皇居・宮殿(左)と宮内庁=14日 天皇陛下が皇太子さまに皇位を譲る生前退位に向けた法改正を政府が検討していることを巡り、天皇陛下自身は早期退位の希望を持たれていないことが15日、政府関係者への取材で分かった。 陛下は例年、年明けと夏に定期健康診断を受けているが、現在は目立った不安は見つかっていない。最近も宮内庁側と公務の負担軽減が話題になった際、陛下は「まだまだこのままのペースで臨む」と明言。側近らにも、退位という文言や時期を明示したことはないという。
“厳しい情勢下でも運動の前進を”/光明星節記念・日朝友好新春の集い 2016年02月11日 17:26 朝鮮半島 「光明星節記念・日朝友好新春の集い」(主催=同実行委員会)が9日、都内で行われた。集いには、朝鮮の自主的平和統一支持日本委員会の日森文尋議長、日朝学術教育交流協会の中村元気会長、国際キム・ジョンイル賞理事会理事であるデヴィ・スカルノ夫人をはじめとする各界の日本人士、メディア関係者、関東地方の総聯関係者ら100余人が参加した。 総聯中央の南昇祐副議長と徐忠彦国際統一局長が来ひんとして参加した。 主催者を代表して、日森文尋議長があいさつを行った。 日森議長は、朝鮮労働党第7回大会が開かれる今年に強盛国家建設の最盛期を開き、自主的平和統一の実現に向けてまい進していこうとする朝鮮の人々の思いをしっかりと受け止め、米国に朝鮮との平和協定締結を求める運動を力強く推し進めていこうと呼びかけた
旧日本海軍が建造した史上最大の戦艦大和(全長263メートル、乗組員約3千人)の上等機関兵曹、高畠幹男さん=当時(26)=は昭和20年4月、鹿児島県沖で艦と運命をともにした。戦後70年、妻の幸子さん(95)=岡山市中区=は7年間で正味40日間の結婚生活を振り返り、「ひ孫までが誇りに思う人と結婚できてよかった」と語った。 幸子さんは大正8(1919)年、米国で4人姉妹の二女として誕生。大正12年ごろに帰国し、岡山市で生活した。幹男さんとは10歳ごろから交流があり、昭和13年12月、徴兵前に結婚。海軍入隊は1カ月後の14年1月で、親類へのあいさつや入隊準備に追われた。幸子さんは「入隊する準備のために結婚したようなもの」と話す。 幹男さんは国家機密「大和」の乗組員で、家族にも任務について話さなかった。幸子さんが、入隊後の幹男さんに会えたのは、5年後の19年1月。大和が呉(広島)に帰港した際、幸子さ
日本が建国された日を知っている日本人は2割未満-。若手経営者らでつくる日本青年会議所(日本JC)が11日の建国記念の日を前に、建国に関する意識調査を行ったところ、そんな結果が出た。国内在住の外国人は中国で100%、米国やカナダで9割超が「自国の建国・独立の日」を正しく答えており、日本人の建国に対する意識の低さが鮮明に浮かび上がった。 調査は1月、北海道から沖縄まで全国10都市の街頭で18歳以上の男女約1万人にヒアリングした。「日本が建国された日はいつか」との問いに「2月11日」と答えたのは19・3%で、年齢別の内訳は25~39歳が14・9%で最も低く、18~24歳が16・2%、40~59歳が19・4%。最も高い60歳以上でも44・3%だった。 同様に日本国内の街頭ヒアリングと、委託した調査会社があらかじめ登録されている日本国内在住の外国人の中から無作為抽出した各国の18歳以上の男女計300
文昌克と安大熙(アン・デヒ)はケースが違う。安候補の前官礼遇・高額弁護士報酬は歴史観のような意識ではなく、蓄財のような道徳性に関する問題だった。このような道徳的な欠陥が首相資格に深刻な障害となるという点に社会的に特に異論はなかった。これは候補自身も結局認めた。文候補は違う。歴史観に対する批判のような場合は、法が定めた処理方式に任せなければならない。それが聴聞会と国会の表決だ。こういうものは手続き的な民主主義を構成する重要な要素だ。内容に劣らず手続きも重要であるため、これが守られなければ社会が揺れる。今後こういう問題をどう処理していくのか。批判を恐れ、人々が所信を展開したり公職を引き受けることを恐れれば、国家は正常に動かない。 手続きを踏む民主主義を守る1次責任は大統領と国会にある。ところが朴槿恵(パク・クネ)大統領はかなりの時間をかけながらボールを他の人に渡した。これは「論難の攻勢」の前に
天むす名古屋 Temmus 𓃠 @temmusu_n #と教 江戸しぐさは、「歴史改竄学」(仮称)の一分野だが、 育鵬社の現行の中学公民の教科書が史実として記述している。http://t.co/1i2ljmChNMは、当該箇所を含む教科書本文。http://t.co/7HQuZo8JrOは著者ら。 2014-04-30 21:57:32 天むす名古屋 Temmus 𓃠 @temmusu_n #と教 『新しいみんなの公民』(育鵬社。2012年)の9頁には江戸しぐさ以外にもいろいろ注文を付けたいが、とりあえず本題に集中する。コラムの記述は、江戸しぐさという名称自体は最近のものというが、しぐさの名称と絵付きの説明がある。 http://t.co/HVh34HxhR8 2014-04-30 22:10:01
日本維新の会と結いの党は19日夜、合流を視野に入れた政策協議で、憲法改正の発議要件緩和や一院制、道州制を実現するための改憲を共通政策に掲げる方針で一致した。エネルギー政策では「市場メカニズムを通じた原発フェードアウト、脱原発依存を目指す」との表現で合意。集団的自衛権の行使容認に関しては、それぞれの党内論議を見極めるとして結論を先送りした。
麻生太郎財務相は14日の衆院予算委で、スポーツの国際機関で日本人役員を増やす必要性について「もし柔道の山下(泰裕氏)が英語ができていたら(スポーツの国際機関の)会長になっていた。一言もできなかったから、あの試合の時も『おかしいじゃないか』と審判に監督として手を挙げられない」と答弁した。 山下氏は朝日新聞の取材に対し「日本のスポーツ界の国際人の養成が足りなかったのは事実。日本オリンピック委員会が一生懸命、国際人の養成に取り組んでいる」と話し、自らは米国留学の経験があり、国際会議で通訳を介すものの、国際柔道連盟の理事会などでは英語で話す、と説明した。 「あの試合」とは山下氏が監督を務めた2000年シドニー五輪で、篠原信一選手が男子100キロ超級決勝で敗れた試合とみられる。この試合は「誤審」と騒がれたが、山下氏は試合後に英語で抗議したという。 山下氏は「文武両道が必要だと盛んに言っている私が顔見
自民党に対し、若い年代ほど「変革」のイメージを抱いていることが、朝日新聞社の世論調査(郵送)でわかった。また、自民への「右寄り」の印象も、若い年代ほど薄かった。 若者の政治や社会に対する意識を幅広く探るため、20代だけの調査を11月上旬~12月中旬に実施。同時期に30代以上にも同一の質問による調査を行った。有効回答は20代の調査は1839件(回収率61%)、30代以上の調査は1792件(同72%)。 調査では「変革」を「1」、「安定」を「6」とし、今の自民のイメージはどちらに近いか、6段階で聞いた。20代の回答の平均は中心(3・5)より「変革」寄りの3・03。30代は3・09で、年代が上がるほど中心に近づき、70歳以上は3・51とわずかに「安定」寄りだった。7月の参院選比例区で自民に投票したと答えた20代は2・92で、「変革」の印象が特に強い。 自民が「左寄り」(1)か…
ツイート 【ダライ・ラマ法王の焼身抗議に対するご発言について】 悲しみから希望を紡ぐ The Power of Compassion ダライ・ラマ法王と若手宗教者100人の対話@増上寺 11月19日(火)に開催されました、ダライ・ラマ法王猊下と若手宗教者100人との対話集会に、スーパーサンガは後援という立場で参加いたしました。 さまざまなテーマについての対話が繰り広げられ、深く有意義な集会となりましたが、当日の法王猊下のご発言の一部が、一部のメディアを通じて誤解を招く表現で伝えられてしまいました。焼身抗議に関する重要なご発言でありますので、法王猊下の真意をご理解いただくべく、当日の対話者として参加した飯島俊哲師(当会幹事)より、対話の様子とともに、法王猊下のご発言の正しい趣旨をお伝えいたします。 *********** 「悲しみから希望を紡ぐ The Power of Compassio
中国・人民日報系サイト「人民網日本語版」に14日掲載された論考「東アジアの地政学的状況に地震を引き起こしているのは誰か」は、日本の集団的自衛権の行使容認の動きを次のように批判した。 「日本は、集団的自衛権の行使によって米国の作戦に協力しようとしている。この地域において斬新で、独立した、主導的な地位を追い求めていることは明らかだ。この動きは領土野心の膨張も伴っている。中国の台頭を押さえ込むという点で米日が高度に一致した共振すら生じている」 この筆者は、政府系シンクタンク・中国現代国際関係研究院の一員だ。政治宣伝なのかもしれないが、本気で書いているなら、日本の意図へのとんだ買いかぶりだ。 日本は集団的自衛権の行使容認や、ある程度の自衛隊増強といった安全保障改革に進もうとしている。これは、中国の挑発的な行動を抑止し、公正な平和と安全を確保したいだけなのだ。 このような改革に取り組むのは独立国とし
アントニオ猪木氏 日本維新の会は4日、参院選比例区に元参院議員のアントニオ猪木氏(70)を擁立する方針を固めた。猪木氏は18年ぶりの国政復帰を目指す。5日に石原慎太郎共同代表ら国会議員団幹部と東京都内で記者会見し、立候補を表明する。 プロレスラーだった猪木氏は1989年にスポーツ平和党を結成し、参院選で初当選したが95年に落選。98年に政界引退を表明し、レスラーも引退した。その後も、相手に気合を入れる「闘魂注入ビンタ」や「1、2、3、ダー!」との雄たけびで人気を博した。 議員時代は、湾岸危機のイラクを訪問するなど独自の「外交」を展開。北朝鮮への訪問も重ね、プロレス公演や朝鮮労働党の行事に参加するなどした。
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