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reviewに関するnoshukeのブックマーク (20)

  • 一青 窈さんのPVがすごすぎる件について(コメント欄) - 深町秋生の新人日記

    焼酎の湯割りを飲みながらスペースシャワーTV見てたら仰天してしまった。湯割り吹いちまったじゃねえか、この野郎。 音楽専門チャンネルだけあって、敵性音楽であるJ−POPのPV(プロモーションビデオ)がひんぱんに流れているのだが、どいつもこいつもあいかわらず青空を見上げたり、陶酔しきった表情つくったり、バカップルみたいにいちゃいちゃしてたり、ブサメンのレゲエ野郎が宗教臭い説教かましたり(ET−KINGってなんの宗教にはまってんだろう。ハーレルーヤーとか唱えるし。大阪は変な宗教いっぱいあるもんな)当に反吐がでそうになるのだが、そうとわかっていてもなぜかチャンネルを合わせてしまう。困ったことだ。 たまに電グルのPVのような心洗われるのもあるし、何年も鑑賞していると、たいていのPVでは驚かないのだが、さすがに一青 窈のやつはマジでびっくりしてしまった。当にやばい。公開カルト宣言って感じなのだ 個

    一青 窈さんのPVがすごすぎる件について(コメント欄) - 深町秋生の新人日記
    noshuke
    noshuke 2008/02/26
    レゲエの奥深さも知らず、まるでデュランデュランでロックを語るようにET-KINGでレゲエをディスってるのだとすれば、それこそ氷山の一角。オルタナ齧った程度の浅い知識で音楽評論家きどり?(これも氷山の一角?)
  • 松本人志はすべらない話にかぎかっこを付けている

    さんま「あれが面白いんだ~!?」 「松のすべらない話」を痛烈批評 松がこの番組でやっているのは、芸人が普段しゃべっているおもしろい話に「かぎかっこ」を付ける作業なのだと思います。つまり、これからおもしろい話をしますよ、ここからここまでがおもしろい話なんですよ、と声高に宣言する。そのことによって、話をする芸人も耳を傾ける視聴者も緊張を強いられることになる。その緊張感を楽しむ、というのがこの番組の仕掛けです。 貴族の邸宅のようなセット、カメラマン含む全員がタキシードの正装、語り手を決めるサイコロ。それらすべてが、笑いという目的地に着地するまでの緊張感を高める仕掛けとして機能しているのです。 そして、最大の仕掛けは、ホストである松人志の存在そのものです。20~30代のプロの芸人にとって、松人志の目の前で持ちネタを披露しなくてはならないという状況そのものが、強い緊張感を生むことにつながって

    noshuke
    noshuke 2008/02/23
    『かぎかっこ』という表現が理解しやすい。"すべらない"と銘打つ事で生まれる緊張感というのも納得。逆に言えば、明石家さんま自身はすべらんし凄いけど後輩芸人にこういう場を与えてるようには見えない。
  • THE レイプマン

    [TOP  Impre] THE レイプマン #1:序文 #2:主要キャラ #3:依頼者達 #4:テクニック #5:クイズ #6:名エピソード #7:続・名エピソード #8:アクシデンタル #9:味キャラ伝・パート1 #10:RAPEMAN・HEADBANGERS・JOURNEY [TOP  Impre]

    noshuke
    noshuke 2007/12/07
    レイプを題材にした漫画「THE レイプマン」レビュー。必殺技:三浅一深、∞無限大、スクリュードライバー、トライアングル、ダブルリング、M36、Gクレフ、秘技卍ハーケンクロス
  • 淀川長治のカミングアウト

    映画評論家で「日曜洋画劇場」の解説者としてもおなじみの顔だった淀川長治は、晩年の栖(すみか)を東京六木の全日空ホテル34階の一室で過ごした。ひとり暮らしをするうえでホテル住まいが何より便利で快適だったこと、そのホテルが当時番組の解説をしていたテレビ朝日のすぐ近くにあったことから、約10年あまりをそこで過ごしたのだった。晩年彼の口癖は「もうすぐ死にますから、何でも聞いてください」で、死に際は「映画館で映写が終わったのに、まだ座っている老人がいる。従業員が『お客さん、もう終わりましたよ』と声をかけると、死んでいた。そんな最期が最高」と願っていた。映画映画館で見るのがベストというのが彼の持論だったそうだが、テレビ映画解説を引き受けたことについてはこう語っている。 正直申してジョン・フォードの『駅馬車』をテレビで見るのはしんどい、つらい。だが、見ないよりはいい。それもテレビでやると、いつもは

    noshuke
    noshuke 2007/11/15
    そのシュワちゃん(淀川長治命名)が今やカリフォルニア州知事となり、同性愛や同性婚に反対の立場をとってるなんて、淀川長治さん 天国で悲しんでるしょうね。
  • 「ねえねえ、他人に媚を売るのって気持いい?」 「外面じゃなくてさ、中味で目立ちたい」 - 月がでたでた月がでた

    クラスに、必ずひとりは、人気者の女の子っているじゃない?私は、そういう女の子たちを、すごく斜めに見てたね。当は、こうこうこうのくせして、いい子ぶるんじゃないよ、とかね。 全然目立たなくてさ、欠席しても気付かれないタイプ。私は、自分の立場をそういうふうに持って行くことに、すごく満足してた。私のこと、全然目立たないどんくさい子だと思ってるでしょ。でも、クラス全員の心の中を取り出して並べたら、一番、目立っちゃうのは、私の心なんだよ、なんて思っちゃって。見えない所でいつも私は皮肉に笑ってたね。 わー、陰険!! って私が言うと、あら、それってすごいことよ、と、ママは溜息をついている。私さあ。と、ちかは続ける。 太宰治の「人間失格」を読んだ時、思わず、あっと声を上げたね。あの中でさ、優等生の主人公が、鉄棒にわざと失敗して、皆の笑いを誘うところがあるんだ。で、クラスの連中は快くだまされるんだけどね、そ

    「ねえねえ、他人に媚を売るのって気持いい?」 「外面じゃなくてさ、中味で目立ちたい」 - 月がでたでた月がでた
    noshuke
    noshuke 2007/11/05
    id:fenethtool のコメントで村上春樹の「沈黙」読み返した。このエントリーでよく「沈黙」が浮かびましたね。読み始めるまで物語を思い出せなかった。「人間失格」は確か人気者の視点でしたよね。
  • 「いのちの食べかた」頭切られて腹裂かれる・・・牛や豚の「加工」現場、生々しく

    原題「OUR DAILY BREAD」(われら日々の糧)は聖書の言葉。我々の卓に上る材を生み、届ける現場を描いたドキュメンタリー作品だ。ナレーションは一切無し。ドイツ・オーストリア映画だけに話し言葉はドイツ語と、労働現場のトルコ人やアフリカから来た黒人の言語で全く理解できず、字幕も無い。一風変った記録映画だ。 人間が生きて行くために物として供される肉、野菜、魚、果物の数々。これらの材はどのように生産され、どのように加工され我々の卓にのぼるのだろうか? 例えば牛や豚、鳥などの肉類は300万トン。何万羽ものヒヨコが、鶏が、ベルトコンベアや動く金属の溝で運ばれ、足を吊られ、羽根をむしられ、頭をちょん切られ、続々と加工される。ヒョウキンな顔をして鼻を突き出している豚も次々と殺され、宙吊りで腹を裂かれて内臓が飛び出す。足を切りとり、内臓を選り分ける作業員たちの、無表情、無感動で淡々と仕事

    「いのちの食べかた」頭切られて腹裂かれる・・・牛や豚の「加工」現場、生々しく
    noshuke
    noshuke 2007/10/19
    現代人が抱きそうな感情を代弁して、あえて挑発的な書き方しているんちゃうかな。本来は食す人間それぞれが行うべき屠殺。それを頭で理解はしていても実際に目の当たりにすれば、口にはせんけど残酷と感じる。
  • ジョエル=ピーター・ウィトキン

    ジョエル=ピーター・ウィトキンの写真群には、一見すると悪趣味ともとられかねないグロテスクな肉体や、もはや人体と呼ぶことも不可能な残骸であふれかえっている。 それは、手術途上の性転換者や死んだ胎児、手足が変形してしまった女、異様に肥満した女、解剖中の屍体や小人などである。 これらの肉体、あるいはその残骸は、骸骨、十字架、多種多様なマスク、天使を思わせる羽といった小道具や猿、犬、馬などの動物と組み合わされ、暗く薄汚れた廃屋のようなセットを背景に、ひとつのイメージにまとめあげられる。 たとえば、黒いベールをかぶった裸の女が、その豊かな胸の前に抱えているのは物の老人の首であり、途方もなく肥満した女は、ヴァギナに人参をつき立て、おなかの大きな妊婦は、不気味な仮面で顔を覆い、蛇を抱きかかえている。 また、ひとつの首の左右の横顔がおぞましい接吻をかわし、断末魔の表情をたたえた猿が十字架に磔にされている

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    noshuke 2007/10/03
    評論家、大場正明氏による写真家ジョエル=ピーター・ウィトキンについて
  • +++crisscross+++ 大場正明

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    noshuke 2007/10/03
    評論家の大場正明氏のホームページ。映画を中心に、書物、音楽、政治、社会、料理、インターネットなど
  • 映画評 - SiCKO : 404 Blog Not Found

    2007年09月29日01:15 カテゴリ書評/画評/品評Medicine 映画評 - SiCKO 豊洲で最後の上映に何とか間に合った。 映画『シッコ SiCKO』公式サイト ダントツで、マイケル・ムーアの最高傑作。 作「SiCKO」のキャッチコピーは、「テロより怖い、医療問題」であり、Wikipediaの以下の表記は間違いではない。 シッコ - Wikipedia 『シッコ SiCKO』は、アメリカ合衆国の医療制度をテーマとしたドキュメンタリー調、かつコメディー調のアメリカ映画。 が、作(に限った話ではないが)、Michael Moore のメッセージは、医療問題留まらない。 彼のメッセージはシンプルだ。 「我が国ではいい車であれば外国車でも乗るし、外国産のワインでも飲む。医療や福祉だってそうすればいいじゃないか。出来っこないというが、無料の警察、無料の消防署、そして無料の図書館を我

    映画評 - SiCKO : 404 Blog Not Found
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    noshuke 2007/09/29
    "笑いの方向も「悪い奴らを笑い飛ばす」のではなく、「自分達が悲劇的な状況にあることにも気づかない自分達のアホさを笑う」という方向に変わっている"~大衆を惹きつける飽きさせない笑いのセンス、巧いなー
  •  恋ニ酔ヒ、愛ニ死ス ―「らも 中島らもとの35年」 中島美代子・著 ― - 花房観音  「歌餓鬼抄」

    「中島らもが、死んだ」 平行線のままのどうしようもなく暗い話の最中、ふいに電話の向こうの男がそう言った。 電話の相手は、私が19歳の時に出会った私の初めての男。私はその頃、彼に貸す為に借りたサラ金の返済がどうにもならなくなり、全てが親にバレて実家に戻って罪悪感と自分自身の愚かさと未来の見えなさでグチャグチャになっていた。それでも何とか金を少しでも返して貰えないだろうかと知人を通じて彼に交渉していた。直接話すと私は「負けて」しまうから知人に間に入って貰ったのだ。 知人から連絡が来た彼は逆ギレして私に電話をかけてきた。「返して」「無いものは返せない、それに俺はお前の欲しいものを与えてやってたじゃないか」何十回も繰り返したどうしようもないやりとりにお互いうんざりし疲れてしまい沈黙が訪れた。私は泣き疲れ怒鳴り疲れていた。その沈黙を破り、ふいに彼が中島らもの死を告げたのだ。 彼は一時期、小説家になる

     恋ニ酔ヒ、愛ニ死ス ―「らも 中島らもとの35年」 中島美代子・著 ― - 花房観音  「歌餓鬼抄」
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    noshuke 2007/09/02
    混沌とした状態に身を置くのが好きで、その渦中で妙にバランスをとるのがうまい人というイメージがある。その彼が酔って階段から落ちたのは皮肉としか言いようがない。
  • [書評]カラマーゾフの兄弟(亀山郁夫訳): 極東ブログ

    爽快に読める亀山郁夫新訳が全巻揃うまで読書開始は待とうと思っていたが、最終巻を期待していた春頃、なかなか出ないので、よもやまたかという懸念があったが、7月に5巻で完結した。訳者の苦労に感謝したい。そして50歳になってこのが読めたことを深く自分の人生の喜びとしたい。 大げさな言い方だと自嘲もするし、私など些細な存在だが、この書籍に呪われたような人生だった。私はある意味では早熟でクラソートキンの歳でこの作品に挑んだ。旺文社文庫箕浦達二訳で読み始めたのだった。ロシア語はわからないが(それでも大学で学んだっけと思い出す)良い訳だった。が、二巻までしか出版されなかった。その後旺文社文庫自体が消えた。魯迅もプラトンも鴎外も漱石も私は旺文社文庫で読み、学んだ。 いつの日か箕浦訳が出ると確信していて3年が過ぎ、5年が過ぎ、10年が過ぎた。アリョーシャの歳にもなった。そしてその歳も過ぎた。しかたなく継ぎ接

  • Passion For The Future: 視界良好―先天性全盲の私が生活している世界

    視界良好―先天性全盲の私が生活している世界 スポンサード リンク ・視界良好―先天性全盲の私が生活している世界 先天性全盲である著者が、聴覚、触覚、嗅覚をフル稼働させて、どのように世界を認識しているかを書いた。この表現が適切かどうかわからないのだが、”目から鱗が落ちる”記述の連続である。そして面白い。 生まれてから世界を一度も見たことがない著者にとって、見えないということは何かが欠落しているということではない。視覚ナシで全方位の世界認識を確立しているわけであり、その視界は常に良好なのである。 著者の日常生活の記述は、視覚アリの人にとっては、非日常であり、驚きと気づきの連続である。たとえば「目が見える人が絵を描くとき、目で捉えられないものは描かないという話は私にとって大きな衝撃でした」という一文から、世界認識の大きな違いが見えてくる。 このは、日々の生活や幼少時代を振り返った短いエッセイ

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    noshuke 2007/07/31
    "生まれてから世界を一度も見たことがない著者にとって、見えないということは何かが欠落しているということではない。視覚ナシで全方位の世界認識を確立しているわけであり、その視界は常に良好なのである"
  • Passion For The Future: 妄想に取り憑かれる人々

    « SecondTimes創刊 と ウェブ仮想社会「セカンドライフ」 ネットビジネスの新大陸 | Main | 普通の手書きメモがデジタルに エアペン アイデマアラソン スターターキット » 書評:脳・こころ |書評: 企画・発想| 書評文化・文明|書評:経済・経営 |書評:子 供・教育|書 評:小説・戯曲|書評:ネット活用 |書評仕事・管理|書 評:メディア論|書評:その他|書評:思想・哲学 |書評 :文章・表現|書評:認知・心理 |書評:神 話・宗教|書 評:科学・技術書評:社会・世間 |書評教養 ・雑学 2006年度 年間オススメ書籍ランキング ノンフィクション部門 2006年度 年間オススメ書籍ランキング フィクション編 2005年度 書籍売り上げラン キング ベスト20 2005年度 年間オススメ書籍 ランキング ベスト20冊 2004年度 人気記事ベスト10 アクセス

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    noshuke 2007/07/19
    "「おぞましい想念」を考えてしまう精神状態に関する、強迫性障害~最良の方法は~その想念と向き合わせる暴露療法~おぞましい想念は飼いならして、想起してもスルーできるようにするのが最良の解決策"
  • Passion For The Future: ぼくには数字が風景に見える

    ぼくには数字が風景に見える スポンサード リンク ・ぼくには数字が風景に見える 円周率22500桁を暗唱し、10ヶ国語を話す天才で、サヴァン症候群でアスペルガー症候群で共感覚者でもある著者が書いた半生記。これらの病は稀に天才的能力を持つ者を誕生させるが、自閉症やその他の精神障害を併発することが多いため、こうしたを書ける人が出てくることは稀である。 まさに天才の頭の中がのぞける貴重な内容。 「ぼくが生まれたのは1979年の1月31日、水曜日。水曜日だとわかるのは、ぼくの頭のなかではその日が青い色をしているからだ。水曜日は、数字の9や諍いの声と同じようにいつも青い色をしている。ぼくは自分の誕生日が気に入っている。誕生日の含まれている数字を思い浮かべると、浜辺の小石そっくりの滑らかで丸い形があらわれる。滑らかで丸いのは、その数字が素数だから。31,19,197,79,1979はすべて、1とその

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    noshuke 2007/07/12
    "「ある数を別の数で割ると、回りながら次第に大きな輪になって落ちていく螺旋が見える。~ぼくは頭のなかで視覚化できるために、13÷97のような計算も小数点以下第100位くらいまで計算できる」"
  • http://www.pcs.ne.jp/~yu/sf/altered.html

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    noshuke 2007/06/16
    1980年SF映画「アルタード・ステーツ」の下敷きとなった脳科学者ジョン・C・リリーの話。
  • 2007-05-24 - 空中キャンプ

    最近、巷でちょっとだけ話題になっているアダルトビデオ、「もしも朝の通勤電車ががっついたベロキスをするカップルで満員だったら。」を見ました。これはレンタルされていないので、見るためにはDVDを買うほかなく、わたしは3,800円だして買ってきました。いくらか割高感がありますが、もう、すごく見たかったの。たまらないほどに。だから、渋谷の高架下にあるエロDVD屋さんの店内を、きわきわの集中力で探して、見つけてきました。監督は、二村ヒトシさん。名著、「モテるための哲学」*1の著者ですね。わたしは二村さんのにかなり傾倒しているので、このビデオもとてもたのしみにして見ました。いったいどういう内容か、DVDのパッケージにある説明文を転載します。 「身動きできない朝の通勤電車の中で、まず一組のバカップルが、人目もはばからずイチャつき、やがて濃厚な接吻を開始した。迷惑そうな、うらやましそうな周囲の人々。やが

    noshuke
    noshuke 2007/05/25
    あまりに非現実的シチュエーションやけど、現実的な「朝の通勤電車」というロケーションが、それをうまくカバーしているんでしょうか
  • [書評]アフターダーク(村上春樹): 極東ブログ

    もう少し間をおいてから読むつもりだったのだが、なんとなく夜というものにつられて「アフターダーク(村上春樹)」(参照)読んでしまった。日では長編という扱いになっているのだろうか。しかし長編というほどの重さはなく、さらっと数時間で読める。私は朝を迎える前に読み終えてしまったのだが、できたら、そのまま渋谷の深夜でぶらぶらと彷徨して読みたかったようにも思う。街の深夜が、いとおしいというのでもないが、とてもキーンに感じられた。 この作品も従来の春樹らしい作品だと言える。あるいは言えると思う。冒頭の「私たち」の映画的な、あるいは無人称的で超越的な(吉隆明のいう世界視線のような)視線を維持する文体が少しばかり従来の村上春樹とは違った印象も与えるが、展開されているエピソードと会話はむしろ初期の村上春樹の短編を特定の主人公に寄りあわせたようになっており、その意味では短編集という趣も感じられる。 作品の統

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    noshuke 2007/03/18
    「アフターダーク」は一読しただけで村上作品の中では本当に「よくわかんないけど、その話のいったいどこが面白いの?」といった感じであまり良い印象がない作品でした。これ機会に読み直してみようとおもう。
  • Amazonサインイン

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    noshuke 2006/09/17
    Amazonで本のレビューを書いてみました。
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    恋人と別れて30年が過ぎ、その元恋人の娘と出逢う夜 古い友人であるShellyからメッセージが届いた。「私の娘のAdrienneが日に行くのだけれど、時間取って彼女と会ってくれるかしら?」 Shellyはアメリカ在住の白人女性だ。Shellyと俺との関わり合いは、過去に書いた。こちらを参照のこと。25歳に戻れた夜~ブライアン・…

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    noshuke
    noshuke 2006/09/17
    "本のレビューを書きたい人はAmazonで書いたらどうだろうか?"
  • 日本ロック雑誌クロニクル 第1回 中村とうようと『ニューミュージック・マガジン』

    ロック雑誌クロニクル 【インターネット版】 (1)中村とうようと『ニューミュージック・マガジン』 篠原 章 ※ネット版は『クィック・ジャパン』(第30号・2000年4月・太田出版)収録のものと若干異なります。 「ロック」という言葉がまだ手垢にまみれていない、フレッシュな響きをもっていた70年代、「中村とうよう」といえば“泣く子も黙る”と形容されるような、強面の音楽評論家としてロック・ファンのあいだで知らぬ者はなかった。音楽評論家というより元祖・ロック批評家、いや“日のロック・ジャーナリズムの祖”といっても言い過ぎではない。外来サブカルチャーとしてのロックを日に定着させ、「日のロック」を育てた雑誌『ニューミュージック・マガジン』(現在の『ミュージック・マガジン』)の創始者・初代編集長として今も日音楽ジャーナリズムの頂点に立つ。 日のロックの成長とともに年を重ねてきたぼくにとっ

    noshuke
    noshuke 2006/06/26
    ミュージック・マガジンのとうようズトークはよく読んでました。
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