Author:F爺・小島剛一 F国(= フランス)に住む日本人の爺さん。 専門は、言語学(特にトルコ語、ザザ語、ラズ語など)、民族学、日本語文法、作曲・編曲、合唱指揮など。 詳しいことは「Catégories」欄の「自己紹介」という記事に。
馬場伸一さん アンケートに第一号のご回答、ありがとうございます。 >独特の雰囲気は感じていました。娑婆っ気がないというか、俗気がないというか、妙に脂っ気の抜けた「乾いた」印象 そんな印象を振り撒く一団なんですよね。一人一人に、一般の人と異なる共通の特徴があります。 >いわく言い難いものでしたが。 「何がどうで、どこがどうだからそう判断するのか」と訊かれると返答に窮してしまうのですが、どこか殆ど目に付かないような細かい仕草の集大成や態度の端々に現われるものがあるのでしょうね。 「883s」さん >無宗教の日本人が大多数であるところに生まれ育っているので、本記事のお話には驚きました。 言葉を交わしてというのであれば理解できますが、一瞥して判るというのは想像することすら難しいです。 驚いたと聞かされても、こちらは驚きません。日本に住んでいた時代のF坊や→F青年にとっても、想像も付かないことでした
Turkish Restaurant Bosphorus Hasan 日本でも徐々に知られるようになったトルコ料理ですが、こんな食べ方があったのか!といった驚きの声も耳にします。ぜひあなたの目で、舌で、本場のトルコの味をお確かめください チェフ紹介 味自慢 本場トルコ料理は完全HALAL食,会社接待・ ご友人とのお食事会にお勧めです。ご希望で半個室もご用意いたします。誕生日・記念日プレートも好評! ★当店はハラールレストラン、お食事はすべてHALAL FOODです(食肉はイスラム法にのっとって処理されたもの、 原材料もHALALイスラム法の食品規格を守り食の安全・ 安心に努めております。) HALALはイスラム教のみならずどなたも食することができます。 ★当店のトルコ料理は、化学調味料を一切使わずに素材の味を活かしたシンプルな料理です。また毎日作る自家製ヨーグルトをたっぷり使用しマイルドな
大学時代の同級生に、この夏45年ぶりに再会した。1968年にフランスへ渡ってからわたしたちは一度も会っていなかったが、『再構築した日本語文法』の出版記念講演で45年ぶりに彼のこえに触れた。 話を聞きながら、昔のことをひとつひとつ思い出していた。1968年のフランスの大学闘争の波は遠く日本にも及んでいた。翌1969年は東大の入試が中止になっている。 彼(小島剛一)はストラスブール大学で博士号を取得してから、半年は大学で教え、残りの半年は世界のあちこちを飛び歩いていたそうだ。行ったことがないのは南極ぐらい。『漂流するトルコ』のなかで、ゴム草履を履きながらヒマラヤを下山するときの恍惚感を書いているが、いかにも彼らしい。再会した時の別れの挨拶は、わたしは「小島剛一よ」、そして彼もまた「高木春彦よ」と、呼び合うだけで十分だった。握手する手の力の強さには驚いた。 彼の話のなかで、フランスに渡って5年目
中動態(ちゅうどうたい)、あるいは、中間態(ちゅうかんたい[1][2][3])、(古代ギリシア語: μεσότης [mesótēs]メソテース、ラテン語: [genus] mediumメディウム、フランス語:voix moyenne、英語:middle voice)は、インド・ヨーロッパ語族の態 (英語: voice) のひとつで、動詞の表す行為が、その行為者自身に及ぶ場合にとる形態的特徴のことである[4]。形は能動態であるが、受動態の意味を表わす態を指すとも説明される[3]。以前は、voiceを態でなく、相(そう)とも訳しており、中動相(ちゅうどうそう)とも呼ばれた。 インド・ヨーロッパ祖語での態は、能動態と中動態があり、受動態はあとから生じたといわれ、中動態は受動の意味も示した[4]。このように中動態は受動態の意味を含むため、メディオパッシヴ・ヴォイス(英語: medio-passi
小島先生へ まず最初に提出が非常に遅くなっていますことをお詫び申し上げます。申し訳ございません。 〔1〕 なるほど、私と全く逆の感覚なのですね。私にとっては「生の英語を聞き話す貴重な機会」なのです。 私は [a]ごく拙い通訳で、本当に役に立つか疑心暗鬼で [b]困っているならなるべく力になりたいから [c]遍路のことなどいろいろ聞かれるのがうれしいから [d]どうにかして意思疎通を図ろうとしているなら 力になりたいと思うのです。 ただし、私が英語を話すのは後述するようにわざわざ日本に来て下さった外国人遍路さんへの「お接待」ですから、最低限必要な要件があります。それは[d]「真摯に意思疎通を図ろうとしているなら」ということです。カタコトの日本語と身振り手振りも交えてなんとか伝えようとしているなら力を貸そうということです。英語に固執して「傲慢な態度」と感じた場合、協力する気持ち(お接待する気)
在地人さん 全く「論理不在の典型」と呼ぶべき「無駄な抗弁の試み」でした。でも、これに類した妄言を並べる欧米人や中近東人は、存外に多いのです。こういう手合いに遭遇した時の対処法を滞仏2年目か3年目に身に着けることが出来たのは、好運なことでした。後々の生活で大いに役立っています。 Syncrétisme という用語は『トルコのもう一つの顔』に出てきましたね。一読した時に実に的を射た表現だ、とうなったのを、強く覚えています。『トルコのもう一つの顔』では「諸宗教混交」と訳してあったと記憶しています。 僕も、日本の珍無類な宗教ビジネスの季節やそういったことが話題になった時には、はっきりと「僕はキリスト教徒じゃないので、祝いませんし、参加はしません」ということを公言しています。 人間関係など色んな事情から、自分の考えを押し通すことができない場合は多々ありますが、これは譲れません。 「回教圏の人でもクリ
読者の皆様 この記事に日本時間で2022年11月8日0時14分に着信したコメントは、同一の愚かなネット・ゴキブリが、意図的に多重反則を犯しながら名前欄の記載を際限無く変えて投稿しているものです。 別人のふりをしてブログの運営者を騙す行為ですから、無礼の極みかつ卑劣の極みです。 勿論、取り合いません。しばらくの間、見せしめのために「返信無し」のまま放置しておきます。気が向いた時に削除します。 当ブログ独自の投稿規定をご存じない方は、コメントを投稿する前に、必ず以下の記事をお読みください。当ブログは、匿名掲示板ではないのです。 〈コメント投稿規定 : 名前欄 2022年4月8日版〉https://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-3441.html 〈コメント投稿規定 : 本文欄〉https://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-1618.htm
剛一さん カタロニア語とバレンシア語の関係について抱いていた疑問が氷解しました。どうもありがとうございます。そういうことだったのですね。 旅行前などに新しい言語の学習を決意し、開始する度に、いつも「言語は方言連続体」という剛一さん言葉を思い出します。自分の学んだ言語を話す人々の暮らす土地を実際に訪れ、その土地の人と話すと、その通りなんだな、ということを強く実感します。この世界のどこにも「中心に言語があって、その周縁に方言がある」なんて場所は存在しないのだ、と。 こちらが謙虚さを失わず、言語を尊重(言語のみならず、文化も)している姿勢を相手が認めてくれれば、僕の下手な言葉に耳を傾けてくれますし、質問にも丁寧に答えてくれて、色んなことを語ってくれます。とはいえ、相手の言っていることは、なかなか半分もわからないのですが。そういう時、「きっと、剛一さんも若かりし頃、色んな土地でこういう経験をしはっ
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