タグ

関連タグで絞り込む (2)

タグの絞り込みを解除

EarthとTaiwanに関するfukumimi2002のブックマーク (1)

  • 【温故地震】八重山地震(1771年)…伝承が示す台湾の津波被害 都司嘉宣 (1/2ページ)

    沖縄がまだ琉球王国だった明和8(1771)年3月10日の朝、八重山列島南方を震源に「八重山地震」が発生し、巨大津波が各島を襲った。揺れによる被害はほとんどなかったが、津波の被害は甚大だった。 石垣島の南西部では、海岸線の集落の痕跡も残らないほどだった。仲与銘村は住民283人全員が流されて全滅。1574人が暮らして繁栄していた島南東部の白保では、住民の約98%が波にのまれ、生き残ったのは28人だけだった。 島全体では、人口1万7千人の約半分に当たる8400人が死亡。この人口減少は後々まで影響し、津波前の人口を回復したのは、約140年後の大正時代になってからだった。 後年の調査で、津波の高さは石垣島20~35メートル、西表島10メートル、宮古島10~18メートル、波照間島18・7メートルだったと推定されている。震源から北東に約400キロ離れた沖縄島でも2~5メートルで、被害の大きさがよく分か

    【温故地震】八重山地震(1771年)…伝承が示す台湾の津波被害 都司嘉宣 (1/2ページ)
  • 1