専門職で年収の高い人を労働時間規制から外す「高度プロフェッショナル制度(高プロ)」を「残業代ゼロ法案」と強く批判してきた連合が、条件付きで導入の容認に転じたことが組織内に波紋を広げている。方針転換を主導した次期会長の有力候補の「独走」に、傘下の労働組合が冷めた視線を注いでおり、今秋の会長人事にも影…
専門職で年収の高い人を労働時間規制から外す「高度プロフェッショナル制度(高プロ)」を「残業代ゼロ法案」と強く批判してきた連合が、条件付きで導入の容認に転じたことが組織内に波紋を広げている。方針転換を主導した次期会長の有力候補の「独走」に、傘下の労働組合が冷めた視線を注いでおり、今秋の会長人事にも影…
「労組なのに会社と同じことを言う。信頼できない」「結局、労組は会社の味方なんだと思った」――。経営側と渡り合い、社員を守る「味方」であるはずの労働組合に対する働き手の信頼が揺らいでいる。組合員の声に寄り添わず、職場の不満をすくい上げようとしない労組は、いったい誰のためにあるのか。 2016年11月24日。大手電機メーカー、三菱電機に勤める男性(32)が精神疾患を発症したのは長時間の過重労働が原因だったとして、藤沢労働基準監督署(神奈川県藤沢市)が労災認定した。男性は13年4月に入社。情報技術総合研究所(同県鎌倉市)に配属され、家電などに使うレーザーの研究開発を担当していたが、14年6月からうつ病で休職していた。 会社の人事課は当初、休職の期限は「17年6月」と男性に通知していた。ところが、16年2月、休職期限は1年短い「16年6月」だと人事担当者から突然告げられた。社内規則を見誤り、期限を
日産自動車の労働組合リーダーとして大きな影響力を持ち、小説のモデルにもなった塩路一郎(しおじ・いちろう)さんが1日、食道がんで死去した。86歳だった。葬儀は近親者で行った。 東京都出身。明治大学を卒業後、1953年に日産自動車に入った。58年に日産労組書記長、62年に日産グループの労組でつくる自動車労連の会長に就任。72年に自動車総連を結成し、86年まで会長を務めた。 日産で労使一体化路線を進めた。役員人事にも影響力があるとされ、高杉良の小説「労働貴族」のモデルになった。国際労働機関(ILO)理事にも当選し、国際的な活動もした。 世代交代を求める声が高まり、86年に労働界から引退。その後はコンサルタント会社の経営などに携わった。
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