落合陽一のアーティストとしてのステートメントの中に質量への憧憬というものがある.デジタルから見た物質性,質量性への憧憬である.メディアアートの本歌取りみたいなものだ. NFTと500年持つと言われているプラチナプリント(おそらく支持体に依存するのでちゃんと保存すれば1000年〜くらいはいくのかもしれない),どちらの寿命が長いか気になってきた.そしてこの問いかけは作品になるかと思った.本質的に非中央集権である物質の寿命とブロックチェーンの寿命.直感的にはNFTはそこまで持続しない.しかしやがて失われたNFTにアクセスできないという儚さはときに批評性を持つ.それはまさに幾多のメディアアートが起動しないコンピュータや揮発したROMによって死んでこそ完成されていったことに似ている.様々な手法は生まれるだろうが,数百年単位で見れば遅かれ早かれ(どんなに工夫を凝らしたとしても)ネットワーク上のシステム