「文章の書き方」については、色々と思うところがある。 こうして趣味のブログを(移転を繰り返しながら)10年以上やっている訳で、自分なりのスタイルであったり、試行錯誤だったり、創意工夫だったり・・・。出来不出来に関わらず、それなりに一家言だけはある。 note.com 先日こちらの記事を拝読して触発されたので、私が思うところの「書きたい文章」や「読みたい文章」について書いてみたい。 スポンサーリンク 結論から言うと、私は「読むラジオ」のような文章が好きだ。 ラジオにおけるパーソナリティのトークを聴く感覚を、テキストで味わいたい。そういう文章が好きで、だからこそ、そういう文章を書きたい。どんなポイントに気を配れば「読むラジオ」のような文章が出来上がるのか、現在進行形で試行錯誤中である。 これは先の記事における「リズム」の概念ともリンクするのだけど、「話し言葉」のような文体は、書き手のキャラクタ
俺がブログを書くためにどのように本を探し、読んでいるのか。 その過程を赤裸々に晒す。 自分では正攻法だと思っているのだが。 マシュマロへの回答 マシュマロが投げられた。 Link 読書メモについては既に記事化しているので、そちらを読んでもらえればいい。 対して読み方については記事にしていないが、Twitterでは回答できなかった。マシュマロの余白はそれを書くには狭すぎる。なのでブログで書くことにした。 「恋柱の記事」の場合 方法を書くなら具体例を挙げた方がわかりやすい。ここはマシュマロでも例として出された「恋柱の記事」を書いたときの話をする。 記事によって本の探し方・読み方は異なるが、「恋柱の記事」の場合は複合的で、代表的なパターンを網羅している。なのでこの記事について語ればそれでだいたい分かるだろう。 先に言っておくが、これはあくまでも「ブログ記事を書くための読書」の話である。俺だって普
この連載はこんな人に向けて書かれています。 小説作家さん 編集者さん 校正さん ライターさん 発注者さん つまり文章を書いたり修正したりする全ての人たちですね! シリーズ記事一覧 1-1「Git と GitHub を使うメリット」 1-2「コミットを積み上げる」 1-3「コミットを理解して活用する」 0. この連載を始めたきっかけ 僕は片倉青一という筆名で小説を書いています。 小説だけではご飯を食べられないので、覆面ライターもやっています。せちがらい。 で、覆面ライターの案件で 「クライアントさん… Git と GitHub 使って仕事したいです…」 って言ったら、使っていいということになりました。やったぜ。 でもクライアントさんは Git と GitHub の使い方をあんまり知らないので、片倉が入門書を書くことになりました。なんてこった。 この連載は、片倉がこれからの仕事で楽をするために
「あなたが本当に望んでいるものはなんですか?」 という質問には、なんだかスピリチュアルみたいな、胡散臭い響きがある。 しかし実際のところ、 「自分が本当は何がしたいのか」 「自分はどんな状態になっているのが幸せなのか」 を言葉にして表現できる人は少ない。 というのも、僕たちは普段から忙しすぎて、考えなければならないことは山積みで、自分の内面を振り返る暇などないからだ。 それに厄介なことに、「自分が望んでいること」を見つめようとすると、「今の環境上の制約や固定観念」が邪魔をして、自分の心に素直になれない。 いまの自分の箱の中で考えてしまう 「(いま、自分は◯◯の会社にいるから)5年後は部下を10人率いるプロジェクトマネージャーになっていたい」 みたいに、会社のレールの上で物を考えてしまったり、 世の中の多くの人が「カッコいい、素敵だ」と称賛したくなるような道を選びたくなってしまう。 「Goo
「ブログで「日記」を書いたらダメ!」みたいなことを目にしたので、怖いもの見たさでそういう論旨の記事をいくつか拾い上げて読んでみたのです。 だいたい書いてあることは同じで「芸能人じゃないんだから一般人の日記なんてのは誰が読むんだ」みたいなことが書いてあります。 私は芸能人の日記なんて読まないので、そのへんの感覚がよくわかりません。 いわゆる一般人の方の日記でも、おもしろかったら読みます。「朝6時半起床。ラジオ体操を行う。朝食。犬の散歩。昼食。昼寝。カレシとプリクラ。変顔でチョベリバ。」みたいなあんぽんたんなのは……それはそれで読むかもしれません。 いろいろと考えて、書いては消し、書いては消しを繰り返した結果、いちいち細かいこと考えるよりも「とにかく好きなように書こう!」という、ある意味めっちょ投げやりな結論に落ち着きました。判断するのは読み手であって書き手ではないのです。 とある記事にこんな
2か月に一度、TOKYO FM系列で、村上春樹さんがDJのラジオ番組が放送されているのです。 ちょうど1年前、2019年2月の回の放送を聴きなおしていたら、こんな質問に村上さんが答えていました。 リスナーからの質問:旅先である女性と運命的な出会いがありました。それで、手紙で文通することになったのですが、春樹さんがラブレターを書くうえで、もっとも大切にされていたことは何でしょうか? これに対して、村上さんは、こんなふうに答えておられました(録音を聴きながら大まかにまとめているので、細かいニュアンスは異なるかもしれません)。 村上春樹:郵便で出す手紙を出したい、ということですが、いいですねえ。いまどき、あんまりいないですよ。僕の若い頃は、インターネットとかもちろんなかったから、手紙しかなかったんですよ。結婚してうちの奥さんに「なんで僕と結婚したの?」って訊いたら、(奥様が)付き合っていた人のな
「書く」を仕事にできる人とできない人。 両者はどこが違うのでしょう? 「書く」という作業は、日本人ならほとんどの人ができます。パソコンやスマホに文字を打ち込むことは誰だってできる。それなのに、お金になる人とならない人がいるのは、なぜなのでしょうか? ぼく自身2018年に独立しましたが、おかげさまで「書く」仕事でご飯を食べることができています。 今回のnoteでは、自分を含め、まわりの「書く」を仕事にできている人たちを見ていて気づいた「書くを仕事にする」ための5つのポイントをお伝えしようと思います。 ①「書きたい」人というより「伝えたい」人であるまずはマインドセットの問題です。 書くことを仕事にできている人は「書きたい」というよりも「伝えたい」と思っている人が多いように思います。 「書きたい」という思いは悪くないのですが、そこに需要がなければ、どうしても自己満足の世界に陥りがちです。「そうは
筆の遅い人はどの分野にもいる。 けれども、主として井上ひさしの貢献によって、遅筆といえばまず劇作家を思い浮かべてしまう偏見がある。 これはおそらく、他のジャンルよりも遅筆のイメージが印象的でユーモラスなことによるのだろう。 すでに幕が上がっているのに台本が完成せず、舞台袖で残りの台詞を書いているようなイメージである。 しかし劇作家のすべてが遅筆という訳ではない。 たとえば北村想は、本人の表現を借りるなら、初演に台本が出来上がっているどころか、脚本集として出版済みであるほど、筆の速い人である。 「書くのが遅いのをなんとかしたい」という相談に答える形で、北村想は、何故自分は筆が速いのか、筆の遅い劇作家と何が違うのかを説明している。 遅筆癖をやめ、はやく書くための〈秘訣〉としても読めるその説明は、ほとんどの秘訣がそうなように、身も蓋もないものであった。 遅筆から抜け出すための身も蓋もない教え 北
文章を書くのが好きだった。それに気がついたのは中学二年生の頃。それまで私は周りのクラスメイトと比べても文章が特別に上手いわけではなかったし、私より整理された思考を持ち、私より美しい表現ができる人は幾らでもいた。決して「文章が上手い人」と尋ねられたときに、クラスで真っ先に名前が挙がるような対象ではなかったのだ。 中学二年生になるまで、私は清く、健やかに生きることに何の疑いも持たなかった。みんなと同じように学校の勉強をこなし、本を読み、友人と遊び、恋もする。およそ少年として与えられる課題を日々まっとうした。努力さえすれば叶わないことなどないと思っていたし、事実、目の前に現れる課題のほとんどは、努力によって結実する類いのものであった。 ところが少年の私は気づいてしまう。このまま当たり前に生きていった先に、一体何があるのだろうか、と。明確な夢も、秀でた才能も見受けられなかった私に、親は決まり文句の
文章の書き方に正解はない。 ただ、ちょっとした「コツ」みたいなものはあると思う。 僕は会社に入ってから9年間、「週刊文春」と「文藝春秋」の編集部で、文章に携わる仕事をしてきた。 たかだが10年足らずの経歴で何を偉そうに、と思われる方もいるかもしれないが、最近になってようやく、「文章を書くコツみたいなものがあるのではないか?」ということに気がつき始めた。 もちろん一流作家のような芸術的で天才的な文章を書くコツではない。文才の有無は関係なく、誰でもそれなりに整った文章を書くためのコツだ。 noteをやっている人の中には「何かを書きたい、でもどうやったら書けるだろう」と思っている人がいると思う。また、「書きたいんだけど、素人の書いた文章みたいに読まれたら恥ずかしいな」と思って、躊躇している人もいるかもしれない。 さらに、「周りから『何でもいいからとりあえず書いてみたらいい』と勧められるんだけど、
こんにちは、ドクダミ淑子です。 私の働く会社では、定期的に「いい仕事発表会」みたいなものが開催されます。 自分の取り組んだ仕事の中で、大きな成果を出したもの、社会を変えるようなきっかけになったもの、求職者にとって人生を変えるような転職ができたこと・・・などなどを、大勢の前で発表します。 参加して話を聞くのは面白く、新しい発見も沢山あるので、私は結構好き。 そして、ちょうど今、自分のいい仕事をまとめてエントリーするための準備をしています。 さて、私がテーマに書こうとしている仕事。 数字的にはすごいことをしたのは、自分でも分かっているのです。 では、この仕事の中にどんな「意味」「意義」「価値」があったのか、改めて言語化しようとして、ウンウン悩んでいます。 わ、わからない・・・ そして悩んだ末にブログに逃避しているのですが、その中で寄り道しながら辿り着いたことがあります。 「目の前の仕事に取り組
「善いアウトプットにはその何倍ものインプットが必要」が信条なので、こうしてブログを書く以上に、ブログを読んでいます。少ない時でも、日に20~30は目を通しているだろうか。 最大140字のTwitterとは違い、ブログは書き手の「テキストの癖」が如実に表れるため、言い回し・表現・文体・レイアウト・段落構成など、参考になるポイントが多い。「ああ!こう書けばこのニュアンスを伝えられるのか!」という驚きを、大小様々、常に大切にしていきたい。だからこそ、同じように「ネットに文章を書く人」のテキストは大好物である。「ネットに文章を書く人」が「ネットで文章を書くこと」について書いたエントリー、それはもう、美味ですよ。至高のメニュー。こちらも涎ダラダラ。傍から見ても、ご本人の心の底にある想いが溢れ出ているのが分かる。そういう文章を目にした時、私も大いに刺激を受けますね。 そんなこんな、「ネットで文章を書く
By: Guudmorning! – CC BY 2.0 「どうすれば文章力をあげることができますか?」 と、私が誰かに尋ねられたとしたら次の二点をあげます。 読むように書く事 書くように読む事 すでに文章を書いている方には当たり前のことかもしれません。しかし、この基本的なことについて触れられているのをあまり見かけないので、今回はこの二つについて考えてみたいと思います。 読むように書く 本多勝一氏の『日本語の作文技術』という本の中では、文章の書き方として「ダメな」例が二つ挙げられています。 話すように書く 見たとおりに書く アドバイスとして「話すようにかけばいいよ」とか「見たとおりに書けばいいよ」と言われれば、書き手としては楽な気持ちになれるでしょう。それらは日常的に行っていることなので、あたりまえにできると感じます。 しかしながら、実際このアドバイス通りにやって文章を書く事ができるか、と
【ほぼ日刊イトイ新聞】 糸井重里さんのコラムをタダで読める「ほぼ日アプリ」。 最近,仕事の休憩時間にちょこちょこコラムを読んでたりします。 ながい間、あまりに広いジャンルのコラムを書かれているので、 まずは検索で自分の好きな話題を探してみましょう。 ざっとあらゆるコラムを読んでみましたが、なんか懐かしさを感じました。 一見なんでもないようなことを言ってる書き方なんですが、 的を得ているというか 詩人の谷川俊太郎さんとかもその境地なんでしょうね。 しばらくほぼ日アプリでスキマ時間を楽しもうと思います。 飽きたら消せばいいし。 最近流行の「note」もいいんですが、質の高さはやっぱりこっち。 UIも優れていて、文字も読みやすいフォントで表示されます。 通知がうざいですが、設定で消せば問題ありません。 エッセイのみならず、インタビューも読めるのがデカい。 【糸井重里のエッセイ】 最近読んだnot
継続 少し前に、ブログの継続日数に関して、こちらの記事から言及されました。 www.ituki-yu2.net 過去に何度も書いて来たんですが、ボクは、はてなブログに特に興味はありません。 たまたま、はてなを使っているだけで、別にアメブロでも何でも良いのです。 大切なのは内容なので。 はてなブログ以外に広げれば、長期継続者はもっとたくさんいますしね。 まあそれはさておき、ボクが気になったのは、 人生をもっとブログで無駄にする と言う部分ですね。 価値 まず、ブログと言うのは義務では無いので、続けようが辞めようが、個人の自由です。 だから、毎日更新するコトが正しいかどうかと言う議論自体が無意味だと思っています。 毎日更新したい人にとっては更新するコトが正しいし、毎日更新したくない人にとっては毎日更新しないコトが正しいわけです。 要は、 人による ですね。 その前提で、ボクが毎日更新しているの
まずはじめに、「内言」と「外言」という言葉をご存知だろうか。心理学で用いられる用語で、それぞれ次のように説明される。 内言: 発声を伴わずに自分自身の心のなかで用いる言葉 外言: 外に向って発せられ,他人との相互交渉の用具としての機能をもつ音声化した言葉 内言(ないげん)とは - コトバンク 外言(がいげん)とは - コトバンク わたしたちは普段日本語で考え、日本語で話し、日本語を読み書きしていると思っているが、実は頭の中で使っている言葉と、外の世界で音や文字として実体を得た言葉の間には違いがあるのだ。 頭の中にある考え、思いは内言として組み立てられる。内言は人それぞれの独自の形を持つ。圧縮と省略が頻繁に起こり非文法的に組み立てられる。 文章を書いたり誰かと話したり、外の世界に自分の言葉を出力するとき、そこに内言から外言への翻訳が起きる。これを普段わたしたちは〈言語化〉と呼んでいる。外言は
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く