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政治と教育勅語に関するmusashinotanのブックマーク (2)

  • 教育勅語? そんな過去の亡霊は、もういらないね|信州戦争資料センター(まだ施設は無い…)

    最近、教育勅語を職員研修に使っている首長がいると聞きました。まあ、ものごとを知らないから、権威にすがらないと部下を指導できないから、明治政府の作ったシステムに頼るだけなのではないでしょうか。 ところで、大日帝国憲法が発布されたのは1889年(明治22)年。「大日帝国は万世一系の天皇之を統治す」「天皇は神聖にして侵すべからず」で始まり、天皇を君主として明確にしました。教育勅語が出されたのはその翌年、1890(明治23)年10月30日のことです。教育方針について長官会議で政府にまとめてほしいと言われたなど、経過はいろいろありますが、天皇の神格化の一環であったことは間違いないでしょう。ところがよくわからない為、表題写真のように、さまざまな時代にいろんな解釈が出されています。下写真が、教育勅語全文です。 「教育勅語・戊申詔書義解」(明治44年・長野県南佐久郡校長会編)より 教育勅語は、大きく

    教育勅語? そんな過去の亡霊は、もういらないね|信州戦争資料センター(まだ施設は無い…)
  • 自民・杉田水脈氏が排外的投稿 教育勅語礼賛巡る批判に | 共同通信

    Published 2024/04/24 17:57 (JST) Updated 2024/04/24 21:30 (JST) 自民党の杉田水脈衆院議員が24日付のX(旧ツイッター)投稿で、戦前の軍国主義教育を支えた教育勅語を礼賛する杉田氏を「背筋が凍る」と批判した一部の書き込みに言及し「私は今までそんなことをおっしゃる日人に会ったことがありません」と記した。書き込んだ投稿者は日国民とは思えないとの見方をほのめかし、偏狭なナショナリズムや排外主義をあおった形だ。 杉田氏はこれに先立つ別の投稿で、自身が今月出席したとする集会の様子に触れ「国歌だけでなく(軍歌の)『海ゆかば』も斉唱した後、全員で教育勅語を唱和。背筋が伸びる思いがしました」などと強調。返信欄には「背筋が凍る思い」と酷評する声が寄せられていた。

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