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ブックマーク / ja.wikipedia.org (48)

  • 御殿場事件 - Wikipedia

    御殿場事件(ごてんばじけん)とは、静岡県御殿場市の御殿場駅近くで2001年9月に発生した集団強姦未遂事件である。加害者の少年らが冤罪を主張したため最高裁まで争われる長期裁判となり、最終的に4人が懲役1年6か月の実刑判決、1人が懲役2年6か月・執行猶予4年の有罪判決となった。「御殿場少年事件」[1]、「御殿場少女強姦未遂事件」[2]とも呼ばれる。 経緯[編集] 2001年9月16日の午後11時過ぎに当時15歳だった少女が帰宅した際、「帰り道で少年らにいきなり声を掛けられた後公園に連れて行かれて強姦紛いの猥褻行為を受けた」と説明したことから、同日静岡県警察御殿場警察署に被害届が提出された。少女と逮捕された少年らは当時御殿場市内在住であるが、特に面識はなかったという。 少女の当初の主張は、「2001年9月16日」の午後8時頃、部活動から帰宅中、中学時代の同級生(被告人少年ら)に無理矢理手首をつか

    kangiren
    kangiren 2023/06/28
    「疑わしきは被害者の利益に」みたいな決着なんだろうか?
  • 核ガンジー - Wikipedia

    核ガンジーのインターネット・ミームの例 (はじめに彼等は無視し、次に笑い、そして挑みかかるだろう。[1]そして我々が核攻撃するだろう。そうして我々は勝つのだ。) 核ガンジー[2][3][4](かくガンジー、Nuclear Gandhi)は、コンピュータシミュレーションゲーム『シヴィライゼーション』に関するインターネット・ミームであり、都市伝説。ミームによれば、初代『シヴィライゼーション』(1991年)にはバグがあり、平和主義者の指導者であるマハトマ・ガンジーがパラメータの算術オーバーフローによって非常に攻撃的になり、核兵器を多用するようになるという[2][3]。 同シリーズのプレイヤー間でまことしやかに囁かれていたこのバグは、『シヴィライゼーションV』(2010年)にて、ジョーク、イースター・エッグとして初めて公式に実装された。『V』発売から2年後の2012年にインターネット・ミームとして

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    kangiren
    kangiren 2023/05/21
    とはいえ、インドが核保有国なのは事実だ。核なき平和な世界が早く訪れますように。
  • 日本の脚気史 - Wikipedia

    高木説への批判[編集] 1885年(明治18年)3月28日、高木は『大日私立衛生会雑誌』に自説を発表した。しかし、高木の比例不良説(脚気は炭水化物に対するタンパク質不足で起きる)と麦飯推奨説(麦はタンパク質が米より多いため、麦の方がよい)は、「原因不明の死病」の原因とするには根拠が少なく、医学論理も粗雑であった。そのため、東京帝国大学医学部を筆頭に、次々に批判された。1ヶ月後の4月25日には同誌において、村田豊作(東京帝国大学生理学助手)が高木の説に反論した上で化学的分析でいうなら麦よりタンパク質の多い糠になぜしないのかと非難した。同年7月には大沢謙二(東京帝国大学生理学教授)が消化吸収試験の結果より麦が米よりもタンパク質の吸収が悪いことを示し、品分析表に依拠した高木の説が机上の空論に過ぎず誤っていることを明らかにした[注 7]。また、一般医会からも反対が多かった。「物が不良なら身体

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  • ギンザグリングラス - Wikipedia

    ギンザグリングラス(欧字名:Ginza Green Grass、2005年3月7日 - 2023年12月22日)は、日の競走馬、種牡馬。 戦績[編集] 2007年に千葉サラブレッド・セールにて210万円で取引された馬である。同年JRAでデビューし1勝を挙げる。2008年に地方競馬に移籍、主に大井競馬場や川崎競馬場で出走した。2014年引退。引退時はメジロマックイーン産駒最後の競走馬となっていた。JRA11戦1勝、南関東98戦2勝。 種牡馬時代[編集] 引退後は熱心なファンが引き取り、北海道沙流郡日高町の旭牧場で種牡馬入り[1][2]。2015年、2016年とも3頭の繁殖牝馬との交配に恵まれ、2016年4月17日に初仔も生まれている[3]。2017年より新冠町の白馬牧場に移動して種牡馬生活を続けている[4]。 2018年6月16日、水沢競馬場第1競走で、クイーンソネラが産駒初勝利を挙げた[

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    kangiren
    kangiren 2021/03/28
    なんで、グリーングラス?
  • 朝田理論 - Wikipedia

    朝田理論(あさだりろん)とは、部落解放同盟中央部の第2代中央執行委員長となる朝田善之助が1956年に部落解放同盟第11回全国大会で主張しだし、翌年に組織方針として確立させた部落解放理論。朝田テーゼ、朝田ドクトリンとも呼ばれる。「不利益と不快を感じさせられたら全て差別」「差別か否かというのは被差別者しか分からない」といった、『差別』と感じた者に全ての決定権と主導権があるという考え方で、戦後に部落解放同盟が主導した部落解放運動の根底を成している[1][2]。 1956年に部落解放同盟第11回全国大会の運動方針討議の分科会で論議となり賛否両論となったものの、朝田は強く主張し続け、翌年の部落解放同盟第12回全国大会で部落解放同盟の運動方針として可決された[2]。しかし、これを利用して役所や企業、個人を『差別した』と脅して、就職・定期的補助金や無償化など金銭的利得、同和利権を獲得する部落解放同盟関

  • 遅刻する食パン少女 - Wikipedia

    遅刻するパン少女をイメージした飛び出し坊やの看板 遅刻するパン少女(ちこくするしょくパンしょうじょ)は、少女漫画の定番とされる場面の1つ[1][2]。学生の少女が朝、パンを咥えたまま通学を急ぎ、衝突した少年と恋に落ちるというもの[3]。「パンダッシュ(しょくパンダッシュ)[4]」、「トースト娘(トーストむすめ)[5]」、「トーストくわえて遅刻遅刻(トーストくわえてちこくちこく)[6]」、「パンくわえダッシュ[7]」とも呼ばれる。 概要[編集] 大筋は次の通りである。主人公である中高生の少女が朝、学校に遅刻しそうになり、朝をとる間も惜しんでパン(トースト)を口に咥えて、家を飛び出す。大慌てで「いっけなーい遅刻遅刻!」と登校路を走っていると、曲がり角で1人の少年に衝突する。2人は互いに悪口を言ったり、謝ったりする。 少女が学校に到着すると、その少年が少女の学級に、転校生として現れ、

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  • 岡田更生館事件 - Wikipedia

    岡田更生館事件(おかだこうせいかんじけん)とは、岡山県吉備郡岡田村(現:倉敷市真備町岡田)に1946年(昭和21年)12月から1950年(昭和25年)まで存在した浮浪者収容施設・県立岡田更生館で起きた組織的な監禁、暴行傷害、殺人事件である。 外部からは「模範施設[4]」と評価されて施設の内情が閉ざされていたことから、犠牲者は開設から2年余りで76名[1][注 1]にものぼった。 この実情は、1949年(昭和24年)2月に施設収容者の一人が脱走して毎日新聞大阪社にリークしたことを契機に、同社社会部の記者であった大森実と小西健吉が潜入取材した結果、社会的に知られることとなった[5]。その後、件は国会でも取り上げられて、太平洋戦争後の混乱期における弱者支援制度の構造的な問題が指摘された[3][6][7]。事件発覚から1年後には館長や県職員らに判決が下っているものの、罪状は業務上横領ないし私文

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  • さっぽろももこ - Wikipedia

    さっぽろももこ(9月15日、女性 - )は、日の作曲家、作詞家、原画家、シンガーソングライター。 大阪府茨木市出身。現在はフリーのゲームクリエイターとして、主にアダルトゲーム音楽や原画を担当している。作曲の傾向としては主にテクノやニュー・ウェイヴ系の楽曲が多く、自ら「80年代ニューウェイヴ残党」と称することもある[1]。 略歴[編集] 当初は作曲家としてその活動を開始した。MTRを用いた作曲に熱中する内にできたデモテープがテクノポップバンド・ヒカシューの巻上公一の目に止まってスタジオ録音の機会を与えられる。そこでヤマハ関係者と親交ができて、そのスタジオを使わせてもらう内に、1985年10月に開催された『第30回ポピュラーソングコンテストつま恋選会』に「雨の中で僕は」で出場し、優秀曲賞を受賞[2]。同会に出席していた谷山浩子からもその音楽性を高く評価され、同月の『第16回世界歌謡祭』に

    kangiren
    kangiren 2017/12/23
    プロデビューの経験があるいか天出場者だった。/ポプコンとイカ天に出たミュージシャンってのはこの人ぐらいではないか?
  • 八丈小島のマレー糸状虫症 - Wikipedia

    鳥打地区の遺構(2017年〈平成25年〉11月撮影) 鳥打地区の遺構(2017年11月撮影) このように象皮病の症状の有無を問わず、鳥打村住民の血中ミクロフィラリア陽性率は4割以上の高率であり、「ミクロフィラリアは見いだせなかった」とする前年の吉永・帖佐の調査結果と大きく異なっている。なお、見出したミクロフィラリア虫の種類については特に述べておらず、日国内の他のフィラリア流行地と同様にバンクロフト糸状虫と見なしたものと考えられている[82]。望月と井上はこの結果から、象皮病の発生にはフィラリア糸状虫の関与が必要であることを主張し、連鎖球菌を主因とした京大側の結論に異論を唱えた[81]。ただし、フィラリア虫の寄生によってリンパ系の滞が起こることが象皮病の主要因ではあるものの、滞した部分が細菌に感染しやすくなるのも事実であって、細菌感染による丹毒様発作はあり得るとし、感染過程のある時点で

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  • 清水忠史 - Wikipedia

    清水 忠史(しみず ただし、1968年5月5日 - )は、日政治家、元お笑い芸人。日共産党所属の元衆議院議員(2期)。日共産党中央委員、日共産党大阪府委員会副委員長。清水ただしとも。 来歴[編集] 大阪府吹田市生まれ[3]。大阪経済大学経営学部II部中退[4]。飲店勤務の傍ら漫才コンビツインタワーを結成[3][5]、1993年から1995年まで松竹芸能に所属し芸能活動を行う[3]。同期はオセロ、ますだおかだ等[6]。その後、阪神淡路大震災のボランティアを通じて日共産党を知り、1997年4月に同党へ入党[7]。 2003年の大阪府議会議員選挙候補を経て[3]、2007年には大阪市会議員選挙に福島区選挙区から立候補、初当選(トップ当選)を果たす[8]。なお、この選挙において、同区では20年ぶりに共産党が議席を獲得している[7]。任期途中の2010年、同市会議員を辞職し第22回参議

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    kangiren
    kangiren 2017/10/02
    日共にも所謂タレント議員がいるんだね。
  • エロテロ - Wikipedia

    エロテロとは、非合法時代の日共産党の女性活動家に対して大日帝国の特別高等警察や検察がおこなった性的な拷問のことである[1][2][3][4][5][6][7]。「エロによるテロル」を意味する[8]。 概要[編集] 1929年4月16日、当時18歳の日共産党員浅沼(のち瀬野)雪香(1911年3月、八丈島生まれ。浅沼稲次郎の従妹にあたる。1927年4月に東京市電気局バス車掌となり、組合運動に参加。1928年7月15日、日共産党に入党)は救援のカンパを同志に渡そうとしたところを3人の特高警察官に逮捕され、警視庁淀橋署から富士署に連行された[9]。このとき、みずからが受けたエロテロの様子を次のように手記に書き残している。 全裸にされ、4-5人の特高警察官と検事に眺め回され、「浅沼女史、なかなかきれいな肌じゃないか。おっぱいもふっくらとして、美味しそうじゃないか」「こんなきれいなとこ、た

  • 横井庄一 - Wikipedia

    観光用に再現された穴居「Yokoi's Cave(横井ケイブ)」(グアム島)。横井が実際に使っていた穴居は台風によって壊れた。 横井 庄一[1](よこい しょういち、1915年〈大正4年〉3月31日 - 1997年〈平成9年〉9月22日)は、日の陸軍軍人、評論家。 最終階級は陸軍軍曹、栄典は勲七等青色桐葉章。大東亜戦争終結から28年目、アメリカ領グアム島で地元の猟師に発見された残留日兵として知られる。 生涯[編集] 生い立ち[編集] 1915年(大正4年)3月31日、愛知県海部郡佐織村(現:愛西市)にて洋服屋を営む[1]父:山田庄七と、母:大鹿つる(1889年 - 1958年)の間に長男として生まれる。しかし、生後半年で両親が離婚したため姓が母の旧姓になる。 生後3か月から小学校5年生まで母親の里(海部郡神守村、現:津島市)で大鹿庄一として育てられ、1926年(大正15年)に母・つるが

    横井庄一 - Wikipedia
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    kangiren 2017/06/07
    歴史大好きな名古屋市長は、横井庄一記念館も支援してはどうか?
  • ソフィー・アンダーソン - Wikipedia

    ソフィー・ジャンジャンブル・アンダーソン(Sophie Gengembre Anderson, 1823年 フランス・パリ - 1903年3月10日 イギリス・コーンウォール・ファルマス)は、フランス生まれのイギリスの画家。田園風景を背景にした子供と女性の絵を専門とした。彼女の作品は、密接にではないが、ラファエル前派とも関係がある。 経歴[編集] パリの建築家シャルル・ジャンジャンブルの娘として生まれた。母親はイギリスの地質学者ジョン・ファレイの娘である。ソフィーの絵画は基的に独学であったが、1843年、パリでシャルル・ド・スチューベンについて肖像画を習ったことはある。1848年のフランス2月革命から逃げるため、一家はアメリカに亡命。最初、オハイオ州シンシナティに住むが、後にペンシルベニア州マンチェスターに移る。そこで彼女はイギリス人画家ウォルター・アンダーソンと知り合い、結婚した。 最

    ソフィー・アンダーソン - Wikipedia
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    kangiren 2017/05/21
    ↓あんたも好きねえ
  • 勘違い騎士道事件 - Wikipedia

    勘違い騎士道事件(かんちがいきしどうじけん)または英国騎士道事件(えいこくきしどうじけん)は、日で起きた刑事事件である。最高裁判所が誤想過剰防衛について刑法36条2項による刑の減刑を認めた事例として知られる。英国人である被告人が、状況を誤解したまま騎士道精神に基づいて行動しようとしたために起きた事件であることからこのように言われる。 事案[編集] 1981年7月5日午後10時20分頃、空手3段の腕前である英国人の被告人が、夜間帰宅途中の路上で、酩酊した女性とそれをなだめていた男性とが揉み合ううち、女性が倉庫の鉄製シャッターにぶつかって女性が尻をついたのを目撃した。被告人は女性が男性に暴行を受けているものと誤解して、両者の間に割って入った。被告人は女性を助け起こそうとし、ついで男性のほうに振り向き両手を差し出した。男性はこれを見て、被告人が自分に襲い掛かってくるものと誤解し、防御するため

  • まさに外道 - Wikipedia

    まさに外道(まさにげどう)は、日の電子掲示板・ふたば☆ちゃんねるを発祥とする面白画像・コラージュ画像及び、そのコラージュ画像から派生した二次創作の呼び名である。特にコラージュ画像に登場する、コーカソイド(白人)の赤ちゃん個人を指して外道ベイビー(げどうベイビー)、または赤さん(あかさん)と呼ばれることもある。 概要[編集] 現在まで大量に作成されているコラージュの原型となった画像を最初に作成した人物が誰かは不明であるが、2001年にふたば☆ちゃんねるが開設されてから間もない時期に投稿されたと見られる[1]。最初に投稿された画像は、赤ちゃんが「赤ちゃんではなく赤さんと呼べ」と尊大な態度で語りかけるものであったが、この画像を基に赤さんが他人の不遇に追い打ちをかけるような発言をしたり、親切を装って実はとんでもない嫌がらせをしたことを激白する二次創作が沢山作られ、画像の左下に「まさに外道」のナレ

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  • 福田村事件 - Wikipedia

    福田村事件(ふくだむらじけん)は、1923年(大正12年)9月6日、関東大震災後の混乱および流言蜚語が生み出した社会不安[注 1]の中で、香川県からの薬の行商団(配置薬販売業者)15名が千葉県東葛飾郡福田村(現在の野田市)三ツ堀で地元の福田村および田中村(現柏市)それぞれの自警団に暴行され、9名が殺害された事件である[2][注 2]。 概要[編集] 1923年(大正12年)3月に香川県を出発していた売薬(当時の「征露丸」や頭痛薬、風邪薬など)行商団15人は、関西から各地を巡って群馬を経て8月に千葉に入っていた[3]。 9月1日の関東大震災直後、4日には千葉県にも緊急勅令によって戒厳令の一部規定が適用され、同時に官民一体となって朝鮮人などを取り締まるために自警団が組織・強化[4]され、村中を警戒していた。『柏市史』によれば「自警団を組織して警戒していた福田村を、男女15人の集団が通過しようと

    kangiren
    kangiren 2017/02/02
    虐殺なんてなかった論者は、部落解放同盟のプロパガンダだと言いそう。
  • マクマーティン保育園裁判 - Wikipedia

    マクマーティン保育園裁判(マクマーティンほいくえんさいばん、The McMartin Preschool Trial)、通称マクマーティン事件(McMartin case)は、1984年から1990年まで行われたアメリカ合衆国における子供の性的虐待事件に関する刑事裁判。マクマーティンは、件で起訴された保育園の園長の姓に因む。 公判前捜査も含め1984年から6年間続いた刑事裁判の結果、証拠は存在しないことが明らかになり、全ての容疑について1990年に無罪となった。アメリカ史上最も長く、最も高価(約1500万ドル)な刑事裁判であった。 この事件に関する報道は、全米の保育園関係者に対する魔女狩りを引き起こし、保育園に対するモラル・パニック(「保育園などでの性的虐待の可能性に対する社会的恐怖」、Day-care sex-abuse hysteria)が続いた。結果的に、史上最悪の児童虐待事件と言

  • モノス - Wikipedia

    この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2022年11月) ド・ロワの類人猿 モノスは、ベネズエラで発見された未確認動物の一種。モノ・グランデ、ド・ロワの類人猿、ロイスの猿[1]とも呼ばれる。発見時に射殺され、その死体を撮影した写真が現存していることで有名。しばしば未確認動物として紹介されるが、既知の動物、例えばクモザルであろうとするのが現在の主要な見解である。なお「モノス」はベネズエラの公用語であるスペイン語で猿そのものを表す言葉であり[2]、「モノ・グランデ(mono grande)」とは、日語に言い換えれば「巨大な猿」となる[3]。 概要[編集] 1920年、スイス人地質学者 フランソワ・ド・ロワ (François de Loys)率いる調査隊がベネズエラのジャングルへと向か

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    kangiren
    kangiren 2017/01/22
  • 森のくまさん (曲) - Wikipedia

    では、1969年7月に日レクリエーション協会から出版された月刊誌『レクリエーション 第105号 特集/新しいキャンプ』において「親切な熊さん」という題名で現在も歌われる「森の熊さん」と同じ楽譜と歌詞を作詞作曲者不詳で紹介された。その後、1972年8月-9月にNHK音楽番組『みんなのうた』で「森の熊さん」という題名で紹介され広く知られるようになった。これはNHKの番組プロデューサー(当時)の後藤田純生がこの曲を見つけて玉木宏樹が編曲したものである[3]。当時、日語作詞者は不詳とされていたため、テロップでは作詞者の記載がなく、「アメリカ民謡」と編曲者の表記のみである。 同年10月25日、『みんなのうた』版のシングルレコード「森の熊さん」(「熊」の表記は漢字。キングレコード BS-1608)が発売された。 その後、同じくNHKの『おかあさんといっしょ』『ワンツー・どん』『ドレミノテレビ

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    kangiren 2017/01/19
    作詞の馬場祥弘は「なんちゃっておじさんは俺が考えた」と主張してる人。
  • ルワンダ虐殺 - Wikipedia

    ルワンダ虐殺(ルワンダぎゃくさつ、英語: Rwandan Genocide)とは、1994年にルワンダで発生した大量虐殺である。1994年4月6日に発生した、ルワンダのジュベナール・ハビャリマナ大統領と隣国ブルンジのシプリアン・ンタリャミラ大統領の暗殺から、ルワンダ愛国戦線 (RPF) が同国を制圧するまでの約100日間に、フツ系の政府とそれに同調するフツ過激派によって、多数のツチとフツ穏健派が殺害された[1]。正確な犠牲者数は明らかとなっていないが、100万人[2]すなわちルワンダ全国民の20%と推測されている。 ルワンダ紛争はフツ系政権および同政権を支援するフランス語圏アフリカ、フランス国[3][4] と、主にツチ難民から構成されるルワンダ愛国戦線および同組織を支援するウガンダ政府との争いという歴史的経緯を持つ。ルワンダ紛争により、国内でツチ・フツ間の緊張が高まった。さらにフツ・パワ

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    kangiren 2017/01/18
    100万人かあ……。