後を託された歴代社長 先にも述べましたがホンダにはいくつかの決まり事があります。 その中でも特殊であり有名なのが 「社長は技術畑出身であるべき」 という決まり事。 そこで歴代ホンダ社長がどういう技術者だったのか振り返ってみたいと思います。 初代社長(1948~1973年) 本田 宗一郎(ほんだ そういちろう) 世界のホンダを一代にして築き上げた創業者で口癖は 「世界一じゃなきゃ日本一じゃない」 最期まで技術者として皆と寝食を共にしオヤジと親しまれた。 二代目社長(1973~1983年) 河島 喜好(かわしま きよし) 日本楽器(現ヤマハ)に入りたかったもののそれが叶わず本田技研に入社した初めてのエリート(現在でいう大卒)。 4st技術により初期のホンダを支え、また最初期のレース活動および北米進出の陣頭指揮を取り、45歳の若さで宗一郎と藤沢から直々に社長就任の命を受け、最初こそ技術者の身分で
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