タグ

文学に関するkou-qanaのブックマーク (17)

  • マーガレット・アトウッド「私がディストピアを書き続ける理由」 | 人が希望を失ったら、本当に希望がなくなる

    『侍女の物語』をはじめとするディストピア小説を世に送り出し続けている作家のマーガレット・アトウッド。彼女はいったいなぜ、理想から程遠く思える暗い世界を描くのだろうか。 グレタ・トゥーンベリが編集に携わっている『気候危機の The Climate Book』にも掲載されたエッセイに、アトウッドの答えが綴られていた。 何回チャンスを逃すのか 私が『オリクスとクレイク』という小説を書き始めたのは、2001年のことだ。 その頃の鳥類生物学者たちは、絶滅について議論していた。ちょうどその時観察していた数種類の鳥たち(ミナミオオクイナもいた)が、将来的に絶滅する可能性について、だけでない。もっと一般的な意味での「種の絶滅」について語っていたのだ。 私たち自身──つまり人間も絶滅する可能性があると。 どのくらいの時間が残されているのか? 絶滅するとしたら、それは私たちが自ら招いたことなのか? どれくら

    マーガレット・アトウッド「私がディストピアを書き続ける理由」 | 人が希望を失ったら、本当に希望がなくなる
  • 俺はイマジナリー猫を飼ってるんだけど

    疲れたときなんかにはそのイマジナリーが出てきて、俺のことを癒してくれるんで助かる と、ここまではよくある話だと思うんだけど驚いたのは先日のこと。 この前イマジナリーがちょうど二歳になったんだけどその帰り道。 なんと俺のイマジナリーとそっくりの野良を見かけたんだ。 それもやたらに人懐っこくて寄ってくるもんだから、これはもしや何かしらの運命なのでは?とそのを連れて帰ったんだ。 途中コンビニで缶を買ったりしてさ、家であげたらガツガツって可愛かった。 で、翌朝。は居なくなってた。 俺のイマジナリーそっくりだったはどこにも居なくて、その日から俺はイマジナリーも見なくなってしまった。 あまりに唐突なことで夢か?と思ったんだけど、夢じゃなくてさ、夢の中ではこの書き込みをしてた。 それでブクマをもらっていたのでこれを書いているわけで、俺は夢の中のことを正夢にしようとしているんだと思う

    俺はイマジナリー猫を飼ってるんだけど
    kou-qana
    kou-qana 2022/07/30
    好き。
  • 人間失格くらいの長さの有名文学ってなんかないかな

    我がとかは長すぎるんよ

    人間失格くらいの長さの有名文学ってなんかないかな
  • Rootport💰🍹🍑 on Twitter: "新人賞で落選しちゃった、という読切マンガをネットで見かけた。画力も高いし演出力もある。キャラも魅力的だし、ストーリーもきちんと「掴み→中盤→クライマックス→オチ」がまとまっている。これで落選するの!?と驚いた。が、反面、「ログライン」の重要性は感じた。"

    新人賞で落選しちゃった、という読切マンガをネットで見かけた。画力も高いし演出力もある。キャラも魅力的だし、ストーリーもきちんと「掴み→中盤→クライマックス→オチ」がまとまっている。これで落選するの!?と驚いた。が、反面、「ログライン」の重要性は感じた。

    Rootport💰🍹🍑 on Twitter: "新人賞で落選しちゃった、という読切マンガをネットで見かけた。画力も高いし演出力もある。キャラも魅力的だし、ストーリーもきちんと「掴み→中盤→クライマックス→オチ」がまとまっている。これで落選するの!?と驚いた。が、反面、「ログライン」の重要性は感じた。"
  • 短歌の名歌が知りたい

    短歌の名歌が知りたい

    短歌の名歌が知りたい
    kou-qana
    kou-qana 2022/01/31
    「ひむかしの のにかぎろいの たつみえて かへりみすれば つきかたぶきぬ」デカくて好き。皇位継承の見立ては置いといて、グワッと体ごと天球上に視線移動する。「えーえんとくちから」「サバンナの象のうんこ」も。
  • 第65回岸田國士戯曲賞に寄せて|柳美里

    柳美里さんから編集部に連絡があったのは6月下旬のこと。岸田國士戯曲賞の選評が掲載されず選考委員を辞することになった、ついては選評と経緯を説明する文章を発表できないかとの相談でした。原稿を拝見し、編集部で議論のすえ、掲載を決定しました。ゲンロンもスクールや新人賞を主催しています。他社である白水社さん主催の選考について、第三者であるゲンロンが批判を掲載することにはリスクがあります。非難もあるかもしれません。けれども、岸田國士戯曲賞は有名な賞で歴史も長く、柳さんも影響力のある作家であり、内容的にも必ずしも戯曲賞および白水社さんを一方的に批判するものではないことから、公表には公共性があると判断しました。掲載にあたっては、柳さんと相談し、個人名を割愛するなど最低限の編集を施しています。原稿の公表が、演劇界での議論の活性化につながることを期待します。(東浩紀+上田洋子) 岸田國士戯曲賞の選考委員を辞

    第65回岸田國士戯曲賞に寄せて|柳美里
  • 文学を使えば、暴動レベルの危機を5〜7年前から予測できる─ドイツ「プロジェクト・カサンドラ」の成果 | 文学作品が示す「分裂のシグナル」

    「馬鹿げたプロジェクトだと思いましたね」 2018年、二人のドイツ軍将校がテュービンゲン大学を訪れてから数週間後のこと、ベルリンのドイツ国防省で、ヴェルトハイマーは最初の研究成果発表を行った。 彼は、第二次大戦期クロアチアのファシスト政党ウスタシャによるセルビア人大虐殺を扱った、作家ヨヴァン・ラデュロヴィックによる1983年の戯曲『鳩の穴』(未邦訳)、および1986年のセルビア作家協会による非セルビア人作家追放運動に注目した。 これらの出来事からまもなく、アルバニア人とセルビア人の間の民族を越えた友情や恋愛を扱った作品は姿を消し、修正主義的な歴史小説が流行するのだ。 「1998年にコソボ紛争が勃発し、大量の血が流されるずっと以前から、文学、また文学関係組織は10年にわたって、戦争への布石を敷いていたのです」とヴェルトハイマーは軍関係者らに語った。 発表会には、「プレビュー」計画の監督者、カ

    文学を使えば、暴動レベルの危機を5〜7年前から予測できる─ドイツ「プロジェクト・カサンドラ」の成果 | 文学作品が示す「分裂のシグナル」
  • パンを焼く その4 - 手ぬきこそが継続のコツ|まつもと

    フライパンでパンを焼くようになってから、しばらくつづけるうちに、だんだんと手をぬくようになっていった。断続的ではあったけれど、そうやって焼きつづけるなかで、いまのスタイルができあがった。 まずひとつめのおおきな変化は、フライパンではなく、オーブントースターをつかうようになったことだ。パンはオーブンでなければ焼けないというおもいこみは、最初は鍋で、つぎにフライパンでパンを焼くようになって、私のなかからきえていた。それでも、オーブントースターでやけるとはおもっていなかった。オーブントースターは、なまえに「オーブン」とあっても、オーブンではない。高温を維持する窯ではなく、電熱で上下からあぶる、どちらかといえばグリル調理器に分類されるものだ。けれど、やってみたらどうにかなった。もちろん、気をつけるポイントはある。 もうひとつのおおきな変化は、生地をこねるのをやめたことだ。パンづくりといえば生地をこ

    パンを焼く その4 - 手ぬきこそが継続のコツ|まつもと
    kou-qana
    kou-qana 2021/07/23
    '"グルテンは、圧力をかけると分子どうしがからまりあっていくらしい。発酵で膨張する生地をポリ袋にとじこめることで、この圧力がえられる。"
  • 一度でも俺に頭を下げさせたヤツは全員死ねばいいのに

    一度でも我に頭を下げさせし 人みな死ねと いのりてしこと (石川啄木)

    一度でも俺に頭を下げさせたヤツは全員死ねばいいのに
  • 必読書コピペにマジレスしてみる・海外文学編(1)

    方針読んだ感想を思いついたままに、友達にだべるみたいに書く高校卒業後に読んだも含める読んだ人が「面白そう」と思ってくれたらうれしい文学はいいぞ古典はいいぞ時間の無駄なんかじゃないぞ、最高のエンタメだ元増田anond:20210210225201ホメロス『オデュッセイア』「イリアス」は捕虜の奴隷女の配分をめぐった交渉がこじれた結果、勇者が拗ねて戦場に出ず、味方がどんどん死ぬところからスタートするので、昨今の倫理観からは問題があり、神話初心者にはこっちをお勧めしたい。「オデュッセイア」も家で待っているを忘れてよその女のところで数年過ごすが、まあ魔法をかけられていたということでこっちのほうがマシだ。舞台もあちこち移動するから飽きないし。 ユニークなのは、劇中劇的にオデュッセウスが時間をさかのぼって事件の進展を語る箇所があることで、ホメロスの時代にはすでに出来事が起きた通りに語る手法が飽きら

    必読書コピペにマジレスしてみる・海外文学編(1)
  • ケダモノ・ケダラケウス・ヒグマヌス13世 on Twitter: "全然学問としてのそれに興味ないひとが自分の秩序意識を守りたい動機でいっちょかみしてくの、歴史や教育からとうとう文学にまで来たかって感じ…頼むからやめて欲しい。せっかく無料で専門知識をありがたく傾聴させていただいてるのに、なんでこう… https://t.co/tHGDk4TUMz"

    全然学問としてのそれに興味ないひとが自分の秩序意識を守りたい動機でいっちょかみしてくの、歴史教育からとうとう文学にまで来たかって感じ…頼むからやめて欲しい。せっかく無料で専門知識をありがたく傾聴させていただいてるのに、なんでこう… https://t.co/tHGDk4TUMz

    ケダモノ・ケダラケウス・ヒグマヌス13世 on Twitter: "全然学問としてのそれに興味ないひとが自分の秩序意識を守りたい動機でいっちょかみしてくの、歴史や教育からとうとう文学にまで来たかって感じ…頼むからやめて欲しい。せっかく無料で専門知識をありがたく傾聴させていただいてるのに、なんでこう… https://t.co/tHGDk4TUMz"
    kou-qana
    kou-qana 2020/12/08
    Twitterでは「日本にディストピアなんかない」で燃えてんの?はてブでは「読み方の押し付け」で盛り上がってるようだけど…観測用ブクマ。
  • 「世界文学」の日本代表が夏目漱石ではなく樋口一葉である理由

    世界文学全集を編むなら、日本代表は誰になる? 漱石? 春樹? 今なら葉子? 審査は、世界選手権の予選のようになるのだろうか。投票で一定の評価を得た著者なり作品が、トーナメントを勝ち抜いて、これぞ日本代表としてエントリーするのだろうか。 スポーツならいざ知らず、残念ながら、文学だと違う。春樹や葉子ならまだしも、夏目漱石は予選落ちである。 なぜか? 『「世界文学」はつくられる』に、その理由がある。近代日語の礎を築いたことで誉れ高い漱石でも、世界的に見た場合、西洋文学のコピーとして低く評価されているという。 「世界文学」での漱石 『坊ちゃん』『』が有名だし、教科書で『こころ』を読んだ人もいるだろう。何と言っても千円札の顔だから、諭吉よりは見慣れている。やたら有難がる人もいるのは、ザイアンス単純接触効果じゃね? と思うのだが、彼の造語とされる「沢山」「反射」「価値」「電力」は、人口に膾炙してい

    「世界文学」の日本代表が夏目漱石ではなく樋口一葉である理由
    kou-qana
    kou-qana 2020/11/08
    日本人が選んだ世界文学とか中国人が選んだのとか、中東やアフリカ、東南アジアの人が選んだのはどうなんだろう?選者の国によって違いがありそう。/引用されてるの、網羅が目的でなく学生に思考させる為の全集?
  • 白人のアメリカ人女性がノーベル文学賞をとることの意味について - ネットロアをめぐる冒険

    皆さんお元気ですか。ご無沙汰しております。なかなかこちらの記事を更新する暇がない日々を過ごしております。 今日はノーベル文学賞のこの呟きについて。 ノーベル文学賞を受賞した人が 「白人でアメリカ人のわたしが受賞して驚いた」 という話は、今のアメリカの歪みがよく出ていると思った — アオイ模型 (@aoi_mokei) 2020年10月10日 というのがバズってました。リプには、以下のような反論もあります。 勘違いしてる方もいますけどここ数十年間文学賞はアメリカの白人の小説家は授賞していない。 スエーデンアカデミーはあんまりアメリカのことが好きじゃないというのも大きな理由ですね 村上春樹氏が取れないのもアメリカ文化に重きをおいた作風だからと言われてますので今回の授賞は驚きです。 — ねこさん (@nekosannekosan8) 2020年10月10日 どちらが正しいというより、今回のグリュ

    白人のアメリカ人女性がノーベル文学賞をとることの意味について - ネットロアをめぐる冒険
  • 【雑文】なろう系のズラしの文化 - 不在の劇場

    なろうについて、もう何かを口にしてもよい頃だろうと思う。学生の頃から読み続けていたが、いつの間にか読み切れないほどの作品が漫画化し、観きれないほどの作品が映像化された。そこにあるのは昔ながらの作品ではなくて、ある種の文脈にそった作品群だ。そして、それらはなろう系と揶揄され続けている。そして、その流れは今は亡きにじふぁんに続いて、ハーメルンという二次創作サイトまで連綿と続いている。 それらの作品群を語る上で外せないのが、先述した「文脈」の存在である。作品が作品である以前に、なろう系という「文脈」を汲んでいることが絶対的なルールとなっている。 今回は、今アニメ化されているぐらいまでの文脈とジャンルと呼ばれるものを含めてわたしなりにまとめてみたものである。もちろん、コレが全てだ、と断定するものではなく、一読者としてそういう「流れがあった」として捉えて貰えると嬉しい。 ■何をなろう系と呼ぶのか?

    【雑文】なろう系のズラしの文化 - 不在の劇場
  • クソデカ羅生門

    ある日の超暮方(ほぼ夜)の事である。一人の下人が、クソデカい羅生門の完全な真下で雨やみを気持ち悪いほどずっと待ちまくっていた。 馬鹿みたいに広い門の真下には、この大男のほかに全然誰もいない。ただ、所々丹塗のびっくりするくらい剥げた、信じられないほど大きな円柱に、象くらいある蟋蟀が一匹とまっている。クソデカ羅生門が、大河のように広い朱雀大路にある以上は、この狂った男のほかにも、激・雨やみをする巨大市女笠や爆裂揉烏帽子が、もう二三百人はありそうなものである。それが、この珍妙男のほかには全然誰もマジで全くいない。 何故かと云うと、この二三千年、京都には、超巨大地震とか破壊的辻風とか最強大火事とか極限饑饉とか云うエグすぎる災が毎日つづいて起こった。そこでクソ広い洛中のさびれ方はマジでもう一通りとかそういうレベルではない。旧記によると、クソデカい仏像や文化財クラスの仏具をものすごいパワーで打砕いて、

    クソデカ羅生門
    kou-qana
    kou-qana 2020/06/11
    え〜、黒洞洞までやってよ〜/完結してた。お疲れ様!
  • 銅鐸の使い方を知っていた最後の人

    銅鐸という古代の祭祀具がある。日史の弥生時代のとこで習ったアレだ。 卑弥呼の時代の直前くらいに銅鐸は使われなくなる。 私たちはいまだに神社では鏡や剣を神器として尊ぶのに、銅鐸は使わない。 研究者の見解では多分こういう風に使うのだろう、ってのはある。 が、正確なところはわからない(特に大型化した以降)。 ただ一つだけ言えることは、絶対に一人、最後に銅鐸の使い方を知っていた人がいる。 銅鐸をどうするのか? どう祭祀で使うのか。 知っていた人が、必ずいる。 複数人の集団を想定してもいい。その集団の最も長生きした人を想像するのも良い。 彼、彼女の人生について、よく寝る前とかに想いを馳せる。 先祖から受け継いでいた銅鐸の使い方を、歴史のうねりの中で失う。 おそらく、使い方を知っているが、もう使うことがなくなった(鏡や剣を祀るスタイルが一般化した)というのが想定される一つの可能性だ。 そのうち、なん

    銅鐸の使い方を知っていた最後の人
  • 【全文公開】チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ『なにかが首のまわりに』より表題作「なにかが首のまわりに」|Web河出

    海外文学 ナイジェリア 文庫 - 外国文学 【全文公開】チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ『なにかが首のまわりに』より表題作「なにかが首のまわりに」 チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ くぼたのぞみ訳 2019.09.03 なにかが首のまわりに アメリカではみんな車や銃をもってる、ときみは思っていた。おじさんやおばさん、いとこたちもそう思っていた。きみが運良くアメリカのヴィザを取得したとたん、みんなそろって、ひと月もすれば大きな車をもって、すぐに広い家に住むようになるだろうけど、アメリカ人みたいに銃だけは買わないで、といった。 ぞろぞろと、きみが父親、母親、それに3人の弟や妹と暮らしているラゴスの部屋までやってきて、みんなに行き渡る椅子がないのでペンキの塗っていない壁にもたれて、大きな声でさよならをいい、小さな声で送ってほしいものをあげた。彼らの望み──ハンドバッグ、、香水、衣服──なん

    【全文公開】チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ『なにかが首のまわりに』より表題作「なにかが首のまわりに」|Web河出
  • 1