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震災に関するtweakkのブックマーク (56)

  • 津波、その時 命を救えた言葉は 東日本を伝えたNHKアナウンサー、自責の念に駆られ13年(神戸新聞NEXT) - Yahoo!ニュース

    東日大震災直後の放送を振り返り、災害報道を語る横尾泰輔さん=神戸市中央区中山手通2、NHK神戸放送局(撮影・小林良多) 早く安全な高台に避難してください-。NHK神戸放送局の横尾泰輔チーフ・アナウンサー(49)は東日大震災当日、東京・渋谷のスタジオから生放送で呼びかけを続けた。だが、逃げ遅れによる犠牲者は増え続けた。「もっと強く呼びかけるべきではなかったか。失われた命は自分の放送のせいではないか」。そんな自責の念を胸に、命を守る言葉を追求してきた。(上田勇紀) 【別カット】東日大震災直後の放送を振り返り、災害報道を語る横尾泰輔さん 2011年3月11日午後2時46分。東京のNHK放送センターに勤務していた横尾さんは、午後1時のニュースを読み終えて自席にいた。緊急地震速報が鳴り響く。揺れの中で階段を駆け上り、キャスター席に座った。 「岩手県3メートル 宮城県6メートル 福島県3メートル

    津波、その時 命を救えた言葉は 東日本を伝えたNHKアナウンサー、自責の念に駆られ13年(神戸新聞NEXT) - Yahoo!ニュース
    tweakk
    tweakk 2024/03/09
    “横尾泰輔さんは自らの初動対応に向き合うため、東日本大震災の5年後、大阪放送局時代に京都大防災研究所の矢守克也教授(防災心理学)の協力を得て1本の研究論文をまとめた”
  • 真希、深い海にいたんだね 津波の日から、やっとだね:朝日新聞デジタル

    やっとだね。お帰り――。津波にのまれ、行方不明になっていた宮城県山元町の女性(当時27)が、両親のもとに戻った。2011年3月11日から8年7カ月。深い海の中から見つかった小さな骨を、両親はそっと抱きしめた。 24日、宮城県警亘理署の3階。白い布で包まれた箱には、一人娘だった大久保真希さんの下あごが納められていた。母親の恵子さん(61)が優しく抱きしめると、父親の三夫さん(66)はそっと手を添えた。 真希さんの遺骨は8月末、山元町の沖合約6キロ、深さ20メートルほどの海中で見つかった。地元の漁師の刺し網にかかり、DNA型や歯の治療痕から身元が特定されたという。 三夫さんの携帯電話に着信が…

    真希、深い海にいたんだね 津波の日から、やっとだね:朝日新聞デジタル
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    tweakk 2019/10/24
    おお、よかった…
  • 津波対策「あまり関わるとクビになるよ」調書を公開

    政府は、福島第一原発の事故調査委員会の調書127人分を公開しました。震災前に当時の規制当局の原子力安全・保安院で、巨大津波対策を検討しようとしたところ、複数の幹部にとがめられたとする証言があったことが分かりました。 新たに公開された調書によりますと、2010年ごろ、当時、保安院・耐震安全審査室の小林室長が、過去に福島で起きた巨大な貞観(じょうがん)地震のリスクを検討し、新たな津波対策を提案しました。これに対し、保安院の複数の幹部から、「余計なことを言うな」「あまり関わるとクビになるよ」と言われたと証言していることが分かりました。室長は、2011年3月に東京電力の担当者に対し、新たな津波対策の必要性を伝えましたが、担当者は「2012年秋の土木学会の評価の見直しを待ちたい」と答えたということです。室長は「それでは遅い」と話しましたが、その4日後に東日大震災が起きました。これで合わせて202人

    津波対策「あまり関わるとクビになるよ」調書を公開
  • 引き渡した園児9人、津波で犠牲「自分がした判断は許されない」 震災8年、保育園長が語った後悔と教訓「保護者に園児は引き渡さないと決めた」(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

    引き渡した園児9人、津波で犠牲「自分がした判断は許されない」 震災8年、保育園長が語った後悔と教訓「保護者に園児は引き渡さないと決めた」 東日大震災当日、保育園や幼稚園が保護者に引き渡した園児が、その後の避難中、津波にのまれて亡くなった例が相次ぎました。岩手県大槌町の認可保育園「大槌保育園」もそうでした。八木沢弓美子園長(53)は、8年を経て初めて朝日新聞の取材に応じ、胸に秘めていた後悔と問いかけを口にしました。そのわけとは――。 【写真】震災後、大槌保育園の仮設園舎で絵の整理をする職員たち=2011年5月、葛谷晋吾撮影 ――震災前から、熱心に避難訓練をしていたと聞きます。 定期訓練とは別に、事前に職員にも知らせない抜き打ち訓練もしていました。一度はお昼寝中にいきなり始めました。 国の最低配置基準では保育士1人あたりでみる子どもの数は0歳児なら3人ですが、やってみると、1人で3人抱える

    引き渡した園児9人、津波で犠牲「自分がした判断は許されない」 震災8年、保育園長が語った後悔と教訓「保護者に園児は引き渡さないと決めた」(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース
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    tweakk 2019/03/12
    “津波ごっこ、地震ごっこといった遊びも最初は多くて戸惑いましたが、喪失感に打ち勝とうとする子どもの自然な反応だったと思います。”
  • 東日本大震災の不明男性が生存 滋賀県居住か、生活保護を申請 | 共同通信

    東日大震災で行方不明になったと家族が宮城県警に届け出ていた同県石巻市出身の男性(48)が、生存していたことが13日、県警への取材で分かった。滋賀県内に居住していたとみられる。 県警によると、男性が滋賀県内の市町村窓口で、生活保護の申請をしたことをきっかけに判明。連絡を受けた家族が、人と確認した。 これを受けて、東日大震災による行方不明者数は1人減り、2536人となった。

    東日本大震災の不明男性が生存 滋賀県居住か、生活保護を申請 | 共同通信
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    tweakk 2018/09/13
    よかった、んだよな?
  • 「東電は許せない。しかし…」 震災・原発事故から6年 福島の浜で - Yahoo!ニュース

    東京電力の副社長が泣いていた。2月3日、東京・内幸町の社応接室。福島の、ある被災者に話が及んだ時だった。「すみません…。上野さんの話をすると、つい込み上げてしまって」。福島復興社代表を務める石崎芳行副社長(63)は、鼻をすすって息を整えた。「上野さん」とは、上野敬幸さん(44)のことだ。南相馬市沿岸部の萱浜(かいばま)地区で農業を営んでいる。副社長はなぜ泣いたのか。東日大震災と原発事故から間もなく6年。加害者と被害者という立場だけでは計りきれない事情を知ろうと、人々を訪ね、福島を歩いた。(Yahoo!ニュース編集部) 石崎副社長は、上野さんに初めて会った時のことを鮮明に覚えている。震災から2年後の2013年3月。復興社の代表として、福島に居を移して2カ月が過ぎた頃だった。「知人からぜひ会って欲しいと言われまして」。萱浜を訪ねると、自宅前に上野さんが立っていた。1階は津波で破壊されて

    「東電は許せない。しかし…」 震災・原発事故から6年 福島の浜で - Yahoo!ニュース
  • 311後、日本人の価値観が変わり映画が変わったという評論家

    そういう評論家って大体おっさんだと思うんだけど おっさんなら1.17をリアルタイムで知ってると思うわけで そういう評論を見るたびに1.17じゃなにも変わらなかったのか。という悲しさに包まれる 今年22年を迎えます。 昨年神戸市は借金を返済し終わりました。 あまりニュースにはなりませんでしたが。

    311後、日本人の価値観が変わり映画が変わったという評論家
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    tweakk 2017/01/04
    ほんとな
  • 東電の原子力事業、再編相手公募へ 経産省有識者会議が提言 - 日本経済新聞

    東京電力ホールディングスの経営改革を話し合う経済産業省の有識者会議は20日、原子力発電や送配電事業を他社と再編・統合すべきだとする提言をまとめた。東電は来年、再編相手を公募する見通しだ。巨額に上る福島第1原発の事故処理費用をできるだけ国民負担に回さないよう、同社の収益底上げをはかる。社風や人事のあり方にも踏み込んで改革を求めた。10月に発足した「東京電力改革・1F問題委員会」が提言を発表した。

    東電の原子力事業、再編相手公募へ 経産省有識者会議が提言 - 日本経済新聞
  • 【5年前の記憶の全て】 /寺田学 -TerataManabu- オフィシャルウェブサイト

    以前から、総理補佐官として官邸勤務をしていた当時の事を、備忘録を兼ねて書き記しておきたいと思っておりました。これまで全ての事故調で証言し、多くの取材でも聞かれたことは全てを正直にお話してきましたが、聞かれていない事、記事にならなかったものも多数あります。

    【5年前の記憶の全て】 /寺田学 -TerataManabu- オフィシャルウェブサイト
  • http://www.bosai.go.jp/event/2011/pdf/20110417_01.pdf

  • 東日本大震災で少し被災した特撮ファンがシン・ゴジラで絶頂した話

    8月2日にTOHOのレイトでシン・ゴジラを観て発狂しそうになった。凄すぎて。そこからもう寝ても覚めてもゴジラのことしか考えられなくなり、気づいたらもうすぐリピートの回数が2ケタになろうとしている。もともと特撮映画大好き人間だったけど、それにしたってこの映画は別格だ。こんなに映画に熱狂することは、向こう十年はないと思う。 とにかく全編渡って大傑作だったんだけど、特に中盤の、夜の東京でゴジラが熱線を吐き全てを破壊するシーンでは当に気が狂うかと思った。自分でも理解できない膨大な感情の波が押し寄せてきて内面をひたすら揉みくちゃにした挙句、最終的に途方もない歓喜だけが残った。もう完全に中毒になってしまって、ちょっとでも間が空けばシンゴジの熱線が見たくなって、気づけば劇場に向かってしまう。なんでこんなにこのシーンに惹かれるのか何度も観て何度も考えて、やっぱり自分の震災体験が影響しているんだと思った。

    東日本大震災で少し被災した特撮ファンがシン・ゴジラで絶頂した話
  • 福島第一原発2号機 非常用冷却装置で水漏れ起きていたか | NHKニュース

    東京電力福島第一原子力発電所の事故で、放射性物質の大量放出が起きた2号機では、非常用の冷却装置が原子炉を冷やす機能を失って核燃料が溶け落ちましたが、詳しい原因は分かっていません。ところがその後の分析で、この冷却装置で水漏れが起きていた可能性が高いことが分かり、東京電力は、この水漏れが原子炉を冷やせなくなった事態に深く関わっているとみて、調べを進めています。 これについて、東京電力が2号機の内部にたまった汚染水の水位や漏れ出している量などを詳しく分析した結果、この冷却装置の付近で9平方センチ程度の穴から水漏れが起きている可能性が高いことが分かりました。 当時、この冷却装置は2号機の原子炉を冷やす唯一の手段として冷却水をポンプで原子炉に注入していました。しかし、設計上の想定とされた8時間を大きく超えて動かし続けていたことなどから、東京電力は、冷却装置に何らかの問題が起きて原子炉に送る冷却水の一

    福島第一原発2号機 非常用冷却装置で水漏れ起きていたか | NHKニュース
    tweakk
    tweakk 2016/06/05
    “設計上の想定とされた8時間を大きく超えて動かし続けていたことなどから、東京電力は、冷却装置に何らかの問題が起きて原子炉に送る冷却水の一部が漏れ出し”
  • 日本政府が東日本大震災にどう法的に対処したかに関する米国連邦議会図書館の調査報告

    驚きの内容。勝見貴弘氏による詳細な解説連ツイをまとめました。米国連邦議会図書館資料から読み解く(注:完全翻訳ではありません)3.11時の政府の対応の足跡。当時の菅直人政権がどのような措置をとりながら災害対策に奔走していたか、またそれらの活動が(復興庁HPはじめ日政府が現在も公表中の資料の中にあるにもかかわらず)なぜ我々のもとに正しく伝わってこなかったのか、色々と見えてくるものがあると思います。 ※当まとめの続編「【コラム】国難級の災害に接して迅速に激甚災害指定することの意義 #熊地震 #激甚災害 #被災地支援」にきましても是非ご覧下さい(こちらは勝見氏ご人のまとめになります)。 togetter.com/li/964202 続きを読む

    日本政府が東日本大震災にどう法的に対処したかに関する米国連邦議会図書館の調査報告
  • 紙と布で作った間仕切りを避難所に設置 | NHKニュース

    市内の避難所で、避難者のプライバシーを保つため、世界的建築家が考案した紙と布で作った間仕切りを設置する作業が行われました。 間仕切りは、紙で作った高さ2メートルほどの支柱の間に白い布製のカーテンを張ったもので、坂さんたちは体育館の中に、周囲の人の視線を気にしなくて済む2メートル四方の空間を60、作り出しました。 この避難所では、教室や運動場で避難生活を送る人たちの一部を、今月28日以降、間仕切りを設けた体育館に移すことにしています。 6歳と8歳の子どもがいる母親は「避難所での生活は周囲に気を遣って、自分も子どももストレスを感じます。間仕切りはプライバシーがある程度保たれるのでいいと思います」と話していました。 設置を行った坂さんは、「避難所での生活を嫌がって体調が悪くなる人を減らすために、多くの避難所に早く間仕切りを設置していきたい」と話していました。

    紙と布で作った間仕切りを避難所に設置 | NHKニュース
  • Meine Tante aus Fukushima [Doku über Japan]

  • 「メルトダウン」事実と異なる説明 徹底解明を要請 | NHKニュース

    東京電力福島第一原子力発電所の事故で、当時の社内のマニュアルに従えば事故発生の3日後には核燃料が溶け落ちる「メルトダウン」が起きたと判断できた問題で、問題が発覚するきっかけとなった新潟県の技術委員会は、事実と異なる説明を続けた経緯を徹底的に解明するよう東京電力の第三者委員会に要請しました。 この問題は、柏崎刈羽原発がある新潟県の技術委員会が福島の事故の検証を続けるなかで明らかになったもので、技術委員会は11日、東京電力が設けた第三者委員会に要請書を提出しました。 この中では、東京電力がこれまで「メルトダウンを判断する根拠はなかった」と繰り返し説明していたことから、「事実に反する説明を行う判断をしたのは誰か」を明らかにするよう求めています。また、当に誰もマニュアルに気付かなかったのか、国からの指示などがなかったかなど、問題を徹底的に解明するよう求めています。 さらに東京電力の体質についても

    「メルトダウン」事実と異なる説明 徹底解明を要請 | NHKニュース
  • 【東日本大震災5年】「ばあちゃんみたいに強く生きる」…後悔の日々に区切り 宮城県七ケ浜町・鈴木杏奈さん(23)(1/2ページ)

    「なぜあの時、ばあちゃんの手を離してしまったんだろう」。悔やみ、自分を責めてきた。東日大震災でともに津波にのまれた祖母を失った鈴木杏奈さん(23)=宮城県多賀城市=にとって、この5年は自問の日々だった。11日に同県七ケ浜町の追悼式で祖母に語りかけたのは区切りをつけたかったから。「ごめんね。寒かったよね」。救われた命。これからは後悔ではなく、感謝の思いで生きる。 振り返ると濁流が目の高さに迫ってきた。「あっ!」。高校の卒業式を終えたばかりの平成23年3月11日。祖母のたけよさん=当時(82)=の手を引き高台へ逃げようとしていた鈴木さんは、とっさにつないでいた左手を離してしまった。ただただ恐怖だった。直後、正面からの衝撃で押し流された。「もう無理」「死にたくない」。気付くと木が足の間にはさまり奇跡的に助かっていた。 「ばあちゃーん!」。いくら呼んでも返事がない。両親と2人の妹、祖母と暮らして

    【東日本大震災5年】「ばあちゃんみたいに強く生きる」…後悔の日々に区切り 宮城県七ケ浜町・鈴木杏奈さん(23)(1/2ページ)
    tweakk
    tweakk 2016/03/12
    つらい
  • Radioaktivität: Strahlung, was ist das?

  • 福島第一原子力発電所へ。 - ほぼ日刊イトイ新聞

    震災から5年が経とうとするある日、 1通のメールが届きました。 ちいさな縁はつながって、 福島第一原子力発電所のなかを 視察できることになりました。 約3時間の視察。 そこで、見たこと、感じたこと。 すこし長いレポートになりました。 担当は、ほぼ日の永田です。 福島第一原子力発電所がどういう存在であるかは 見る人の立場や考え方によって、 さまざまに変わってくるのだと思う。 事故のあった原子炉として語られることもあるし、 ある思想の象徴としてとらえる人もいる。 そこに好きとか嫌いとかの感情や、 是か非かみたいな主張が交ざると、 さらに複雑な見え方をすることになる。 福島第一原子力発電所は、いわば多面的な存在で、 だからこそ、それについてなにか書くときは、 なんとなく前置きや注釈を添えなければならず、 そこが、すこし、ややこしい。 昨年の11月、糸井重里と、 原子物理学者の早野龍五さんとともに

    福島第一原子力発電所へ。 - ほぼ日刊イトイ新聞
  • 福島第一原発 廃炉完了に最長40年 NHKニュース

    5年前の東京電力・福島第一原子力発電所の事故では、6つある原子炉のうち1号機から3号機までの3基で核燃料が溶け落ちる「メルトダウン」が起き、1号機と3号機、4号機で建屋が水素爆発しました。国と東京電力がまとめた現在の工程表では、福島第一原発で設備を取り除いて建屋を解体するまで、すべての廃炉作業が完了するには最長で40年かかるとされています。中でも重要なのは、事故当時、それぞれの建屋の最上階に設けられた「使用済み燃料プール」と、原子炉の中にあったすべての核燃料を取り出すことです。