宇都宮大4年生のフィリピン人女性(22)が、大学から「授業料を免除しすぎた」として合計44万円を3週間以内に納入するよう求められている問題を東京新聞が報じたところ、18人の読者から寄付などの申し出が寄せられた。女性の代理人の指宿昭一弁護士の事務所にも記事を読んだとして9人から寄付や支援の申し出があった。このうち1人が全額分を指宿弁護士側に送金し、全額が29日午後、大学に納入された。(池尾伸一)
おじいちゃんが亡くなって、もうすぐ2年なので二重の意味で供養する . 私はどこに出しても恥ずかしい陰キャでオタク。 更には、大金かけて入学させてもらった私立大を中退して実家に帰ってくる親不孝でもあった。 5歳下の弟は国立大へ入学後、大学院へ、卒業後は隣の県で、地元の有名企業に新卒採用された。 私はというと、実家から通える職場に何とか腰をすえて、朝から夜遅くまで働く毎日。 . 絵に描いたような出来損ないの姉と優秀な弟だが、おじいちゃんとおばあちゃんからみれば、どちらもかわいい孫だったようで、平等にかわいがってもらっていた。 あと、他にも孫は5人ほどいて、同じ歳の従姉妹たちは20代で赤ちゃん生んで若いママとなり、従兄弟たちは実家の事業継いだり、東京で仕事したり、そんな感じ 親戚の集まりでも、叔父さんたちから、アネちゃんは…とりあえずいい人見つけて、早く赤ちゃん生まなきゃね…😅みたいに言われて
ஐパセリンஐ @9936677705pase 聞いて欲しい。凄かった。夜勤明けのつい1時間前。研修前に何かお腹に入れておこうと立ち寄った松屋。店内には私とその他中年代のおじ様方が4名。急に高齢の男性が呻きながら倒れた。すぐに駆け寄って声をかけるが眼球上転、除脳硬直していて確実に脳疾患。そこに1人のおじ様が素早く駆け寄ってきて、 「僕。警察官です」と。 そこで私も名乗る 「私は集中治療室の看護師です」と。 ここからめちゃくちゃ気持ちよくテンポよくことが進む。 私は意識の確認から。JCS:Ⅲ-200、痙攣、瞳孔散大、舌根沈下によるいびき様呼吸あり、脈は橈骨触れず鼠径僅かに触れる程度。気道確保。 警察官さんは男性の荷物を確認し身分証明書から名前を特定。靴を脱がしベルトを緩める。 そして凄かったのは周囲のお客さんと店員さんも。 1人はAEDを探して走って外へ。(店内には無かった) 1人は店員さんと
帯広市の自衛官大泉拓途さん(25)と会社員の沙綾さん(26)=旧姓・加藤=が23日、市内で結婚式を挙げた。2人の縁の始まりは25年近く前に載った十勝毎日新聞の人気コーナー「私の赤ちゃん」。同じ日の記事に並んで載った2人が、偶然の出会いを重ね、引き寄せられるように結婚した。披露宴で華燭(かしょく)に照らされた2人は「いまだに信じられない。記事があったからこそ生まれた縁だった」とほほ笑んだ。(北村里沙) 運命の糸が紡がれ始めたのは1999年2月22日。それぞれの家庭で新聞を開いた2人の母親、大泉雅美さん(49)と加藤文恵さん(51)は喜んだ。「私の赤ちゃん」に子どもの顔があった。「載るのを心待ちにしていた。すぐに切り取って成長アルバムに挟んだ」と応募した文恵さんは振り返る。 妹に同じ名前 一方、我が子の隣で笑う赤ちゃんに目を引かれたのが雅美さんだった。「沙綾。なんてかわいい名前なんだろう。もし
当時かなり薄給で、5000円くらいの予算が限度だった。 同じ年に還暦を迎える母は、パジャマが欲しそうだったので、わりとすんなりパジャマをあげることに決まった。 しかし、父にあげるほうはなかなか決まらず、かなり悩んだ。 結果、ジェラピケのトイプードルのぬいぐるみをあげた。トイプーも、還暦のおじさんへのプレゼントになるとは青天の霹靂だったに違いない。 一応、その頃父がぬいぐるみを欲しがっていた(半分冗談だと思っていたが、思ったよりガチだったらしい)ことと、昔から父は犬が好きで飼いたがっていたが、母が動物苦手なので飼えなかったという過去もあったので、トイプーのぬいぐるみを選んでみた。 とはいえ、いい年したおじさんに、ジェラピケのぬいぐるみをあげても喜ぶんだろうかと、あげるまでずっと不安が拭えないままトイプーをあげる日がやってきた。 結果は大喜びで、今でもたまにラインでトイプーの写真が送られてくる
結婚から数年を経た今になって、妻もAVを見るのが好きだとわかった。 妻のほうからカミングアウトした。独身時代はよく見て楽しんでいたという。 新婚当初、私にAVを見るのを厳しく禁じた手前、言い出しにくかったのだという。 私(夫)の出張が続いてご無沙汰の時などに、ひとりでAVを見たいのだという。 お金を払って見るほどではないが、無料のアダルトサイトにアクセスするのは不安だという。 テレビで安全に見る方法があったら教えてくれという。 お安い御用である! 「せっかくなら一緒に見てみよう」 禁じられていたAV鑑賞解禁である。 かくして定期的に上映会を開催するようになったのだが、困ったことに両者のAVの趣味が噛み合わない。 具体的に書くのは控えるが、ジャンルやプレイ内容にとどまらず女優の容姿の好みなど、AVの好みには夫婦間で相当な隔たりがあった。 男同士で話していてもAVの趣味が一致することはまずない
シア・チェイスちゃんは自宅から約4.8キロ離れた場所で発見された/Courtesy Brooke Chase (CNN) 米ミシガン州で2歳の女の子が行方不明になり、自宅から約4.8キロ離れた場所で発見された。女の子は愛犬2匹と一緒にはだしで森の中を歩き、発見された時は小さい方の犬を枕にしてスヤスヤと眠っていた。 ミシガン州警察によると、2歳のシア・チェイスちゃんは現地時間の20日午後8時ごろ、同州フェイソーンの自宅から外へ出て、行方が分からなくなった。 母親は、庭で遊んでいると思ったシアちゃんがいないことに気付いて警察を呼び、父親にも連絡を取った。 警察はドローンや捜索救助犬を出動させ、住民も加わって自宅近くの森林を捜索。約4時間後の同日深夜、オフロード車で山を捜索していた家族の友人が、チェイスさん一家の飼い犬「バディー」の吠え声を聞きつけた。
白目みさえ🥚臨床心理士・公認心理師/漫画家 @misae_yjm 娘が「米を炊きたい」と言い出した 私は夕飯作りの真っ最中で できたらあっちで踊っていて欲しいと思ったが 奥歯ギリギリ言わせつつ研ぎ方をレクチャーした 炊けた米は実際美味しかったし 「娘が炊くとなんだか味が違う!美味しい!」 と褒めちぎった すると娘が毎日米を炊いてくれるようになった 2023-09-06 09:23:29 白目みさえ🥚臨床心理士・公認心理師/漫画家 @misae_yjm 臨床心理士/公認心理師/漫画家/NAPBIZ公式ブロガー/17公式ライバー/昼間は精神科で勤務/夜は漫画家/書籍「脱力系育児漫画日々白目むいてます」「#白目むきながら心理カウンセラーやってます」「#子育てしたら白目になりました」発売中/各種連載はリンクから #白目相談室 #白目カルタ 量産中 lit.link/shiromemisae 白
国の特別天然記念物・ニホンカモシカの子どもが7月、約2mの高さの水路に落ちているのが見つかった。救出を望む声がある一方で、ニホンカモシカを捕獲することは法律で禁じられている。どのように山に帰すか…3日間にわたった救出劇に密着した。 二ホンカモシカの子ども 1カ月以上水路に… 新潟県新発田市。約2mの高さの水路に落ちてしまい、抜け出すことができない1頭の二ホンカモシカの子どもがいた。 ニホンカモシカの子ども この記事の画像(24枚) このカモシカを最初に見つけたのが、近くに住む太田喜健さんだ。 太田喜健さん 太田さんがカモシカを見つけたのが7月8日のこと。太田さんが撮影した映像には、心配そうに見つめる母親のカモシカの姿も映っていた。 母親のカモシカ(太田さん撮影) 太田さんは「最初に発見して、親の目が合ったときに何とかしてあげたいという気持ちになった」と話す。 母親のカモシカは水路に降りて子
親父の定年1年前。 母親に「お父さんが定年したら離婚しようと思ってる」と言われた俺 親父は典型的な昭和の父!で専業の母に全てを任せっきりで、仕事一筋人間だった それなりに子供のことも妻のことも愛しているのはわかっていたが、休みは寝てるだけ、家族サービスも家族に言われればつきあうが自分から「どこにいこう」とは言わない 上げ膳据え膳、脱いだ服もほったらかし、掃除も料理もなにもしない 「おいビール」 そんな親父 母親が遊びに行ったりするのを止めることは一切なかったが、旅行から帰ってくると皿一つ洗ってない台所を見て母がうんざりする、という感じだった 定年したらあんなのが1日家にいてお世話をするのがもういやだ、会社に行ってるから耐えられる、とのことで、でも一人で母が生活できるのか? 金は?なんぞと思っていたが 「すぐに決めないで定年してしばらくは様子を見たらどうだ」というに留めるのが精一杯だった し
自分なりに問題と向き合ってみて何がいけなかったのかを整理してみた結果、気付きがあったよという話です。 我が家では妻が二人目の子どもを妊娠してからセックスに応じてくれなくなり、気がつくと8年近く経っていました。 子どもがいるとなかなかそういう空気にならないのは仕方ないことですが、まれにチャンスがあっても「眠い」「疲れている」「休ませてほしい」と言われるばかりで、そうなると強要することが加害ともなりかねないとそれ以上は話が進まないままにフラストレーションを溜め込み続けました。 セックスの話をするときに、どうしても「気持ちがいい」という言葉が頭の中に支配的になります。 実際、妻と話し合う上で、どうしてそんなにセックスがしたいのかを説得するときに大きな戸惑いとなりました。 そんなに難しい話ではないかもしれませんが、でも、どうしてしたいのかを考えた時、「気持ちよくなりたい」「気持ちよくしたい」以外の
息子5歳は、ほんの少しでも環境が変わるとかたまって動けなくなって泣いてしまう。幼稚園での行事もいつも1人だけずっと泣いて何もしない。4月になり、クラスが上がりお昼寝がなくなったこと、お箸で給食を食べるようになったことなどが不安で、夜泣きをするようになった。幼稚園にも泣きすぎて吐いたりするので、いけない日も多々あった。週末は家から一歩も出たがらず、自分の好きな車のおもちゃを分解して過ごす日々だった。 そんな息子をなんとか誘い、近所の大きな公園でしてるフェスタみたいなところへ行った。バザーや出店が出ていて、そこに工業高校の展示のようなスペースがあった。息子が少し離れたところで、展示されている1人用の車をみていた。「図鑑でも見たことない車」「1人しか座れない」などと喋っていた。 高校の生徒さんが、こんにちはと声をかけてくれたけれど、息子はもちろん返すことがで気なかった。それでも生徒さんはニコニコ
はっしー@シルク屋の兄さん @Hasegawa_co 今日、飛行機の中で編み物してました。 僕は窓側席で隣は空いてて、 通路を挟んだ席に70代くらいのおじいさんが座ってたんですが、 編んでいるときにすごく視線を感じてたというか 完全に見てました 笑 あー、どうせ「男のくせに編み物?😟」とか思っているんだろ😡 と考えながらも気にせず編んでま 2023-05-14 22:35:20 はっしー@シルク屋の兄さん @Hasegawa_co した。 今日は雨が降っていたこともあって 飛行機が結構揺れてたのとまだ編み物Lv.1くらいの僕なので 編み目のきつさが安定出来ず、 編んでたのを解いてはまた編んでを繰り返していました。 揺れが落ち着き、シートベルトサインが消灯したときに そのおじいさんがお手洗いに行き戻ってきたときに 2023-05-14 22:35:21 はっしー@シルク屋の兄さん @Ha
18歳でエステティシャンになって気付いたら23歳になってた ふと、こんな給料良いわけでもなく社会的地位も低い仕事やだなあと思い その日から勉強始めて1年後ITエンジニアに転職した ちょうどコロナが始まったくらいだったからめちゃくちゃタイミングが良かった 最初はそれはもうほぼ毎日泣いたし自分が無力すぎるのに周りの人は優しすぎるのが情けなくてさらに泣いたけど 慣れたらめちゃくちゃ楽しくなったし契約社員から正社員になれてエステティシャン時代から給料は倍近くなったし在宅勤務楽だしで最高だ…と思ってた しばらくすると、自分がエステティシャンやってたこともなんだか恥ずかしくて経歴を隠すようになってた オンライン会議とかで人の顔見てすぐ、(この人顔のここの筋肉凝ってるなー…)と思う自分も嫌だった そんな感じだったんだけど、コロナがおさまり始めたから出社したとき 大好きな先輩が「なんか自分のマスクの下の顔
数年前にここを知ってからリアルで話せないことを何度か愚痴としてこぼさせて貰っていた。 5ちゃんはルールがよく分からないしIDが出ることで匿名とは違う気がして書き込めなかったけど、ここは何も表に出ないから安心してぽちぽちと打つことが出来たよ。 あの時友達を切れと言ってくれた増田、ありがとう。 休んだ方がいいと言ってくれた増田、ありがとう。 心療内科を勧めてくれた増田、ありがとう。 セカンドオピニオンを勧めてくれた増田、ありがとう。 親との距離を教えてくれた増田、ありがとう。 フラッシュバックへの対処法を教えてくれた増田、ありがとう。 怒りを受け止めて叱ってくれた増田、ありがとう。 豆腐の美味しい食べ方教えてくれた増田、ありがとう。 ハムスターの飼育方法を教えてくれた増田、ありがとう。 おかげでここに来る頻度も減って仕事も住む場所も見つけて何とか1人で生きていけてます。 知らない誰かが困ってい
まずは、僕が野球を嫌いになりかけた話から始めさせてください。 幸運にもプロ野球選手になれて、好きなものを仕事にできて、それなりに1軍で結果を残せて。満ち足りた野球人生を送らせてもらいました。 でも、結果的に現役最終年だった2020年、僕はあんなに好きだったはずの野球が嫌いになりかけていました。調子がよくても、結果を残しても使ってもらえない。1軍に上がるのは若い選手ばかり。プロ9年目、31歳になった僕も「これがプロの世界だ」と理解していたはずでした。 元プロ野球選手の就職活動 最初に頭に浮かんだのは家族のこと。僕には妻と息子、娘の家族がいます。現役時代は家族との時間が取れなかったので、半年近くは仕事もせずに家族サービスの時間にあてました。一緒に買い物に行ったり、娘の幼稚園の送り迎えをしたり、息子の学校行事に参加したり。 それはそれで楽しかったのですが、さすがに仕事をしないと家族を養えません。
4月25日に開始した「離乳食後期の全店無料提供」の取り組みに対して、さまざまなお声をいただきました。 お声を受けてからの発言を控えておりましたのは、私たちの存在意義について想いを巡らせ、考えを深めていたからです。 改めまして、私たちがどのような想いでこの取り組みをはじめたのか、何を実現したいのかを私たちの言葉でお伝えしたいと思います。 ―――――――――― 私たちスープストックトーキョーの企業理念は、「世の中の体温をあげる」です。 スープという料理を通じて身体の体温をあげるだけではなく、心の体温をあげたい。 そんな願いを一杯のスープに込めた事業を行っています。 その理念のもと、さまざまな理由で食べることへの制約があったり、自由な食事がままならないという方々の助けになれればと「Soup for all!」という食のバリアフリーの取り組みを推進しています。 これまでの取り組みでは、 ・グルテン
当方、30代後半になる。会社員男だ。現場の仕事で疲れた時、帰りに自分好みの居酒屋に寄ることがある。約一年前に、そこで珍しい体験をした。あんな気分になったのは初めてだった。懐かしいし、嬉しいけど、でもちょっと怖い。ツキがありすぎて、逆にツイてないんじゃないかと思った。 実をいうと、中学生の時に柔道合宿で知り合いになった女性と再会した。二度と会えないと思っていた。思い出が記憶の水槽に残っていたのを自覚した。 それは、居酒屋のカウンターに座った瞬間だった。どちらからともなく「昔会ったことあるよね」「増田君だよね」「Yさんだよね」という流れになって、しばらく話し込んだ。 少しばかり、昔のことを綴ってみたい。2000年代前半のことだ。 中二の夏休みだった。当時、広島県の海の見える田舎で柔道をやっていた。普段は中学校単位で練習しているが、隣の市にある工業高校で柔道合宿があるらしい。顧問の先生が是非とも
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