1925年にクロアチアで生まれ、20歳でカナダに移住する。 いわゆる「ストロングマン(怪力男)」として列車を引っ張るなどのショーを行い、またプロレスラーとしても活動を始める。 1961年に初来日し、日本プロレスが開催する第3回ワールドリーグ戦に参加、力道山などとも試合を行ったが、単なるイロモノであり実力は無かった。 しかし試合前には子供たちで満員の大型バス4台を引っ張るなどのデモンストレーションを行い、毛むくじゃらの顔、太い鎖、獣のような奇声などといった風貌と合わせて大人気となった。 その人気で増長したのか、ギャラのアップを訴えたり、「俺のおかげで力道山は儲けている」と言いふらしたりするなど、業界の掟を破るような行いが目立ったので、カール・ゴッチらに制裁されてしまった。 アントニオは逃げるように帰国したという。 1977年に再来日、全盛期のアントニオ猪木と「アントニオ対決」で試合をするが、