの記事一覧」からご覧いただけます。 長らくご利用いただき、ありがとうございました。 サービス終了に関するお問い合わせは、 下記までお願いいたします。 お問い合わせ ※カテゴリは、「その他のお問い合わせ」を選択して下さい。

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    isrc 2011/03/16
    被災地以外の人は普通に暮らして募金をするのが一番なのだ。
  • 03.11 大惨事とミラクル - Chikirinの日記

    地震の当日、3月11日の夜。 午後10時を過ぎたころ、ホテルの方がロビーに小さなテレビを設置してくださった。 私を含め、この時点では何が起こっているのか全く理解できてなかった人達が、寝ていた床からゆっくり起き上がってテレビの周りに集まった。 私もくるまっていた毛布から出て見にいった。 午後 2時 46分に地震があってから 7時間後、初めて情報らしい情報に触れたのがこの時だった。 テレビは信じられない映像を流していた。 文字通り一瞬のうちに津波で流される街。 興奮したヘリコプターからのレポーターの声。 衝撃だった。 テレビを見始めた人はみなひとつの声もあげず、誰も彼も沈黙して画面を凝視していた。 中には、見ていられなくなってテレビの前を離れる人もいた。 津波に飲み込まれる街を見ながら、神戸の地震を思い出した。 あの時も私はテレビを見ていた。 早朝に地震があって、東京にいた私は仕事の最中もずっ

    03.11 大惨事とミラクル - Chikirinの日記
    isrc
    isrc 2011/03/14
    あれだけの人がひとつの駅に押し寄せた時、あれだけの秩序を保てるのは世界に日本しかない。私たちは本当にこの国を誇りに思うべきだ/JRのオペレーションには凄みに近い気合いを感じた。この国は本当にミラクル
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