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さざれ石に関するyamatonatuのブックマーク (5)

  • 中年の危機について(40代女性のサンプル) - Really Saying Something

    中年の危機について - phaの日記 すごいだるいのでがんばらねばならない - G.A.W. コンビニ店長お元気かな。同世代だったはずなので、平穏に暮らしておられることを願っております。割とまじで。ネットですれ違った人の幸せを願う気持ちが割と昔から強いです。20代前半の頃、Web日記をきっかけにオフ会で遊んでくれた皆さま、Web日記を読むだけしかつながりはなかったけどメールのやり取りをした人たち、なんならWeb日記でお互い言及し合った人たち。皆さんお元気にしておられるだろうか。先日も「日記猿人」で間接的にお世話になったえんどーさんの訃報をお聞きして、そんなことを思いました。 私は結婚していて子供はおらず、基的にはずっと働いているので、男性の大厄(数えで41、42、43)とだいたい同じような感じでいろいろ山が来るんだろうなーと思っていました。上記の通りWebで遊び始めたのが20歳くらい(そ

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  • 有働由美子アナをハッとさせた篠田桃紅さん・104歳の恋愛、結婚、幸福観 - wezzy|ウェジー

    2018.01.02 19:00 有働由美子アナをハッとさせた篠田桃紅さん・104歳の恋愛結婚、幸福観 「若者の恋愛離れ」「非婚社会」「官製婚活」などと聞くと、心がざわつきがちだ。規範づけられた恋愛結婚というものに乗れない人にとっては、恋愛結婚のハードルは高い。そもそも恋愛観も恋愛のやりかたももっと自由でいいし、結婚(というか婚姻生活)のありようだって夫婦ごとに色々でいいはずだ。しかし、あるを読んで、そんなモヤモヤに、ヒントをもらったような気がした。 篠田桃紅(しのだ・とうこう)さん、104歳、1913年(大正2)生まれ、現役美術家である。父の「必ず結婚するように」という遺言に背き独身を貫いた桃紅さんは、1956年43歳で単身渡米、ニューヨークで水墨の抽象画が高く評価された。現在も1人暮らしをしながら創作活動を行っている。 2014年に出版された桃紅さんの自伝『百歳の力』(集英社新書

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  • 親戚の青年が20代で自殺した

    思い出す。 その子が幼い頃、私が付き添って近所の公園で遊んだ。 ターザンロープ遊具で、私が背中を押した。 強く押しすぎて、 向こうの終端に勢い良くぶつかり、 弾みでその子が地面に叩きつけられた。 「やべえっ」と急いで駆け寄ったが、 その子は泣かなかった。 ぐっと涙をこらえていた。 強い子だなあと思った。 その子が高校でラグビー部に入ったと聞き、 上の事を思い出して「やっぱり強い子だったんだな」と思った。 その子が大学を中退し、 数年修行した後で個人で飲店を始めた。 それが上手くいかず自殺した。 若い頃の失敗は自分にもある。 配送の仕事で、職場のおばちゃんから少しキツイことを言われ、 そのショックで配送車ごとバックレた。 自分も死のうと思ったが、 勇気がなくて2日後に戻り、解雇された。 祖母の事も思い出した。 私が小さい頃の祖母は、どっしり構えて貫禄があった。 実家も嫁ぎ先も農家だから、戸

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  • 最終学歴で何を買うのか

    高校三年生の甥っ子が「進路めんどい」とうだうだしていた。「大学受験はかったるい」「専門学校でいっか」「とにかくどこでもいいから行け行け担任も親もうるさくて」。 なんでも聞いてくれるというお墨付きをいただいた私は傾聴に努めるけれど、心はふんわりと自分の中へと潜り込む。 自分の高校時代を思い返してみると確かに、あの頃は何をしたいかなんてさっぱりわからなかった。 姉(甥っ子の母)が優秀だったので何一つ問題なく高学歴ルートに入るのをなんとなく劣等感にまみれた目で見ていた。 周囲の目を気にしながらも、あの時なりにつくった理由(将来の夢?)を足かせに大学受験をしたことを覚えている。 妹は私よりずいぶんとハッキリとした夢を描いて一年後専門学校へ進学した。 弟は目的がなかったことと経済的余裕がないことを理由に高校卒業後働いた。 だから、大学と専門学校という最終学歴を持つこと、そして最終学歴を高校とすること

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  • ころころと転がる石のように - Really Saying Something

    神奈川で生まれ育ち、東京の会社に就職し、きっと一生家族を支えて生きていくのだろう、結婚もしないだろう、と思って31歳まで過ごした結果、なぜか結婚することになった。 5年ほど交際していた人(夫)は、私が結婚に踏み切るであろうタイミングをいろいろとはかっていたらしい。具体的には両親の離婚で、父と母両方をなんとかして看取るところまでやり遂げなければ、とずっと考えてきた私は「片手が空いた」と思った。それは率直に夫となる人にも伝えた。自分が置かれている家庭環境は包み隠さず話していたし、それで「結婚はしない」という結論になってもおかしくないという前提で淡々とお付き合いが続いていた。そこに良いチャンスが巡ってきたわけだ。私は「こういう状況で結婚を申し込まれたのであれば受けるのが漢(おとこ)だ」と決意し、婚姻届を提出するに至った。 夫は夫で、弱ってきた父(物故)の近くに住まねばという気持ちを持っていた。結

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