「自分が正しい」にこだわりすぎない心の柔らかさを――『寛容力のコツ』の著者に聞く(第2回) 2017/7/21 柳本操=ライター 怒りにとらわれることは人生の主導権を明け渡すこと 「被害者意識が強い人ほど怒りっぽい」という指摘も、意外でした。怒っている人は、むしろ、誰かに嫌な思いをさせるという点で、加害者なのでは、と思っていたのですが。 下園さん 身に覚えがありませんか。イライラしているときというのは、決まって、「なんで私だけがこんな目に遭わなくちゃいけないの?」「こんなに頑張っているのに!」「自分ばかりが損してない?」という思いが心に渦巻いています。これは、原始人的に考えるとご理解いただけるはずです。 原始人にとって、自分が頑張った労働への成果(食糧の分け前)が期待外れに少ないことや、自分だけが疲労してエネルギーがなくなること(戦闘力の低下)は憂うべきこと。なぜなら命の危機に直結するから
瞑想中にわき起こる思考や感情、体の変化などをそのまま観察して受け流す方法。「今、涼しいと感じているな」「肩にコリを感じているな」など頭に浮かんだ思考・感覚をそのまま映像で見ているかのように客観的に観察するもので、やや上級者向け。判断を加えずフラットに観察するのはなかなか難しいため、頭に浮かんだことを次々と実況中継していくという方法がよくとられるという。 観察瞑想をすると、集中瞑想とのときとは違う、「デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)」が活性化する。DMNは脳の複数の領域で構成されたネットワークで、過去のさまざまな感情や記憶などをつなぎ合わせるときに重要な役割を果たすと考えられている。そして、何かに集中しているときは活動レベルが低下し、逆に何も考えていない“アイドリング状態”のときに活性化するといわれる。観察瞑想を行うと、このDMNが活性化することで、さまざまな経験や記憶、知識が組み
認知症患者との対話法「バリデーション」、家庭でできる5つのテク 2016/9/28 伊藤左知子=医療ジャーナリスト 2016年9月8日の記事「暴言や徘徊がなくなる!?認知症患者を救う奇跡の対話法『バリデーション』」で紹介し、大きな反響を得た認知症の人との心の通うコミュニケーション法「バリデーション」。認知症が進んでも最後まで失われない機能「感情」に働きかけるとして注目されているこの対話法について、今回は家庭でも行えるテクニックを、関西福祉科学大学社会福祉学科教授の都村尚子さんへの取材を基に紹介する。 バリデーションは感情を表出させる対話法 介護する側はよかれと思って笑顔をキープすることが多いが、自分が悲しんでいるときに笑顔で話しかけられると、認知症の人は「こんなに悲しいのに笑っていて、この人は分かってくれない」と心を開いてくれない場合が多いという。(©PaylessImages 123-r
「メンタル不全に陥っている人が増えた」と感じる場面に、このところ立て続けに遭遇している。 講演会で、打ち合わせで、講義で、プライベートの集まりで、 部下が、 同僚が、 パートーナーが、 「ウツになってしまって……」と、みんな、みんな、切ないほど悩んでいた。 大切な人がストレスの雨でびしょ濡れになるのは、とてつもなくしんどい。四六時中「なぜ、そんなことになってしまったのか? どうすれば力になれるのか?」という問いに脳内が埋め尽くされる。 上司は部下への仕事の与え方に悩み、同僚はつきあい方に悩み、妻はひたすら自分を責め続けていた。 「夫がウツになってしまって……。なんでこんなことになってしまったんだろう、って」 講演会が終ったあと、ひとりの女性が、涙をうかべながら話し出した。 彼女の話には、現代の社会で起こっているさまざまなひずみと不条理が語られていて。聞いていてとんでもなく悲しくなった。 そ
「怒り」は、人類が生き残るための本能だった 柿木さんは、「人間が怒りの感情を持つのは当然のことなのです」と話す。 「怒りという感情は、目の前の敵に対して、襲いかかるか逃げるかをカラダに実行させるために発生するものです。つまり、生存するためには欠かせないものなのです。怒りの発生自体を防ぐことはできません」(柿木さん)。地球の長い歴史のなかで、人間が敵から身を守り、淘汰されずに生き延びるためには、大脳辺縁系に生じる怒りの感情は不可欠なものだったのだ。 ところが文明が発達するにつれ、そうした本能に近い感情を抑えることが必要になりはじめた。現代の私たちの生活においても、「怒りたいことがあっても、仕事で成果を出すためには我慢しよう」「顔を合わせたくない相手だけれど、人間関係でトラブルを起こさないためにも会うしかない」というように、感情をコントロールしなくてはならない状況が増えている。 つまり、私たち
先日来、待機児童の問題が各方面で議論を呼んでいる折も折、4月に開園予定だった私立の認可保育園の計画が、住民の反対で開園中止になったケースが新聞に取り上げられた(こちら)。 保育園の開園断念が話題になる少し前に、先月の30日から放送されていた日清食品「カップヌードル リッチ」の新CM「OBAKA’s UNIVERSITY」シリーズの第一弾が、視聴者からの苦情を受けて放送中止に追い込まれたというニュースがあった(こちら)。 問題となったのは、出演者の一人、矢口真里(33)が、「二兎を追うものは一兎をも得ず」などと、自らの不倫騒動をネタにした部分だったようで、日清食品の担当者は、視聴者から「不倫や虚偽を擁護している」との声が数多く寄せられたと説明している。 今回は、この二つのニュースを考えてみたい。 発端から考えれば、二つの事件は、別の出来事だ。が、「苦情」を寄せる人々と、それに対応する組織なり
「保育園落ちた日本死ね」というブログの文章が不思議な反響を呼んでいる(こちら)。 このテキストが、最初にネット上で評判になったのは、2月半ばのことだ。 それが、あれよあれよという間にネットの外の世界に波及し、国会の質疑で引用される展開になった。さらに、新聞紙上で議論を呼び、署名運動を誘発し、最終的には国会前でのデモを主導する一大政治的ムーブメントに発展しつつ現在に至っている。 私がはじめてこのショートテキストを見かけたのは、ツイッターのタイムラインに流れてきた誰かの書き込みから辿り着いたリンク先だったと思う。 一読して、すっかり感心した。 内容もさることながら、21世紀の口語文のテンプレートとして見事な完成度を備えていると思ったからだ。 インターネットの世界には、時おり、この種の話し言葉で書かれた汎用性の高い型見本が登場する。 最も有名な例は、いわゆる「吉野家コピペ」だろう。これは名作だ。
さあ、チンケな優越感に染まらないようにしよう。いかに有名になっても、いかに金回りがよくなっても、チンケな優越感が身を滅ぼす、と思えばいい。 それには、開発の結果は皆の成果であると決めることだ。チンケな優越感とは、人間個々の内に有るもので、企業や組織に有るのではない。あくまで、一人の人間としての感情であり、性癖であるから、個々の優越感を最初から叩いてしまえばいいのである。 だがしかし、開発チームの中に一人でも、そのような人が現れたら要注意だ。もしもそのような人物が現れたら、全力を挙げて、その人のチンケな優越感を押さえ、消去しなければいけないのである。チンケな優越感は、なぜか、ウィルスのように伝染し蔓延するからである。 ところで、お前にチンケな優越感はあるかって? う~ん、正直に言うとある。と言うか、チンケになってしまった(しかも随分昔から)ところがある。 それは、私のてっぺん。頭髪がチンケな
■なぜ人は会社で取り乱してしまうのか 人が職場で取り乱す理由は、個人的なものから仕事上の問題までたくさんある。職場でどれだけ多くの時間を過ごしているかを考えると、人々がときおり職場で感情を抑えられなくなるのは避けがたいことのように思われる。だが、マネジャーは部下の涙にどのように対処すればよいのだろう。 感情的な行動に対しては、それが陽気なものだろうと悲観的なものだろうと、多くのマネジャーが戸惑いを感じる。「人々はプロフェッショナルであろうとし、そのためには自分の感情や周囲の人々の感情を無視する必要があると思っている」。こう語るのは、ミシガン大学ロス・スクール・オブ・ビジネスの経営組織論准教授、ジェフリー・サンチェス・バークスだ。彼の調査によると、この姿勢はアメリカのほとんどの職場で規範とされている。だが、この規範を守れる人はほとんどいない。「われわれは職場の入り口で人間らしさを脱ぎ捨て
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