スイスの代名詞となっている永世中立という外交政策が、過去数十年間で最大の試練に直面している。写真はスイスの国旗。ベルンの連邦議事堂で2018年12月撮影(2022年 ロイター/Denis Balibouse) [ベルン 15日 ロイター] - スイスの代名詞となっている永世中立という外交政策が、過去数十年間で最大の試練に直面している。ロシアのウクライナ侵攻を受け、スイス国防省が北大西洋条約機構(NATO)との距離を縮めようとしているからだ。 国防省の安全保障政策責任者、パエルビ・プッリ氏はロイターのインタビューで、NATO加盟国との合同軍事演習や武器弾薬の「補充」などを含め、スイスが今後採択すべき安保政策に関する選択肢を提示する報告書を策定しているところだと語った。こうした議論が行われていることは、今回のインタビューで初めて明らかになった。
スイスは紀元前から異民族の侵入と支配を受け続け、神聖ローマ帝国の建国後はその支配下に置かれた。だが実際は、各地に残る有力諸侯が協力しながらそれぞれの支配地を治めていた。中世になると皇帝からの独立を目指し、これらの地域の間で同盟が結ばれた。 スイスの歴史の中では、宗教改革とこれに続くカトリックとプロテスタントの争いが大きな転機となった。 その後、スイスはナポレオンが統一し、ヘルヴェティア共和国となる。現在の連邦国家が出来上がったのは1848年。 被支配の歴史 現在のスイスの領土にあたる地域には、およそ15万年前から人類が住んでいた。紀元前2世紀末ころには、中部平原にケルト族系住民のヘルヴェティイ族(Helvetii)が、東部にはアルペン族のラエティ人(Rhaeti)が住んでいた。 紀元前58年、ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)率いるローマ帝国軍が、スイスの中部平原を離れフランス西部
湖畔住居群 これらの湖畔住居群は、湖の水位がかなり低下した1853年から1854年の冬にチューリヒ湖で初めて発見されました。この発見をきっかけにプレアルプス(フォアアルペン)の湖と湿地帯で数多くの発掘調査が行われ、多くの湖畔住居群が発見されました。 「湖畔住居群の発掘熱」は遠くイタリア、北ドイツ、スウェーデン、スコットランドにまで波及し、水底や地層の中からも遺跡が発見されました。こうして発見された遺跡をカテゴリーごとに時系列分類することによって、アルプス山脈の周辺に「湖畔住居群の地域」が存在していたことが明らかになりました。 湖畔住居群の発見は考古学研究にとって革命的なものでした。というのも、ヘルウェティイ族とローマ人以前のスイスの歴史については、これまでほとんど何も形跡が残っていなかったからです。遺跡はそれまで水の中で空気に触れることがなかったため、信じられないくらい良い状態に保たれてい
「おおブレネリ あなたのおうちはどこ♪」の歌い出しで親しまれる陽気なスイス生まれの童謡『おおブレネリ』。ヨーデルが盛んなスイスの民謡がルーツだという。 「ヤッホー ホトラララ」の特徴的なコーラスと明るいメロディ進行は、『おお牧場はみどり』や『森へ行きましょう』などの自然系ヨーロッパ民謡にも相通ずる陽気さと清々しさに満ち溢れている。 また、『遠き山に日は落ちて』や『燃えろよ 燃えろ』などと同様に、キャンプソング、リクリエーション・ソングとして屋外活動などで歌われる機会もあるようだ。 ブレネリって誰? 『おおブレネリ』の歌詞に登場する「ブレネリ」とは、後述するが、スイスでよくある女性名フレニ「Vreni」の愛称であるフレネリ「Vreneli」を指している。最後の「eli」が愛称を表す接尾辞と語形変化の部分で、全体で「フレニちゃん(フレネちゃん)」といった意味になるだろうか。 【YouTube】
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