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天皇制に関するringonouenのブックマーク (4)

  • 日本はなぜ「万世一系」を必要としたか - 読む・考える・書く

    歴代天皇のいわゆる「万世一系」について、真に問わなければならない問題とは何か? それは、「万世一系」の定義とか、それは事実かどうか、といったことではなく、なぜ天皇は「万世一系」ということになっていなければならないのか、そもそもなぜそんなものが必要だったのか、という問題だと私は考えている。 「万世一系」の天皇を戴く大和民族の一員であることにしか自尊感情の源泉を見いだせないある種の人々(「特定日人」とでも呼ぶべきか?w)は、幾多の王朝が興亡を繰り返した中国と比較することで自国の優位性を言いたがる。 なので、ここでも中国との比較を通してこの問題を考えてみることにしよう。 ■ 疑問1前回の記事では、武烈―継体間の王統断絶を取り上げた。ここで、日書紀は、前王朝最後の王武烈を、悪逆非道の暴君として描き出している。 武烈2年: 妊婦の腹を割いて胎児を見た。 武烈3年: 人の生爪を抜き、その手で芋を掘

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  • ではそろそろ「君が代」が果たしてきたおぞましい役割を具体的に - 読む・考える・書く

    関連記事: 「君が代」とはどういう歌か 上記記事へのコメント Jackopoid 2014/01/16 11:44 「おぞましい役割」とは何ぞや。言を濁さず忌憚なく述べたまえ。 こういう要望もあるので、具体的に述べていくことにしよう。 「君が代」が国民に天皇崇拝意識を刷り込むための道具として徹底的に利用されたことは、上記記事でも説明した。 では、その結果としてどんなことが起こったか。 たとえば1945年3月10日、東京大空襲での出来事。[1][2] … 10日零時8分、一番機は探川区(江東区)木場二丁目、白河町に焼夷弾を投下、強風にあおられた火災は爆撃目標の中心を明示した。 零時10分、城東区北砂町が火災につつまれた。零時12分、所方面に焼夷弾が豪雨の如くそそぎ、下町一帯が火の海となった。まだ空襲警報のサイレンは鳴らない。 つづいて隅田川をこえた日橋、郷にも火の手があがった。 第一弾

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  • 天皇制の顕教と密教 - 読む・考える・書く

    こちらの記事でも触れたが、維新の「志士」たちは天皇を「玉ギョク」などと呼び、自分たちの権威付けのための単なる道具と見なしていた。そこには天皇という存在に対する真摯な崇敬も、天皇その人への人格的敬愛もなかった[1]。 (略)なお、木戸孝允があの慶応三年の大政奉還から王政復古のころにかけて書いた手紙を見てみると、天皇のことを、かれらのあいだでは「玉」(タマ、ギョク)といっている。「玉を奪う」とか、「以前は玉を幕府側に奪われたためにクーデターに失敗したけれども今度こそはわが方で“玉”を握って離さないようにしなければならない」などという。倒幕派にとっては、天皇は、自分たちの立場を合法化するための一つのシンボルにすぎなかった。 一方で彼らは、被支配層である人民大衆に対しては、徹底的に神格化された天皇像を刷り込んだ。人民告諭や教育勅語、明治憲法などがその典型である。 つまり、人民大衆向けの表向きの天皇

  • 内田樹氏が「天皇主義者」となった理由を聞いて、天皇制を許してはならないという確信がさらに強くなった。 - 読む・考える・書く

    自ら「天皇主義者」であると宣言した思想家・内田樹氏が、キリスト教系の月刊誌『福音と世界』で、そのように宣言した意図についてインタビューを受けている。(以下、内田氏のブログに転載されたもの[1]から引用する。) 「天皇主義者」と自称してはいても、氏はもちろん戦前のような天皇絶対の国家体制を支持しているわけではない。そうではなくて、氏は、所詮天皇制は政治的フィクションであることを認めた上で、戦後日の象徴天皇制は「統治システム」として非常によく機能しており、これを現代日社会を「より暮らしやすいものにしていく」ためのリソースとして活用していくべきだと提言しているのだ。 「焦点が二つある」統治システムが「土建国家」ニッポンを作った 天皇による「鎮魂」と「慰藉」は政治責任逃れのトリック 天皇は徹底的に「記号化」されるべき 逆立ちした議論になるのは統治者目線に立っているから 「焦点が二つある」統治シ

    内田樹氏が「天皇主義者」となった理由を聞いて、天皇制を許してはならないという確信がさらに強くなった。 - 読む・考える・書く
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