昨日、モデルでタレントの冨永愛が初の自伝『Ai 愛なんて大っ嫌い』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を上梓したことを、本サイトで紹介した。貧しく複雑な家庭で育ち、周囲への“復讐”を果たすためモデルになり成功する。そしてレイプを想像させるような衝撃的記述も取り上げた。 壮絶で、意外な冨永の人生。だが、もうひとつ意外なのはこの冨永自伝本で表現されるひとつひとつの言葉使いの力強さ、そして荒々しさだ。 「みな殺しにしてやる。今からわたしは復讐の旅へ出る」 「チクショー。ぶっ殺してやる。チクショー。今に見ていろ」 だがそれも当然なのかもしれない。というのも本書をプロデュースしたのはあの長渕剛だからだ。「My Seif」などの長渕の歌が大好きだったという冨永は、今年になって自ら弟子入りを志願、師弟関係を結んだという。 「3年前、女優の熊谷真実を介して出会ったらしいんですが、今年になって冨永が『新しい
HEAVY GAUGE(1983年) ギター弦のパッケージを模したジャケット。 アコギにヘビーゲージを張るアマチュアはほとんどいない(見たことがない)。ほとんどはライトゲージで、せいぜいミドルだろう。理由はネックへの負担が大きく、太いので慣れていないと指が痛くなる。その代わりに、強めのアタックをしても切れにくい。ギターとの相性もあるだろうが、低音、音量増大が期待できる。 『Don't Cry My Love』、シャウトする長渕流ラブソングから始まる。詞の中に恋模様にプラス、生きざまが描かれるようになった。 個人的にこのアルバムは全曲を通して聴くことはほぼない。それはコンセプトが定まっていないように聞こえるから。 切ない別れの歌もあれば、ポップな歌もある。分かりやすいのは、『いかさまだらけのルーレット』が今後の長渕スタイルになっていくのだが、それは後の話。ともあれ、フォーク、ポップ、ロックが
長渕剛をステージで観たのは、『吉田拓郎 篠島オールナイト・コンサート'79』でのゲスト・ステージだった。 『風は南から』を出した頃で、サラサラ長髪、くたびれたジーンズの爽やかなお兄さん、という、当時、終わっていた古きフォーク時代を感じさせるいでたちだった。私服か? 歌いだして弦が切れた。スタッフに弦を替えてもらっている間、コップで何かを飲みながら、会場を睨むように眺めていた。 会場はそれを待つ間、静かにしている。黙って何かを飲んでいる長渕を見ているしかない。 そんなとき、「帰れ!」という声。単発だった。それで勇気を得たのか、面白がったのか、ポンポンとあちこちで「帰れ!」という声が聞こえだした。私はステージから比較的近いところにいたので、それがよく聞こえた。会場でも前方の一部だった。後ろからは聞こえた記憶がない。 「俺は帰らんぞ! 帰れってんならおまえが帰れ!」長渕が反撃。それでもまだ、「帰
シンガーソングライター、長渕剛さんの名曲「乾杯」といえば結婚式などお祝いごとの定番ソングとして知られ、聞くと幸せな気持ちになったりするが、「腹を抱えて笑ったwww」などとネット上で大騒ぎとなる事態が起きた。 テレビの歌番組で長渕さんが披露したのは、今の日本や音楽界、メディアを批判する歌詞に変えた「乾杯」だった。しかしその歌詞に意味不明なものがあり「中学生の作文か?」などといった苦言も出たが、視聴者は長渕さんのパフォーマンスを堪能したようだ。 「若者の貧困、地域の過疎化どうする?」「騙されねぇぞマスコミ!」 長渕さんが登場したのは2016年12月7日放送のフジテレビ系「FNS歌謡祭2016冬・第1夜」のトリだ。長渕さんがテレビに出演して歌う際には、なにかと物議を醸す行動をするため、登場前からネット上では「放送事故」を期待する声であふれていた。 この日長渕さんが歌うのは「乾杯」のニューバージョ
長渕剛がFNS歌謡祭でワイドショーや歌番組を真っ向批判! 凍りつくフジ、『とくダネ!』は長渕映像を封印 昨晩の『2016FNS歌謡祭 第1夜』(フジテレビ)での長渕剛のパフォーマンスが大きな話題となっている。本サイトは「FNS歌謡祭出演なんかよりすごい!」として、長渕剛が作家の柳美里と共作した福島・南相馬の高校の校歌を紹介したが、FNS歌謡祭のほうもすごかった。 番組の最後、トリとして登場した長渕。同番組への出演は今回が初めてで、予め告知されていたのは、この歌謡祭用にアレンジされたスペシャルバージョンの『乾杯』を披露するということだった。 カラフルなジャケット姿に、ギターを持ってひとりで暗いステージに立った長渕は、のっけから鬼気迫る雰囲気を漂わせていた。画面右上には「初出演!魂の叫び」とのテロップ。ギターをかき鳴らし始めた長渕が歌ったのは、文字通り魂の叫びだった。 『乾杯』本編を始めるまえ
笛吹 利明(うすい としあき、1953年2月 - )は日本のアコースティックギタリスト、アレンジャー、音楽プロデューサー。東京都生まれ。 経歴[編集] 笛吹は自らを「根っからのサイドマン」と評する。アマチュア時代から自分がメインとして演奏する事は一度も考えたことがなく、メインアーティストよりも、横に立ってサポートするプレイヤーばかりに目(と耳)を奪われていたという。 1973年(昭和48年)より、スタジオミュージシャンとして多数のアーティストのレコーディングに参加。 1970年代の終盤、長渕剛と出会う。1979年(昭和54年)リリースの2ndアルバム『逆流』のレコーディングが初顔合わせだった。当初はアーティストと、そのレコーディングに呼ばれたスタジオミュージシャンの一人、という関係にすぎなかったが、1980年(昭和55年)の『乾杯』、1981年(昭和56年)の『Bye Bye』を経て、19
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