岡山、広島、香川など全国で1万3000人以上の被害者を出した「森永ヒ素ミルク事件」から50年。安全であるはずの粉ミルクに、人生を大きく変えられた被害者は50歳前後、両親は70~80代の高齢者となった。今も知的障害など心身の後遺症に苦しみ、将来の生活に不安を抱き続けている。 「死の粉を栄養分と信じ、嫌がる長女に与え続けていたんです」。備前市の母(77)は涙を浮かべながら語る。長女が生まれたのは一九五四年末。母乳の出が悪く、近所の薬局で森永乳業の粉ミルクを購入し長女に飲ませていた。 異変は数カ月後に表れた。三九度を超える高熱と激しい嘔吐(おうと)。長女は一日中泣き続け、駆け込んだ近所の病院で「原因不明」と告げられたという。 同じころ西日本一帯では、乳児に奇妙な病気が広がっていた。発熱、下痢、貧血、皮膚が黒くなるなどが共通の症状だった。岡山大病院や岡山赤十字病院に、幼い子を抱えた母親が長蛇の列を