ホックシールドの「壁の向こうの住人たち」によれば、競争社会思想の信者は、自分が弱者になると、頑張っている自分が競争に負けるはずない、本来は競争に負けて転落すべき連中がズルをしているせいでこんな結果になったと考え、競争社会化をいっそう支持したり、弱者叩きに走ったりしがちだそうだ。
ホックシールドの「壁の向こうの住人たち」によれば、競争社会思想の信者は、自分が弱者になると、頑張っている自分が競争に負けるはずない、本来は競争に負けて転落すべき連中がズルをしているせいでこんな結果になったと考え、競争社会化をいっそう支持したり、弱者叩きに走ったりしがちだそうだ。
デビットライス( id:DavitRice )さんの記事を読んで思ったのだけど、こういう社会的文脈での弱者男性女性論ってそもそも論として違和感がある。 gendai.ismedia.jp 実際問題として統計上、恋愛しない人が増えているうえに少子高齢化も喫緊の問題なので恋愛が社会的な文脈で語られるのはわかる。しかし恋愛を社会的に語れば語るほど「語るに落ちる」ことになっている。 大前提として人間は社会の駒である側面と、そうでない側面を持っている。仕事などは前者の側面のほうが強いが、恋愛は後者の領域なので社会的駒としての文脈で語るとおかしなことになる。 恋愛を過度に社会的なものとして語ると恋愛が社会に飲み込まれてしまう。実際にマッチングアプリなどではそういう「社会的駒としての恋愛」が日常になっているのを見るにつけ、すでに恋愛が恋愛ではなくなり、取引になっている側面があることはみなが感じていること
「お金が欲しいと思っているのに稼げていないなら、お金を稼ぐのが下手なだけだよ」 とある事業家っぽい人がそんなふうに言っているのを聞いて、私はすこしムッとした反面、じわじわと、ああ、なるほど…なるほどなぁ……と、自分のこれまでの色々なことが腑に落ちたのであった。 自分のこれまでの仕事の選び方を振り返ってみると、できるだけ沢山お金が欲しい、と思いながらも、給料や報酬だけではなく、やりがいとか、自分の強みとか、自分の経験とか、責任の大きさとか、色々考えて選んでいた。 お金が欲しいといいながら、ついでにお金以外のものを欲しがった。 さらには、お金を稼げるようになりたい。 そのためにまずは人脈づくりだ そのためにまずは知識だ勉強だ そのためにまずは経験だ修行だ と、あれこれ考え 社交っぽい場所に高いお金を払って行ってみたり、 資格試験の勉強にお金と時間を使ってみたり、 経験を積むためとかいって安い給
人手不足なのに給料が上がらないのは、経営者の強欲のせいではなく、仕事に要求される能力が高くなったから。 こんにちは。コワーキングスペース「Basis Point」の運営会社、Ascent Business Consulting代表の北村です。 人手不足による倒産が世の中で増えている、という報道を見ました。 【独自】人手不足倒産が過去最多ペース 月内にも前年水準超え 深刻な人手不足を背景にした国内の企業倒産が件数・負債総額ともに過去最多ペースで増加していることが14日、分かった。(中略) 従業員が確保できず事業継続が困難になったり、社員を引き留めるため賃金を無理に引き上げたことで収支が悪化したりしたケースが目立つ。 (産経ニュース) 内閣府の発表によれば、現在の人手不足感は、「バブル期並み」とのこと。 それに伴い「人手不足なのに、なんで賃金が上がらないの?」という疑問を持つ方が増えてきたよう
バーチャルYouTuberの「キズナアイ」がNHKのノーベル賞特設サイトに登場したことについて、ネット上で議論が起きた。太田啓子弁護士は「このイラストを使う感覚を疑う。女性の体はしばしばこの社会では性的に強調して描写されアイキャッチの具にされる」と批判。社会学者の千田有紀さんは『ノーベル賞のNHK解説に「キズナアイ」は適役なのか?』というYahoo個人の記事で、相槌を打つ役割を担わされているキズナアイのジェンダーロールの問題を指摘した。 NHKのノーベル賞解説サイト「まるわかりノーベル賞2018」より 私がここで取り上げたいのは、議論の内容そのものではなく、こういう議論がどのような場で行われるのが良いのかという「土台」の問題である。千田さんはヤフー記事への批判の反論として、Twitterでこう投稿している。 “私自身は「表現の自由」は国家から規制されるべきものではない、とは思う。でもそう思
blog.tinect.jp リンク先を読みながら、地方で子育てをやっている我が身を振り返って、少し悲観的な気持ちになった。 私は、地方の国道沿いの、イオンやユニクロやニトリから程遠くない郊外に住んでいる。家族で普段の買い物を済ませるには便利だし、東京のような不動産の高騰にも直面していない。 私立中学校にお受験させなければならないわけでもなく、公立高校の進学校を選べば学費はそれほどかからない。高専に進学するならもっと安くて済むだろうし、地元の国立大学を選べば大学でも費用は少なめになる。「子育てを地元で完結させる」ぶんには、地方は子育てしにくい土地だとは思えない。 けれどもリンク先のfujiponさんがおっしゃるように、都会で色々な文物に触れてまわっている子どもたち、早くから進学校に通い、都内や海外の大学へ進学していくであろう子どもたちと比べた時、地方暮らし・田舎暮らしに利点があるかというと
なぜはあちゅうが今さら創作の話を持ち出すのか、普通に生活していると理解できない。しかし、はあちゅうの立場に立ってみれば簡単にわかる。 端的にいうと、はあちゅうは『コンテンツ』でもあり『人格』でもあるという微妙な立場にある。そしてこの立場では絶妙な立ち回りが必要なことに気づいていない。 『コンテンツ』のコードはゆるい。セクハラするキャラであればセクハラ描写が許されるのがコンテンツの世界だ。セクハラキャラの芸能人がツイッターでセクハラツイートしてもよほどのことがなければ炎上することはない。 『人格』のコードは複雑な上に厳格だ。人格のコードに正解はほとんどないので「嫌われる」「好かれる」のラインを暫定的に採用するしかない。ポリコレは現代社会ではそれなりに無難な指針になる。 一般人の生活はコンテンツではないので人格のコードだけで生きていけるし、コンテンツとしてエッジを立たせる必要がない以上コードギ
仕事において上司の定型句「自分から動け」を真に受けないほうが良い、というのは賢い大人なら誰しも知っている。 なぜなら、 ・「自分から動いて欲しい人」にカテゴライズされているか ・「勝手に動いてほしくない人」にカテゴライズされているか を知るのが難しいからだ。 だが、「勝手に動く人」はそういうことを気にするほど繊細ではない。 したがって、賢い人は、その賢さ故に「指示待ち」となり、勝手な人はその鈍感さ故に「問題児」となる。 サラリーマンとしては、結果的に「指示待ち」が増えるのは、当然の帰結だ。 だから、「指示待ちになるな」とは、実際にはあまり意味のないアドバイス(?)だ。 本当に指示待ちになってほしくなければ、やはり適切な人に明確に権限を預けなくてはいけない。 「指示待ち」を減らすのは、結局は部下の能力ではなく、上司のマネジメント力なのである。 漫画:眞蔵修平 website:http://w
脱成長派は優し気な仮面を被ったトランピアンである――上野千鶴子氏の「移民論」と日本特殊性論の左派的転用 北田暁大 社会学、メディア史 政治 #新自由主義#脱成長#移民論 以下では上野千鶴子氏の「移民悲観論」について相当に厳しい調子で批判を展開する。読者のなかには、「それほど強く批判する必要はない」「上野氏の業績を否定するのか」といった印象を持つ方が一定数いらっしゃると思う。たしかに、我ながらいささか感情的に書き殴っているという自覚は持っている。 私自身は、上野氏に学問的にも人間的にも大きな恩義を感じているし、日本のフェミニズムを切り開いた上野氏の業績に畏敬の念を抱いている。しかしここ数年、しばしば見かける上野氏の、おそらくは無自覚の「新自由主義」的な議論に危うさを感じ、学恩を受けた一人として、その議論の問題について対談やSNSなどさまざまな場で、同時代の社会学者として疑問を投げかけてきた。
2016年8月30日、これまで2社のCTOと5社の技術顧問を経験してきた一休の伊藤直也氏による「1人CTO Night」が開催されました。主催は転職サイト「DODA」を運営する、株式会社インテリジェンス。開発知識に加え、マネジメントスキルも求められるプロダクトマネージャーが最速・最高のアウトプットを生み出すにはどうすればいいのでしょうか。本パートでは、伊藤氏がチームが抱える課題をいち早く見つけるためのフレーミングと1on1について話しました。 チームが最もベストな状態は「責任と心理的安全性が高い」 伊藤直也氏(以下、伊藤):次は、「組織課題の発見とアプローチ」について。 僕が最近すごく気に入っている考え方がありまして、それが「心理的安全性と責任」という話なんですよね。『チームが機能するとはどういうことか――「学習力」と「実行力」を高める実践アプローチ』に書いていたもので、ここでもやはり「2
テレビで女性の貧困やってて、芸能人の人が、「なんで助けを求めない。恥かいてもいいじゃないか」と言っていた。それって、クラスでいじめられていた人に、「なんで助けを求めないんだ」と言うのに似てるんだと思う。多分。 — 慎 泰俊 / Taejun Shin (@81TJ) 2013, 12月 10 「日本の「芸能人」たちに絶望的に欠けているもの」という記事を書いたばかりですが、色々欠けてますね、ホント…。 助けを求められないから、辛い状況に陥る 何度も書いている気がしますが、「なんで辛いのに助けを求めないの?」と語る人は、超シンプルな「順番」を見逃しています。 辛い状況に陥っている人は、そもそも人に助けを求められないから、辛い状況に陥っているんです。「その人の性質によって、その人を取り巻く環境によって、助けを求めることが難しくなっている」という「前提」がまず存在しており、だからこそ、辛い状況に陥
多分、報・連・相の意味は間違って伝えられてるよ | 日系パワハラ http://nikkeiph.com/spinaches/ 私は、会社の"ほうれんそう"が立派に育っているかどうかの一つの目安はイヤな情報、喜ばしくないデータなどが何の粉飾もされずに正しく上に伝えられることだと思っている。 〜中略〜 上の人間が聞いて不快になりそうな情報は、なるべく伝えないようにしようという土壌がいつのまにかできているとしたら、この土壌には"ほうれんそう"は育たない。 そして山崎氏曰く、若い人からの率直な意見は吸い上げ、問題点があるならば改善するなど積極的な反応が大事だといっています。そればかりか、ほうれんそうを腐らせているのは管理職であるとも遠回しに言及しておられます。 この記事に共感したので、 上司と部下の視点で思うところを書いてみます。 ちなみに報連相の定義は、 ホウレンソウとは 〜 exBuzzwo
ブログのエントリーで正月、「年頭にあたり云々」みたいな話題もありかなあと思いはしたが、書いても詮無しという感じがしたのと、危機煽ったり嘘臭い希望を語ったり、ありがちな世代間闘争とか消費税云々とかいうお決まりのお題をこなしたりとかにもうんざりしたのでゲームばっかりしていた。とはいえ、お節やお雑煮を食い過ぎて伏せりながら、いろいろ思うことはあった。一つは「○○○は絶対反対」主義の蔓延をどうしたものかな、と。 昔もそうだったといえばそうかもしれないが、小泉政権のあたりから、「○○○は絶対反対」という人が多くなったような気がする。たぶん、昔からあるのだろうけどネットの利用者が拡がることで目に付くことも多くなったのではないか。 以前の話だが沖縄で暮らしたころ、久茂地「りうぼう」で買い物をすると向かいの県庁の前でよく反戦運動とかの座り込みやデモを見かけたものだったが、妙に小規模なものだと思うことが多か
水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。 先週の火曜日は所属団体総会で代々木へ。新宿で小田急に乗り換え。当然のごとくにディスクユニオン新宿プログレ館経由となりました。CDは購入せずに買ったのは「証言!日本のロック70’s」というタイトルの書籍。 これはよかったです。何がよかったと言って、自分の中でB’zの評価が定まったからに他なりません。B’zくらい、自分の中で評価不能なバンドはありませんでした。 他にはない独自のグルーブ感、キレ。かっこいいです。ギターもボーカルも最高です。でも、どこかロックとしてはうそ臭いわけです。ロックの様式をとりながら、別の音楽をやっているかのような印象を常に受けてきました。 実に巧妙にして莫大なパクリをしているとの指摘(この世界それが悪いわ
祖父江 慎(そぶえ しん) @sobsin 心配症のデザイナーほど「センター揃え」や「左右揃え」というレイアウトをしてしまう。だけど、それって逆効果。・・・揃えれば揃えるほど、コミュニケーションも閉ざされていくのじゃ。 2011-03-06 14:46:17 祖父江 慎(そぶえ しん) @sobsin 逆をいえば、コミュニケーションを求めることを必要としないような一方的で守りの構成には「センター揃え」や「左右揃え」など幾何的な構成は、効果的。でも、それって、コミュニケーションや生命力を持つことをあきらめたような構成でもある・・・ってことを忘れちゃダメだじょ〜。 2011-03-06 14:56:07
1 :ノー子孫でフィニッシュです:06/12/08 15:37 ID:UUdlQUn30 「何もしない人ほど批評家になる」 自分がバカにされないことに意識を集中する。 これが劣等意識がもたらす「引き下げの心理」なのです。 部下の行動、妻の言動、何かのコラムに批評することで 「自分の方が偉いんだ!凄いんだ!」と自分で確認しなければ、気がおさまらない。 だから、良いところより、批判することにのみ、すぐに意識が向く。 なぜ、人を誉めること、よい所を認めることにこれほど、ある人は抵抗感を持つのか。 誉めないまでも、一つの考え方としてとらえる事ができないのでしょう。 演劇や舞台の批評文ばかりを見て、あの舞台はキャスティングミスさ、 台本の流れが問題さと、退屈と苛立ちにアグラをかいて、人を批判するより、 一生懸命作っている演出家や出演者の方が人生を楽しんでいるし、心からの友達も多いはず。 何もしない人
普天間問題で、「社民党はよく筋を通した」みたいな言い方をする人がいるのだが、まったく冗談じゃないと思う。本当に社民党はどうしようもない政党だと痛感させられた。 社民党が米軍基地を県外あるいはグアムに移転するために、これまで何らかの根回しや外交努力を水面下でしてきたのだろうか。ほとんど何もやっていないだろう。沖縄県民の反基地世論をそのまま代弁するだけで、それを現実化していくための政治的な努力を粘り強くやってきたのだろうか。もしやっていたのであれば、当然鳩山首相が今のように窮地に陥るはずもなく「さすがは社民党」と目を細めたはずだが、実際は「結局実現不可能なことばかり言って、この俺までだましやがった馬鹿左翼政党が」と、あきれかえっているのではないだろうか。 社民党がこの問題に強硬に「筋を通している」のは、沖縄県民の反基地世論と、左翼系の学校教師や大学教授、一部の市民団体など、いわゆる「教条左翼」
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