Hello and welcome back to TechCrunch Space. What a week! In the same seven-day period, we watched Boeing’s Starliner launch astronauts to space for the first time, and then we…
人はいかにしてイスラム教徒になるのか 「スズキ、おまえはイスラム教徒だったよな」 これは、1996年7月のある日、西アフリカ、コート・ジヴォワールのアビジャンで私に問いかけられた言葉である。 相手は、現在私の妻となっている女性の親族。彼女への結婚の申し込みにおける一幕である。さて、私は何と答えるのであろう――。 私は文化人類学者。専門はアフリカ音楽。 文化人類学者は長期間のフィールドワークをおこない、現地の人々と生活をともにしながら、自分自身で一時資料を収集してゆく。 博士課程の学生であった私は、前回のFIFAワールドカップで日本人にもお馴染みになったコート・ジヴォワールの大都市アビジャンに1989年から住み込み、当地のストリート文化と音楽について研究していた。 経済的事情から、家庭の事情から、小中学校を中退してゆく少年たち。彼らはストリートを舞台として、靴磨きやバスの客引きなどの経済活動
こんにちは。日本植物燃料株式会社、代表の合田です。 今回は、前回に引き続き、モザンビークで「バイオディーゼル事業」に着手したところからの話です。 バイオディーゼル燃料事業を成立させるためには「生産」と「販売」の2つが課題です。 ですから何よりもまず、私たちは「バイオディーゼル燃料」を安定して生産できなければなりませんでした。 そこで、前回も少し触れましたが、ヤトロファの種を現地の人に提供しました。 今利用している農地にヤトロファを植えてもらうことはできませんが、今ある畑の脇に「柵」としてヤトロファを植えてもらい、収穫したヤトロファは私たちが買い取り、加工して燃料とします。 「組合」と言う形態をとりながら、1万人の農民たちに協力してもらい、なんとか私たちはモザンビークでバイオディーゼル燃料の原料となるヤトロファを栽培し、燃料を作り出すことはできるようになりました。 ですが、もちろんそれだけで
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