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考古学に関するfutenrojinのブックマーク (7)

  • 世界の大富豪に「恐竜」を売りさばく男─それは最強のステイタスシンボル | 活況を呈する「化石市場」の裏側へ

    野生動物の剥製をインテリアとして飾る──かつては金持ちの象徴のようにも考えられていたが、最近は倫理的にあまりイメージが良くない。それならば、恐竜の化石は? これはどうやら「アリ」のようだ。一握りの特権階級を相手に、その市場は急成長している。 パリ8区、ボエシー通りにある彼の書斎は、まるで物置小屋だ。隕石、アフリカの仮面、化石……とにかく書斎のスペースを超えない大きさのあらゆるものが、ガラスケースに展示されているか、床に積み上げられている。 ただし、3m近くある後期ジュラ紀の竜脚形類の脚については、カタログ写真に甘んじるしかない。ステゴドンの臼歯も同様だ。この臼歯の持ち主、絶滅した長鼻目の旧象は重さが12トンもあった。残念ながら、どうがんばってもアレクサンドル・ジケロの自宅にこれらの巨大な骨格を置くスペースはない。 ブロンドの髪で魅惑的な笑みを浮かべるこの50代の男は、フランスでは「恐竜を売

    世界の大富豪に「恐竜」を売りさばく男─それは最強のステイタスシンボル | 活況を呈する「化石市場」の裏側へ
  • 長大なトンネルに解剖室…旧日本軍「731部隊」最大規模の“地下実験場”内部が明らかに | 中国の考古学研究チームが調査

    旧満州のハルビン市近郊に拠点を構えていた関東軍防疫給水部部、通称「731部隊」は、人体実験の結果をもとに生物兵器の開発をしていたことで知られる。最近、中国の考古学研究チームが、黒竜江省に残された同部隊の地下研究施設についての報告書を発表。その非人道的な実験の一端を明らかにしている。 中国の黒竜江省文化財・考古学研究所のチームは、第二次世界大戦中、旧日軍の「関東軍防疫給水部部」、通称「731部隊」が生物兵器の開発のために恐ろしい人体実験をおこなっていた地下研究施設を発見した。 施設が見つかったのは、黒龍江省安達市の近郊だ。 長大なトンネルと複数の小部屋 2023年5月、中国の考古学誌「ノーザン・カルチュラル・レリックス」に、この地下研究施設の調査報告書が掲載された。同報告書は、この施設の発見によって、戦争犯罪の新たな証拠が見つかる可能性があると述べている。 「報告書には、いまも残る73

    長大なトンネルに解剖室…旧日本軍「731部隊」最大規模の“地下実験場”内部が明らかに | 中国の考古学研究チームが調査
  • 古代エジプトのミイラ作りは驚くほどグローバルなビジネスだったかもしれない | 遠くは東南アジアからも材料を輸入していた?

    古代エジプト人は微生物学をわかっていた? 2600年前に死体を防腐処理していた工房で科学者らが発見したのは、ミイラを作るための材料だった。古代エジプト人は、タールや脂肪、樹脂、油を使って遺体を保存し、後の世に備えさせていた。 「ネイチャー」誌に発表されたばかりの研究では、エジプトでミイラ作りに使われた物質がじつにグローバルなサプライチェーンのたまものだったことが示された。 少なくともこの工房についていえば、地中海沿岸やアフリカの他の地域、さらにはおそらくアジアとの貿易に頼り、特定の抗真菌・抗菌性の材料を調達していたのだ。 「今回の研究でとても興味深い部分です」と言うのは、カイロにある国立研究所の生化学者で、研究チームの一員でもあるマフムード・M・バフガトだ。 「エジプト人がそんなに遠くまで行って、間にある国々を通り越して、特定の国々からこうした特定の天然物を入手していたとすれば、それは意図

    古代エジプトのミイラ作りは驚くほどグローバルなビジネスだったかもしれない | 遠くは東南アジアからも材料を輸入していた?
  • 宅地開発で消えた古墳… 掘り起こしたのは1枚の古写真 岡山 | 毎日新聞

    前方後円墳と確認された明治時代の写真(白線の書き込みは野崎助教)。右側の円形は別の円墳とみられる。奥の建物群は陸軍第17師団駐屯地=1908年撮影・個人蔵 明治期に岡山市北区津島福居で撮影された写真から、古墳時代に築造されたとみられる前方後円墳が存在していたことが確認された。岡山大文明動態学研究所の野崎貴博助教(考古学)が20日、発表した。発掘調査によらず、写真を基に確認されるのは非常に珍しいという。古墳はその後の宅地開発で消滅している。 野崎助教によると、写真は2022年3月、岡山市民が同大埋蔵文化財調査研究センター(現同研究所)に持ち込んだ。1908(明治41)年に陸軍第17師団駐屯地(現岡山大津島キャンパス)の造営時を撮影したもので、手前に円形の墳丘や方墳の一部と思われる土の盛り上がりが見られる。 この付近には古墳時代中期後半(5世紀後半)の「お塚様古墳」という全長約30メートルの前

    宅地開発で消えた古墳… 掘り起こしたのは1枚の古写真 岡山 | 毎日新聞
  • 「ユダヤ教」はいつ生まれたのか? 新説を提示したイスラエルの考古学者に聞く | 「聖書に書かれていることだって、必ずしもそうとは限らない」?

    ユダヤ教はいつ生まれたのか? 伝承によれば、3000年以上も前にシナイ山で生まれた。聖書の最初の五書である律法(トーラー)に収められている十戒とその他もろもろの法を、神がモーセに授けたときだ。 大方の研究者はずいぶん前から、「出エジプト」とシナイ山での啓示を創設神話として片づけてきた。そのため、この最初の主要な一神教がいつ、どのように生じたのかという問いが残されている。さていま、その問いにまつわる新説が学界に衝撃を与えている。 紀元前2世紀になるまで、古代ユダヤ人が律法を守っていた、あるいはそもそも知っていたという歴史的・考古学的な証拠はないことが大規模な再調査からわかったと言うのは、イスラエルのアリエル大学で考古学を研究するヨナタン・アドラー教授だ。米イェール大学出版局から出版されたばかりの『ユダヤ教の起源』(未邦訳)の著者でもある。 そこから示唆されるのは、われわれがいま知るユダヤ教が

    「ユダヤ教」はいつ生まれたのか? 新説を提示したイスラエルの考古学者に聞く | 「聖書に書かれていることだって、必ずしもそうとは限らない」?
  • 砂漠に9千年前の祭祀場 ヨルダンで発見

    ヨルダン南東部で発掘された新石器時代の遺跡。ヨルダン考古庁提供(2022年2月22日提供)。(c)AFP PHOTO / HO / JORDANIAN ANTIQUITIES AUTHORITY 【2月24日 AFP】ヨルダン南東部の砂漠の奥深くにある世界最古とされる大型人造構造物の近くで、9000年前の新石器時代の祭祀(さいし)場が見つかった。 祭祀場は、ガゼル猟師が使用していたもので、昨年10月にフランスとヨルダンの共同チーム「南東バディア考古学プロジェクト(SEBAP)」が発見。SEBAPは「壮大で前例のない発見」としている。 遺跡からは、石像や祭壇、動物の小像、火打ち石、並べて置かれた海洋生物の化石約150点のほか、「砂漠の凧(たこ)」と呼ばれる大規模なわなのミニチュア模型が発掘された。「カイト・サイト」とも呼ばれるこのわなは、凧状に立てられた長い壁からなり、猟師はこれを使いガゼル

    砂漠に9千年前の祭祀場 ヨルダンで発見
    futenrojin
    futenrojin 2022/02/24
    行ってみたい。
  • ”仁徳天皇の墓”とされる『大山古墳』...しかし出土品や没年などから「仁徳天皇の墓ではない」と専門家の間で論争が 一体誰の墓なのか? | 特集 | MBSニュース

    "仁徳天皇の墓"とされる『大山古墳』...しかし出土品や没年などから「仁徳天皇の墓ではない」と専門家の間で論争が 一体誰の墓なのか? 世界遺産にも登録された大阪府堺市にある「大山古墳」は、『仁徳天皇陵』として仁徳天皇の墓だと学校でも教えられています。しかし、専門家の間では「仁徳天皇の墓ではないのではないか」と論争が起きています。では一体誰があの巨大な前方後円墳に眠っているのでしょうか。 “仁徳天皇の墓”とされる日最大の前方後円墳『大山古墳』 去年11月、普段は立ち入り禁止の場所にカメラが入りました。日最大の前方後円墳である大阪府堺市の「大山古墳(仁徳天皇陵)」です。 天皇の墓として管理する宮内庁が「古墳の保全工事に向けて堤の遺物を調べるため」として堺市と発掘調査を行ったのです。 その結果、前方後円墳を囲む堤の内側から今回、初めて「円筒埴輪列」が見つかりました。築造時は堤の両側に埴輪列が

    ”仁徳天皇の墓”とされる『大山古墳』...しかし出土品や没年などから「仁徳天皇の墓ではない」と専門家の間で論争が 一体誰の墓なのか? | 特集 | MBSニュース
    futenrojin
    futenrojin 2022/02/21
    「大山古墳は5世紀中ごろ(の完成)だろうと。年代的に見合うのは允恭天皇と考えていいだろうというのが私の考えです」(大阪市立大学文学研究科 岸本直文教授)
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