稲田防衛大臣は閣議のあとの記者会見で、戦前などに使われていた教育勅語について、親孝行など、現代でも通用するような価値観があるとしたうえで、唯一の教育方針として取り扱うことは不適切だという認識を示しました。 そのうえで、稲田大臣は「日本は単に経済大国を目指すのではなく、高い倫理観と道徳心で世界中から尊敬され、頼りにされるような国を目指そうということを今まで申し上げてきた。しかしながら、教育勅語を唯一の教育方針として取り扱うことは不適切だと考えている」と述べました。
義家弘介文部科学副大臣は7日の衆院内閣委員会で、幼稚園など教育現場の毎日の朝礼で子どもたちが教育勅語を朗読することについて、「教育基本法に反しない限りは問題のない行為であろうと思います」と答弁した。 民進党の泉健太氏が、学校法人「森友学園」(大阪市)が運営する幼稚園の従来の教育方針に触れたうえで、「朗読は問題のない行為か」とただした。 泉氏が「『教育基本法に反しない限り』とは何か」と重ねて問うと、文科省の白間竜一郎審議官が「どういう教育を行うかは一義的にそれぞれの学校で創意工夫しながら考えることであり、問題があるかどうかは法令等に照らし、所轄庁である都道府県が適切に判断される」と答えた。 教育勅語をめぐっては、中曽根内閣だった1983年5月の参院決算委員会で、瀬戸山三男文部大臣(当時)が島根県の私立高校が学校行事で教育勅語を朗読していたことについて、「教育勅語を朗読しない、学校教育において
この国会質疑は必見だと思います。今話題の教育勅語の本質が理解でき、歴史を振り返ると共に浮かび上がってくるのは、安倍政権が取り戻そうとしている方向性が、15回もの出兵と4回の戦争を起こした戦前の70年であると、自ずと理解できます。安倍政権が排除されなければならない大きな理由がそこにあると思います。その手段として、森友学園を巡る嘘が暴かれ、政権ごと崩壊すれば良いと思います。 横路孝弘議員の質疑は、問題教師を諭すような校長先生のようで、稲田大臣を救うために改心を促しているようにさえ見えます。これで何かしら変化が起こらなければ、自滅していくしかないと思います。 横路議員:今日は稲田大臣にですね、あなたの歴史観とか、或いは教育観とか、そういうことを主に質問をしますので、自分の言葉でお答えを、考えを率直に言っていただければというように思います。 1つは籠池前理事長が、テレビで発言するのを見たんですが、
3月14日、ということは、いまこの原稿を書いている現時点から数えて2日前に相当するのだが、その3月14日に開かれた会見の中で、文部科学大臣の松野博一氏が、不可思議な見解を漏らしている。 松野大臣は、教育勅語について、憲法や教育基本法に反しないような配慮があれば「教材として用いることは問題としない」と表明したのだ(こちら)。 なんとまあ不用意な発言ではあるまいか。 念のために解説すればだが、教育勅語は、既に効力を失った教材だ。 というよりも、教育勅語は、単に効力を失ったのではなくて、より積極的に、教育現場から「排除」され、「追放」された過去の亡霊だ。歴史上の悪夢と申し上げて良い。 事実、この勅語に関しては、「憲法の理念に反する」として1948年に衆議院で「排除決議」が採択され、あわせて参議院でも「失効決議」が採択されている。 してみると、このたびの松野大臣の発言は、一旦国会の場で、「憲法の理
高橋源一郎 @takagengen この前、「方丈記」を現代語に訳したのだが、実は、古典の現代語訳は、個人的に、しょっちゅうやっている。人知れずだが。というのも、普通に古典を読んだり、あるいは、いわゆる「現代語訳」を読んでいてもピンと来ないことが多いからだ。なんか、そういう意味じゃないんじゃないかなあ。そう思える。 2017-03-15 14:38:52 高橋源一郎 @takagengen たとえば、「朕惟フ」と言うと、ふつう「私は思う」と訳す。もちろん間違っていない。でも、なんか違う。「朕」を使えるのは、天皇ただひとり。同時代で、「朕惟フ」を読んだ人は、「私は思う」とは受けとらなかったんじゃないかな。正確だけれど「正しくない」訳、そんな気がする。 2017-03-15 14:40:47 高橋源一郎 @takagengen というようなことを、昨晩、ここ何年か連載している「論語」全訳の途中
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