夕暮れ時。電車が着くたびに大勢の人がはき出される駅の改札口で友達を待つ間、同志社大4年の福井麻里子(21)は携帯電話で、自分が主宰するインターネットの交流サイトを見た。〈同じ思いの方がいたのは救いです〉〈初めて素直に語れる場を作ってくれて感謝します〉。福井のサイト、「離れても、忘れない。阪神大震災」に、被災者が集い、コメントを書く。多くは、これまで語る場を持たなかった人たちだ。開設から2年半で、登録は320人を超えた。 震災は、福井が小学1年生だった冬に来た。兵庫県西宮市のアパートが全壊し、無事だった家族4人、堺市にある父の会社の社宅に引っ越した。同じ小学校の子が何人も亡くなったと聞き、少しの揺れや物音が、体がこわばるほど怖くなった。被災地から遠くに来たのに、無残につぶれた家が目に浮かび、涙がこぼれた。 そんな気持ちを一生懸命話したとき、新しい学校の友達は、「ふーん」と、少し困った顔をして