はしも @hashimo_k8000 おばあちゃんの家に行った時におばあちゃんが家の倉庫から出してきた箱の中にあったもの(☉_☉) 大正時代の全国の路線図。大正時代やから満州国とか朝鮮の路線図も載ってる! 満州鉄道の職員用やから数少ない超レア物らしいo(*゚▽゚*)o pic.twitter.com/owPnIgVP8N 2016-01-01 16:06:28
はしも @hashimo_k8000 おばあちゃんの家に行った時におばあちゃんが家の倉庫から出してきた箱の中にあったもの(☉_☉) 大正時代の全国の路線図。大正時代やから満州国とか朝鮮の路線図も載ってる! 満州鉄道の職員用やから数少ない超レア物らしいo(*゚▽゚*)o pic.twitter.com/owPnIgVP8N 2016-01-01 16:06:28
安倍総理大臣が戦後70年にあたって今月14日に発表する総理大臣談話の原案に、いわゆる「村山談話」でキーワードに位置づけられている、「おわび」や「侵略」など、すべての文言が明記されていることが明らかになりました。政権幹部からは評価する意見が出ていて、安倍総理大臣は閣議決定に向けて最終的な文言調整を進めることにしています。 こうしたなか、関係者によりますと談話の原案では過去の歴史や歴代政権の取り組みに触れるくだりなどで、平成7年のいわゆる「村山談話」や平成17年の「小泉談話」で、いわゆるキーワードに位置づけられている、「痛切な反省」、「植民地支配」に加え、「おわび」と「侵略」という、すべての文言が明記されていることが明らかになりました。 安倍総理大臣は今回の総理大臣談話について、「今まで重ねてきた文言を使うかどうかではなく、安倍政権としてどう考えているのかという観点から談話を出したい」と述べ、
「事実誤認がある。本当に読んでいなかったことがうかがえる」。共産党の志位和夫委員長は21日の記者会見で、安倍晋三首相が20日の党首討論の際、第2次世界大戦で米・英・中の三国が日本に降伏を勧告したポツダム宣言を「つまびらかに読んでいない」と答弁したことについて、こんな皮肉を飛ばした。 志位氏は、自民党幹事長代理だった首相が月刊誌「Voice」2005年7月号の対談で、「ポツダム宣言というのは、米国が原子爆弾を二発も落として日本に大変な惨状を与えた後、『どうだ』とばかり(に)たたきつけたものだ」と語っていたと指摘。だが、宣言は1945年7月26日に米英中の名で発表され、同8月6日と9日の原爆投下後、日本が同14日に受諾を決定した。志位氏は「(宣言は)二つ原爆が落ちた後に『たたきつけられた』ものではない。事実誤認がある」と述べた。 20日の党首討論では、志位氏がポツダム宣言について「日本の戦争に
自民党の三原じゅん子参院議員が、国会質疑で「八紘一宇」というスローガンを「日本が建国以来大切にしてきた価値観」として紹介し、波紋が広がっている。この言葉は、元々は「世界を一つの家とすること」という意味で登場する。だが、それが派生する形で「侵略を正当化するために使われたスローガン」だと受け止められることも多い。 早くも韓国では、「侵略戦争のスローガンを礼賛」などと批判が出ている。 ■元々の意味は「全世界を一つの家にする」 三原氏は2015年3月16日の参院予算委員会で、アマゾンをはじめとする多国籍企業の課税回避の問題について質問する中で、 「そもそも、この租税回避問題というのは、その背景にあるグローバル資本主義の光と影の、影の部分に、もう私たちは目を背け続けることはできないのではないか」 と問題提起。その後、「八紘一宇」という単語を持ち出した。 「そこで、今日、皆様方にご紹介した
韓国「100年前に建造された下水道が発掘された。誰が造ったか不明だけど重文にする」 1 名前: ローリングソバット(大阪府)@\(^o^)/:2014/09/02(火) 18:18:37.65 ID:h04hUAXd0.net 【取材日記】100年前の下水管、誰も知らなかった=韓国 2012年9月。ソウル中区南大門路(チュング・ナンデムンロ)の下水管整備工事現場で1910年に作られた下水管が発見された。直径1.8メートルで大人1人が腰を伸ばして立っても十分な規模だった。発掘に乗り出したソウル市は、レンガ式の下水管(長さ461.3メートル)と石を積んで作った石垣式の下水管(27.3メートル)が南大門路に沿って地下に埋まっていることを確認した。下水管を囲む赤煉瓦の一部ははがれた状態だった。 一日の車両通行量が数十万台に達する慢性渋滞道路の地下から大型下水管を発見した市庁関係者たちは驚いた。市は
「特攻」が世界記憶遺産に⁉安倍ご執心、担当は籾井令嬢 2014年5月号 POLITICS [ポリティクス・インサイド] 安倍晋三首相の愛国心の過剰露出と、霞が関で話題なのが、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の記憶遺産への特攻隊資料の申請問題だ。首相から申請手続きに入るよう指示があったとされ、「集団的自衛権問題が佳境の折に雑音を増やすだけ」と自民党内からも懸念が上がっている。 記憶遺産には、すでに世界全体で約300件が登録されている。英国のマグナ・カルタ(大憲章)やアンネの日記、グーテンベルク聖書などだ。日本では遺跡や自然が対象の世界遺産や世界文化遺産ほどには注目されなかったが、記録画家・山本作兵衛氏の筑豊の炭鉱画が2011年に登録されて話題となった。 首相がご執心の特攻隊資料というのは、鹿児島県南九州市にある知覧特攻平和会館が保存する資料だ。出撃前の遺書は涙なしには読めない人間味あふれるも
宮内庁はこれまで古墳に対する学術調査を拒否してきたが、調査を認めることとし、第一弾が2月20日に箸墓古墳に対して行われることになった。 古墳は単なる遺跡ではなく、現皇室の御先祖が眠られる「お墓」であり、これは「科学」「学術」の名を借りた、冒涜である。
【ベルリン=宮本隆彦】ヒトラーが率いる国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)が政権を掌握してから八十年がたった三十日、メルケル首相は、当時の国民の多くがナチスを支持したり容認したりしたことを指摘し「社会が無関心になれば現代でも起こり得る」と述べ、偏狭な国家主義や人種差別と闘い続ける必要性を説いた。 ベルリンの秘密警察(ゲシュタポ)本部跡地に設けられた施設では「独裁への道」と題する特別展が始まった。開会式でメルケル首相は「人権や自由、民主主義は自然に存在するのではない。互いに尊敬しあい、批判や反対意見を受け入れる人びとが必要だ」と述べた。 ナチスは経済の混乱を背景に、一九三二年の総選挙で第一党に躍進。ヒトラーは三三年一月三十日、大統領から任命され首相に就任した。同年夏にはナチスを唯一の合法政党とするなど次第に独裁体制を固め、三五年にユダヤ人から市民権を奪う人種法を制定。ユダヤ人を絶滅させるため
日本が対米戦争に踏み切った理由について、連合国軍総司令部(GHQ)最高司令官だったマッカーサーが1951(昭和26)年、「主に自衛(安全保障)のためだった」と述べた米議会での証言が、東京都立高校独自の地理歴史教材の平成24年度版に新たに掲載される。日本を侵略国家として裁いた東京裁判を、裁判の実質責任者だったマッカーサー自身が否定したものとして知られる同証言を、公教育の教材が取り上げるのは初めて。 昭和の戦争での日本を「侵略国家だった」と断罪した東京裁判に沿う歴史観は、「日本国民は…政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」で始まる憲法前文にも反映され、「軍隊を持たず」という国際社会でも異質な国家体制の前提となってきた。歴史教育は「贖罪(しょくざい)史観」一辺倒となり、子供たちの愛国心を育んでこなかった。その歴史観が絶対ではないことを示すマッカーサー証言の公教育で
大阪府などが世界文化遺産登録を目指す「百舌鳥(もず)・古市古墳群」(4世紀後半~6世紀前半)の構成資産候補とされていた堺市内の「古墳」2基が、中世以降に土を盛って築かれた「塚」であることが、堺市教委の発掘調査で分かった。 2基はすでに候補から除外された。同古墳群には、日本最大の「仁徳陵古墳(大山古墳)」をはじめ、周辺の87基が資産候補に挙げられているが、調査を必要とする古墳が多く、国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)への正式推薦までに、さらに絞り込まれそうだ。 大阪府立大の敷地内にある「聖塚古墳」と、南西約500メートルの「舞台塚古墳」。いずれも小規模ながら、皇族が葬られた陵墓の可能性がある大型前方後円墳「ニサンザイ古墳」(5世紀後半頃)の近くに位置することから、同古墳の被葬者の臣下らが葬られた同時期の古墳とみられてきた。 このため、府などは2007年、この2基を含め、堺、羽曳野、藤井寺の
東京都教職員組合(都教組)が今夏の中学校教科書採択にあたり、教員向けに各教科書を比較検討した資料の中で、日本固有の領土である竹島について「日本領と言える歴史的な根拠はない」と、日本政府の見解を否定していたことが27日、分かった。公教育の現場で誤った領土認識が教えられている疑いがある。 この資料は都教組が今年6月に発行した「2012年度版中学校新教科書検討資料」。問題の内容は地理分野の教科書4社分を検討する中で書かれた。4社の教科書とも、竹島が日本固有の領土であることを記述している。 しかし、資料では、「もし、この記述通り『竹島は日本固有の領土』『韓国が不法に占拠』という政府の一方的な見解を学校で教えることになれば、『感情的なナショナリズム』を子供たちに植えつけることにもなりかねない」と懸念。 その上で「竹島は尖閣諸島や北方四島と違い、『日本固有の領土』と言える歴史的な根拠はない」と断定して
縄文人 安全性認識か 貝塚、津波直撃免れる 東松島 津波の直撃を免れた東松島市宮戸地区の里浜 ほとんどの浜が津波に襲われた宮城県東松島市宮戸(宮戸島)で、縄文時代の国内最大規模の貝塚が密集する里浜が津波の直撃を免れた。内湾に面してやや高台にあり、専門家は縄文時代から災害に強い場所として認識され、古代人の定住を促したとみている。 市によると、外洋の石巻湾に面する宮戸地区の室浜、大浜、月浜は津波の直撃を受け、全家屋の約9割に当たる計約130戸が流失。里浜は高さ約10メートルの高台にある家屋が多く、床下浸水となった家はあったものの、流された家は全117戸のうち4戸にとどまった。 宮戸地区の奥松島縄文村歴史資料館によると、里浜は石巻湾と反対側に位置し、松島湾側からの波が浦戸諸島(塩釜市)にぶつかって威力が弱められたとみられ、「津波に対する里浜の優位性がうかがえる」という。 宮戸地区と東松島市
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