特攻隊の出撃基地だった鹿児島県の知覧は、お茶の産地としても知られる。 ちょうど今は茶摘みの時季。抜けるような青空の薩摩半島の南端に、鮮やかな緑色の茶畑が広がり、真っ赤な茶摘み機がせわしなく動いている。まるで赤い甲虫みたいな茶摘み機が、広大な緑地をはんでいるようだ。茶畑といえば、静岡のように山間地の傾斜地が当たり前と思っていたが、ここは違う。平坦(へいたん)な大地に見渡す限り茶畑が広がっているのだ。 薩摩藩は武士を鹿児島城下に集めず、領内各地に分散して住まわせてきた。知覧もその一つ。いまも残る武家屋敷の生け垣には茶が植えられている。「自分で摘んで飲んだのでしょう」。知覧、頴娃(えい)、川辺の3町が合併してできた南九州市の瀬川芳幸参事(60)は言う。瀬川さんは農協職員から知覧町役場に転じ、同市茶業課長を務めた。知覧茶ひとすじの「生き字引」的存在だ。 薩摩藩は先進地の京都・宇治に学びに生かせるな