大相撲名古屋場所は8日、ドルフィンズアリーナで初日を迎える。最近、やり玉に挙げられているのが横綱白鵬の張り手やかち上げ。反則技でもない取り口は、それほど批判されることなのだろうか。白鵬は5月の夏場所も、張り手を何度か見せて物議を醸した。昨年末には横綱審議委員会からも苦言を呈されている。過去には白鵬のかち上げで相手力士が脳振盪(しんとう)を起こしてひっくり返ったこともあるし、白鵬の張り手やかち上
大相撲の横綱白鵬(34=宮城野)が、横綱審議委員会(横審)から取り口について「見苦しい」「やりすぎ」などと、厳しく批判された。 九州場所千秋楽から一夜明けた25日、横審の定例会合が東京・両国国技館で行われた。同場所で白鵬は、14勝1敗で史上最多43回目の優勝。だが立ち合いの張り手やかち上げは、横綱にふさわしくないと、横審は日本相撲協会に指導を要望した。一方の白鵬は福岡市内で会見し、優勝50回を目標に掲げた。 ◇ ◇ ◇ 通常は15分程度で終了する横審の定例会合が、この日は2倍の約30分間行われた。話題の中心は白鵬の立ち合い。張り手や、肘打ちともいえるかち上げについて、矢野弘典委員長(78=産業雇用安定センター会長)は「ちょっと、やり過ぎではないかと。横綱の振る舞いとして、見苦しいのではと、ほとんど全員から意見が出た」と、全9人の総意として苦言を呈した。 特に12日目の小結遠藤戦は、
大相撲で42度の優勝を誇る横綱白鵬(34)=モンゴル出身、本名ムンフバト・ダバジャルガル=が日本国籍を取得したことが3日、分かった。同日付の官報に告示された。東京都墨田区の宮城野部屋で取材に応じた白鵬は「(日本とモンゴルの)両国が理解し、認めてくれなければできなかった。相撲の発展に一生懸命頑張っていきたい」と話した。 外国出身力士が引退後、日本相撲協会に年寄(親方)として残るには日本国籍の取得が必要で、白鵬はこれで親方になることが可能になった。白鵬は「今まで自分の相撲を取ることで頭がいっぱいだった。どういう感じか分からないが、強いお相撲さんを育て、相撲協会、ファンの皆さまに出してあげることが一つの恩返し」と語った。 15歳で来日し、平成13年春場所初土俵。16年に新入幕を果たし、大関だった18年夏場所で初優勝した。19年夏場所後に第69代横綱に昇進。42度の優勝、通算1132勝(235敗1
多くの好角家がそうだと思うが,稀勢の里については言いたいことがありすぎて全くまとまらない。一言で言えば,これほど好角家の気持ちを振り回し続けた力士は稀有,あるいは空前絶後ということである。かく言う私もその一人で,この記事を書くためにブログ内検索をかけたところ,「稀勢の里」というワードを使った回数は約300回にも上っていた。 まず,彼の力士人生を振り返ることにする。稀勢の里は出世が早い力士と言われるが,中卒の叩き上げとしては,という前提条件がつく。そのため,若くして出世したという方が正確になる。2004年,17歳9ヶ月での十両昇進は貴乃花(当時は貴花田)に次ぐ史上2位の記録。その後も前頭上位定着までは早かったのだが,その後が非常に長かった。上位には勝つのに下位に取りこぼす,肝心の大事なところで落とす,空気を読まないところではなぜかめっぽう強いとは散々に言われており,本人はガラスのハートなのに
大きな喪失感がある。その一方で、痛々しい姿をこれ以上見ずに済むという安堵(あんど)も覚える。 大相撲の横綱稀勢(きせ)の里が引退した。 在位12場所の大半をけがの痛みに耐えてきた。皆勤は2場所、勝ち星は36勝と記録に恵まれなかったが、ファンの記憶には長く刻まれる横綱だろう。地位の重さ、けがの重さを一身に背負った苦闘の日々を、心からねぎらいたい。 思い出すのは、平成29年の春場所である。終盤で左胸などを負傷しながら、千秋楽の本割と優勝決定戦を制し、奇跡的な逆転優勝を成し遂げた。君が代の斉唱で感涙にむせんだ姿は、相撲史に残る名場面といえる。 引退会見では「けがをする前の自分に戻ることができなかった」と涙ながらに語った。 状況が許されるならもう一度、万全の状態で土俵に立つ姿を見たかった。 立ち合いの変化、奇策とは無縁で、真っ向から相手に挑む取り口は、すがすがしい後味を残してくれた。「稽古場が僕を
大相撲初場所初日は13日、両国国技館で行われ、横綱稀勢の里は小結御嶽海に押し出され、黒星発進となった。 御嶽海にあっさりと押し出された稀勢の里が顔をゆがめ、首をひねる。次代の相撲界を引っ張っていこうという成長株に敗れたショックは隠しきれない。「これからか」という問い掛けに「そうだね」と応じる声は消え入りそうだった。 不戦敗を含めて5連敗で途中休場した先場所同様、左差しを封じられた。おっつけられた末に右差しを許すと、これまでに数々のドラマを生んできた逆転の突き落としも不発。相手を呼び込むだけに終わり、力なく土俵を割った。 全3大関が敗れる波乱の展開を、先場所全休から復帰の鶴竜、白鵬の両横綱が食い止めた。この日最多となる55本の懸賞が懸けられるなどファンの注目を集めて上がった結びの一番。東の正位らしからぬ完敗が、ふがいなさを際立たせた。 新横綱だった平成29年春場所以降、初日に出場するのは8場
<「国技」「神事」の美名に潜む排外主義の陰――南モンゴル出身の日本人が過熱報道に覚悟の物言い> 日本には今、相撲ナショナリズムの嵐が吹きすさんでいる。ナショナリズムは常に暴走の危険をはらむが、相撲ナショナリズムもまた対外と対内の両面で人々を苦しめている。 対外的にはここ数年、国技館で観衆から起こる「モンゴルに帰れ」という罵声だ。これは横綱3人をはじめ大勢のモンゴル出身力士への排除思想の表れで、ヘイトスピーチと言える。 もしアメリカの大リーグでイチローや他の日本人選手が「日本に帰れ」と怒号を浴びせられたら、日本の愛国主義者は「人種差別」と抗議するだろう。一方、「モンゴルに帰れ」というヤジに対し、正面から批判する識者を私はまだ知らない。 対内的にも、「日本人は強くならなければならない」「日本人の優勝が見たい」という重圧が力士を苦しめる。日本人横綱として久々に誕生した稀勢の里は、3月の春場所で1
稀勢の里の優勝、長い長い長い間の重圧を思うと、この安堵と喜びは、稀勢とともに落胆し続けてきたファンにしかわからないものもあると思う。入門時から横綱候補と言われてきたその才能と努力がようやく報われたことを心から祝福したい。稀勢の里関もファンの方もおめでとうございます。 しかし、それと横綱昇進とは別問題だ。私はただただ唖然としている。40年相撲を見てきて、こんな事態は初めてだ。 いくつもの問題が重なっているのだが、まず最も不可解なのが、どうして昇進できるのか、その基準が明確に示されていない点だろう。昨年の年間最多勝であること、安定した成績や優勝争いの多さ、優勝次点の多さなど、理由はいくつも挙げられているが、問題はそれらの成績は今まで横綱昇進の条件として顧みられたことはほとんどない、ということ。 横綱昇進の基準は、1987年の双羽黒の廃業以前と以降とで分けられる。双羽黒(北尾)の廃業以降は
大相撲初場所で初優勝した大関稀勢の里関の横綱昇進について、日本相撲協会審判部は千秋楽の22日、昇進を諮る臨時理事会の招集を八角理事長(元横綱北勝海)に要請することを決めた。 審判部は同日、会議を開き、二所ノ関部長(元大関若嶋津)は「優勝が決まったし、昨年は年間最多勝も取った。(理事会では)誰も物言いは付けないでしょう」と述べた。千秋楽の横綱白鵬関との対戦結果にかかわらず、判断したという。 理事会開催が決まった場合、八角理事長は23日の横綱審議委員会に昇進を諮問。出席委員の3分の2以上の決議があれば推薦が決まる。
舞の海さんが頭にシリコーンを入れて、新弟子検査に合格した逸話はあまりにも有名である。その2カ月前に一度、基準の身長に足りず、不合格を言い渡されていた。 ▼その時、まるで自分のことのように落ち込んだのが、日大の先輩でもある現在の境川親方だった。当時の師匠に、なんとか入門できるよう、涙ながらに訴えてもくれていた。舞の海さんは後になって知る(『勝負脳の磨き方』育鵬社)。 ▼そんな親方が率いる境川部屋は、角界屈指の稽古の厳しさを誇っている。高校横綱だった豪栄道は、稽古を見学してすぐに入門を決めた。「10年に1人の逸材」の前評判通りの快進撃が続く。かと思えば、野球賭博に関与して謹慎処分を受け、度重なるケガにも泣かされた。 ▼山あり谷ありの土俵人生を経て、かど番大関はついに悲願の初優勝を果たした。しかも全勝である。何度も豪栄道から助言を求められてきた、舞の海さんの喜びもひとしおだろう。「これから相撲界
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