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歴史とアフリカに関するDG-Lawのブックマーク (12)

  • 西アフリカ、ダホメ王国が誇った恐るべき女性兵士軍団 画像13点

    19世紀のリトグラフに描かれた西アフリカのダホメ王国の女性兵士たち。17世紀後半から20世紀初頭にかけて、現在のベナンにあったダホメ王国は、女性兵士のみからなる勇猛な軍団によって守られていた。 月面にヘビ? NASA月面ロボットコンペの優勝は「コブラ」 写真16点 36年で500作品、ネコとネズミの甲冑を作るアーティストがすごい 写真12点

    西アフリカ、ダホメ王国が誇った恐るべき女性兵士軍団 画像13点
    DG-Law
    DG-Law 2023/01/06
    前にクーリエで同じ内容の記事があった。 https://courrier.jp/news/archives/261184/
  • 植民地の歴史に消えた、アフリカ・ベナンの世界唯一の「女だけの最強軍隊」 | 孫たちの証言を通じ、女戦士たちの記憶を現代に留める

    近世、現在の西アフリカ・ベナンを支配したダホメ王国には、世界でも珍しく、女性だけで構成される軍隊があった。同国の植民地化で同軍も歴史から消え去ったが、女戦士たちの生きざまについて記録するプロジェクトが現在進んでいる。 女戦士たちに関するわずかな記録 彼女の祖母は、人の頭をカーブした刃で切り落とすことができ、とげだらけの壁を越えることもできた。そして祖母は王を守るために一生を捧げた。 年老いた女性の語ったこれらの証言は、外国人探検家のメモにも記された。しかし、近代史唯一の女性だけの軍隊であるダホメ王国の女戦士たちについて、全体像を捉えることはできていなかった。 研究者たちは何十年もかけてヨーロッパや西アフリカの古文書を調べ上げ、フランスの将校、イギリスの商人、イタリアの宣教師の手記から、その姿を明らかにしようとしてきた。

    植民地の歴史に消えた、アフリカ・ベナンの世界唯一の「女だけの最強軍隊」 | 孫たちの証言を通じ、女戦士たちの記憶を現代に留める
  • 大航海時代の欧州を魅了した象牙細工、アフリカのベニン王国

    かつて西アフリカに栄えたベニン王国では、職人たちの高い技術が用いられた象牙の美術品が作られ、ポルトガルとの貿易で取引されていた。

    大航海時代の欧州を魅了した象牙細工、アフリカのベニン王国
  • nix in desertis:高校世界史上で「大ジンバブエ」と「モノモタパ王国」をどう扱うか

    高校世界史深掘りシリーズ。現在のジンバブエ共和国には,その国名の由来となった大ジンバブエ(グレート・ジンバブエ)遺跡がある(見たことがない人のためにGooglemapにリンクを張っておく。ストリートビューで中を見ることができてけっこう面白い)。大規模な石壁に囲まれた都市遺跡であるが,この都市を建設したのは誰かというのは長年論争があった。19世紀後半から20世紀前半にかけては「サハラ以南の黒人にこのような都市を建設できるはずがない」という偏見からフェニキア人などの非黒人建設説が唱えられていたが,20世紀半ばにはさすがに否定され,現地のショナ人のモノモタパ王国(ムタパ王国)が建設したという説が有力になった。 しかし,現在ではこの説も否定された。というのもモノモタパ王国の存続年代が以前は11〜19世紀とされていたが,これは支配階級の部族や栄えた地域の変化を無視して,ザンベジ川とリンポポ川に挟まれ

    DG-Law
    DG-Law 2021/01/29
    今回は珍しくアフリカ史。/反応を見て,これでも最近の高校世界史ではアフリカ史の比重が高まっているのだなとポジティブに考えることにした。/講談社現代新書『新書アフリカ史 改訂新版』はお勧めです。
  • 服部正也氏の「ビッグ・プッシュ」(「ルワンダ中央銀行総裁日記」より) - himaginary’s diary

    少し前の話だが、石町日記さんが服部正也氏著「ルワンダ中央銀行総裁日記 (中公新書 290)」*1を読んで非常に面白かったというエントリを上げていた。 実はこのを小生も持っていたのだが、これまで棚の奥にしまったままだった。それを今回ふと取り出して読んでみたのだが、確かに面白い。最後の離任のシーンなどは、冒険ダン吉のラストシーンを彷彿とさせた*2。ネットで検索してみても、このに素直に感動したという感想がいくつも見られる。 ただ、そうした物語的な面白さもさることながら、このには現代の経済学者、特に国際援助や成長論を論じる経済学者に取って非常に意義のある内容が含まれているのではないか、と思った。現在のその分野では、ローマーとルーカスが内生的成長論を発展させ、スティグリッツがIMFの画一性を批判し、サックスが先進国によるアフリカ援助を唱導し、そのサックスの大上段をイースタリーが批判する、と

    服部正也氏の「ビッグ・プッシュ」(「ルワンダ中央銀行総裁日記」より) - himaginary’s diary
  • 「カントリー・オブ・マイ・スカル―南アフリカ真実和解委員会“虹の国”の苦悩」

    1990年、ネルソン・マンデラが釈放され、アパルトヘイト政策の撤廃がデクラーク大統領によって宣言されると、南アフリカは内戦の危機に陥った。それまで特権を享受していた白人は黒人からの復讐におそれをなし、極右白人勢力は爆弾テロを開始、アパルトヘイト体制に近い黒人ズールー民族主義者が同じ黒人の反アパルトヘイト運動政党アフリカ民族会議(ANC)派の民衆を攻撃し始め、各地で白人、黒人、カラード入り乱れての暴動と武力衝突が頻発する。 ポストアパルトヘイト体制への移行をどうするか?最大の問題点は各勢力とも、勢力が均衡して武力を行使しうるだけの力を持っていることだった。ゆえに一方を排除した体制を構築するならば、たまりにたまった民衆の怒りと憎悪に後押しされて容易に内戦に突入しかねない。そこで彼らは権力移行に際してすべての勢力を取り込んでの体制づくりという妥協の道を模索し、アフリカ民族会議(ANC)と旧与党国

    「カントリー・オブ・マイ・スカル―南アフリカ真実和解委員会“虹の国”の苦悩」
  • 沈没船が明らかにする奴隷貿易の変遷

    1790年代に描かれた絵画『Table Bay Cape Town』。サン・ジョゼ号の沈没現場近くの景色が描かれている。荒れた海と強風に襲われた同船は、バラバラに破壊された。(PHOTOGRAPHY BY PAM WARNE, AFRICAN IMAGE PIPELINE/IZIKO MUSEUM) 1794年12月、アフリカ東海岸にあるポルトガルの奴隷貿易会社から、1隻の船が旅立った。それは、恐ろしい航海の始まりだった。モザンビークを発ち、南アフリカ沖の荒れた海域を回り大西洋を渡るという無謀な旅は、全行程7000マイル(1万1000キロ以上)に及ぶ。1カ月の期間がかかるものの、見返りも大きかった。船倉には400人を超える男女・子どもが拘束され、無情にも売買される運命にあった。 このサン・ジョゼ・パケテ(São José Paquete)号はブラジルに到達できなかったが、その残骸が発見され

    沈没船が明らかにする奴隷貿易の変遷
    DG-Law
    DG-Law 2015/06/11
    モザンビーク発とは非常に珍しい。記事中にある通り,ほとんどの黒人奴隷は西アフリカ出身だった。その意味でも貴重な資料になるだろう。
  • アフリカに2000以上もの言語が存在する理由とは?

    By World Bank Photo Collection 56もの国から構成され全世界人口の7分の1を有するアフリカは、使用されている言語の数が非常に多く、確認されているだけでも2000以上あります。対して、全人口の8分の1が集まるヨーロッパでは約300の言語しか存在しません。一体なぜアフリカではヨーロッパの6倍以上もの言語が話されているのか、唱えられている様々な説をCSMonitorが公開しています。 Why does Africa have so many languages? - CSMonitor.com http://www.csmonitor.com/Science/Science-Notebook/2015/0421/Why-does-Africa-have-so-many-languages ◆遺伝的多様性との関係 人間の体はすさまじい数の細胞で構成されており、その細胞

    アフリカに2000以上もの言語が存在する理由とは?
    DG-Law
    DG-Law 2015/05/26
    政治的な事情は大きいと思う。国民国家形成というか,その前の近世の段階で消えた言語は多かろう。その波に飲まれなかった地域が現在でも多言語なのでは。オセアニアとかサハラ以南とか。
  • ケープ植民地から南アフリカ連邦成立までの歴史まとめ | Call of History ー歴史の呼び声ー

    アパルトヘイト体制成立に至る南アフリカ史の簡単なまとめで、とりあえず1910年の南アフリカ連邦の成立までを大まかに。 オランダ領ケープ植民地十五世紀末まで南アフリカはヨーロッパと隔絶された地であったが、1497年ヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰経由でのインド航路を開拓すると、まずポルトガルが、続いて十六世紀末までに欧州諸国が相次いでアジアへと進出する。南アフリカは航海の難所であったため補給地としてそれほど重視されていなかったが、十七世紀に入り、スペインとオランダとの海上覇権争いが熾烈なものとなると、オランダ東インド会社(VOC)は南アフリカに中継拠点を築くことを考え、1652年、ヤン・ファン・リーベックによってケープ半島とテーブル湾一帯に植民地(オランダ領ケープ植民地)が築かれた。 当初のVOCの目的は現地民との交易で船舶の水・糧や薪等を調達することだったが、周辺のコイコイ人部族にはそのニーズ

    ケープ植民地から南アフリカ連邦成立までの歴史まとめ | Call of History ー歴史の呼び声ー
    DG-Law
    DG-Law 2015/04/08
    「遡ること二百年前にオランダから王を迎え入れてそれを「名誉」としていたことを綺麗に忘れている滑稽さはさて置こう。」wwwwwwww
  • やる夫はアフリカで奇跡を起こすようです 最終話 未来:泳ぐやる夫シアター

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    やる夫はアフリカで奇跡を起こすようです 最終話 未来:泳ぐやる夫シアター
    DG-Law
    DG-Law 2014/08/15
    その1をブクマ済だけど,参考文献のためにこちらもブクマ。めちゃくちゃおもしろかった。
  • やる夫はアフリカで奇跡を起こすようです その1

    ボツワナ共和国初代大統領、セレツェ・カーマの一代記の予定です。 あまり知られていない政治家、しかも作者は超ド級の初心者ではありますが、 よろしくお願いします。 ,,、,、、,,,';i;'i,}、,、 ヾ、'i,';||i !} 'i, ゙〃 ゙、';|i,!  'i i"i,       、__人_从_人__/し、_人_入 `、||i |i i l|,      、_)ヒャッハー! ',||i }i | ;,〃,,     _) あの村を襲えーー! .}.|||| | ! l-'~、ミ    `) ,<.}||| il/,‐'liヾ;;ミ   '´⌒V^'^Y⌒V^V⌒W^Y⌒ .{/゙'、}|||//  .i| };;;ミ Y,;-   ー、  .i|,];;彡 iil|||||liill||||||||li!=H;;;ミミ {  く;ァソ  '';;,;'' ゙};;彡ミ ゙i [`

    やる夫はアフリカで奇跡を起こすようです その1
    DG-Law
    DG-Law 2013/12/16
    良スレ。ボツワナの歴史を扱っている。終盤まで来てるけどまだ微妙に完結してない。
  • 南アのマンデラ元大統領死去 反アパルトヘイト闘争指導:朝日新聞デジタル

    【ヨハネスブルク=杉山正】南アフリカの反アパルトヘイト(人種隔離)闘争の元指導者でノーベル平和賞受賞者ネルソン・マンデラ元大統領が日時間6日朝までに死去した。95歳だった。ズマ大統領が5日、国営テレビで発表した。 27年半に及ぶ獄中生活を経て、旧白人政権との対話を通じ民主化を実現した。新生南アフリカの大統領を務め、人種・民族間の和解を推し進めた。 マンデラ氏は今年6月、肺の感染症のために首都プレトリアの病院に緊急入院した。9月にヨハネスブルクの自宅に戻り、治療を続けていた。

    南アのマンデラ元大統領死去 反アパルトヘイト闘争指導:朝日新聞デジタル
    DG-Law
    DG-Law 2013/12/06
    20世紀の終わりがまた一つ。
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