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沖縄に関するkammのブックマーク (15)

  • 沖縄政局 深まるデニーとの溝 議長vs知事の真相は | NHK政治マガジン

    知事選を来年に控えた沖縄。 与野党が伯仲する沖縄県議会でキャスティングボートを握る議長が、知事の玉城デニーとの間の溝を深めている。 議長と知事はなぜ決別し、対立を強めているのか。 沖縄の政界でいったい何が起きているのか。 (西林明秀、小手森千紗) 相次ぐ前哨戦 7月11日に投開票が行われた、那覇市議選。 来年秋までに行われる沖縄県知事選の前哨戦として注目された。 那覇市議会の定員は40。結果は城間市長の与党で党派を超えて玉城知事を支える「オール沖縄」の勢力が1議席減らして14議席となる一方、自民・公明両党など市長を支持しない勢力が選挙前より5議席増やして19議席と過半数まであと2議席まで迫った。 自民党にとっては、次の衆院選や知事選に向けて大きな弾みとなった。 沖縄では、知事選は県内政治決戦の天王山として特別な意味を持つ。 アメリカ軍普天間基地の名護市辺野古への移設計画も絡んで、中央政界も

    沖縄政局 深まるデニーとの溝 議長vs知事の真相は | NHK政治マガジン
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    kamm 2021/08/23
    楽しい
  • デニーさんが沖縄県知事になると(finalvent)|ポリタス 『沖縄県知事選2018』から考える

    デニーさんという人は信頼できる 私が今も沖縄県民だったら、今回の沖縄県知事選挙ではためらうことなく、玉城デニー候補(58)に投票するだろう。理由はとても単純である。私は彼、「デニーさん」と直接話したことがある。彼の、笑みを絶やさぬ穏やかで優しい語り方から、その人柄に感銘したからである。この人は信頼できると思った。そして、米兵を父に持ち、コザ暴動の時代も体感しただろうこの人は、沖縄というものを知っていると確信した。 米兵を父に持ち、コザ暴動の時代も体感しただろうこの人は、沖縄というものを知っている それは1996年、地位協定と米軍基地縮小をめぐる県民投票が迫るころ。私も沖縄県民だった。沖縄島中部のコザに拠点を置くコミュニケーションFMラジオ局、FMチャンプラの夜の生特番に、ちょうどその年に大阪から沖縄に移住してきた沖縄人二世の仲村清司さんと一緒に呼ばれた。2年ほど前に「ウチナー婿(沖縄県民

    デニーさんが沖縄県知事になると(finalvent)|ポリタス 『沖縄県知事選2018』から考える
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    kamm 2018/10/01
  • 基地の中、基地の後

    私の父は .mil というドメインのメールアドレスを持っている。米軍関連で使われるものだが、おそらく大半の日人はやりとりはおろか目にする機会すらないだろう。持っている理由は、米軍の中で働く軍雇用員だからだ。前は、.army.mil というドメインを使っていたが、何らかの理由で mail.mil に変わったようだ。.mil ドメインは少しかっこいいと思う。 - ところで、大抵の日人は米軍基地の中に入ることはないだろう。米軍基地内で働く父のもとで育った私は小さい頃から職場に連れて行ってもらっていた。基地の中に通勤する場合、ゲートを通らなければならない。車についたステッカーと、IDを提示すると入ることができる。基地の中はどこもゆとりがあり広く作られており、まさに広大な土地を持つアメリカ的な土地の使い方と感じられる。まぁ、ここは遥かに狭い沖縄なのであるが…。 基地の中はまさしくアメリカである。

    基地の中、基地の後
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    kamm 2018/09/01
    基地は返還してほしいけど、返還されると日本人はあっという間に建物で埋め尽くしてしまう、という年配の人がいた。基地内の方が自然や遺跡をそのまま残しているので複雑な感情なんだそうな
  • 2018年、名護市長選で思ったこと: 極東ブログ

    昨日、同日開票された名護市長選挙だが、投票率は76・9%、現職・稲嶺進(いなみね・すすむ)氏は1万6931票、無所属新人の渡具知武豊氏が2万389票。結果、渡具知氏が3458票差で当選した。 率直なところ、自分には意外だった。というのは、1月21日、南城市の市長選挙、現職の古謝景春氏が、翁長雄志県知事が推す無所属新人瑞・慶覧長敏氏に65票差で敗れたことから、翁長知事支持の動向が強くなっているのだろうと想定していたからだ。余談だが、古謝氏は沖縄生活で懇意にしていだいたこともあり、個人的にだけだが、落選は残念には思った。 名護市長選をどう見るかだが、まず、非常に単純で明瞭なことがある。現職が落選したということは、前任期の施政が評価されなかったということだ。これは、どのような選挙でも言い得る原則であり、名護市長選挙でもまずその線が明瞭になった。 辺野古の新米軍基地造成の問題を抱えているとして、そ

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    kamm 2018/02/06
  • 老舗店「ふみや」で沖縄料理をたっぷり堪能! [沖縄の観光・旅行] All About

    昔ながらの沖縄料理を味わうなら「ふみや」へ。元祖といわれるフーチバジューシー(ヨモギご飯)やイナムドゥチなど10品セットの「ふみや定」はおふくろの味のようにオナカも心も満たしてくれます。 ゆいレール「美栄橋駅」から徒歩6分、街中にひっそりと建つ「ふみや」は約50年もの歴史がある沖縄料理の老舗。ヨモギの炊き込み飯、フーチバジューシーの元祖の店として昔ながらの伝統を楽しむことができます。 おふくろの味のように体の中から元気になれるメニューが揃っていますが、初めての方におすすめなのが1500円の「ふみや定」。見るからに味がしみていそうな豚と野菜の煮付けや名物のフーチバジューシー、もずくにジーマミ豆腐、ミミガーなど、全部で10品。汁物は白味噌のイナムドゥチか豚のモツが入った中味汁から選ぶことができ、ひと通りの沖縄料理をたっぷり堪能できます。 どれも少し濃いめの味つけですが、しつこい感じは全く

    老舗店「ふみや」で沖縄料理をたっぷり堪能! [沖縄の観光・旅行] All About
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    kamm 2017/12/16
  • 臆病な祖母

    ここ数日、祖父母の戦争体験を語るエントリが多くあったので私も思い出した。 こわがりな祖母が聞かせてくれた沖縄戦の話 祖母は沖縄県中部の農村に生まれた。物心つく頃には労働力として畑にかり出され、毎日サトウキビの世話をさせられたらしい。 毎日畑と学校と家の往復で忙しかったけれど、それなりに楽しい幼少期を過ごしたそうだ。 だが中学に入学したあたりでそれまでの環境が一変した。 突然学校でウチナーグチ(沖縄の方言)を話すことを全面的に禁止されたのだ。ウチナーグチは土の人間からすれば全く何を言ってるのか分からない未知の言語であるため、 こんなものを日語と認めるわけにはいかん、正しい日語を身につけさせお国に尽くす青少年を育成せよとのお達しが来たのだ。 日常会話の全てをウチナーグチに頼ってきた当時の子供たちはかなり戸惑ったそうだ。ウチナーグチがポロっと出ただけで教師に襟首を掴まれ、 ほかの生徒たちが

    臆病な祖母
  • 沖縄1935 写真でよみがえる戦前:朝日新聞デジタル

    糸満の漁師や軌道馬車、活気ある那覇の市場 ––––。1935年に沖縄県で撮影された写真が、朝日新聞大阪社で大量に見つかった。沖縄の人たちの生き生きとした暮らしぶりを写しだす。太平洋戦争末期の沖縄戦によって10年後には破壊されてしまった光景が、沖縄タイムスとの共同企画で82年ぶりによみがえる。 写真の購入はこちら朝日新聞フォトアーカイブ

    沖縄1935 写真でよみがえる戦前:朝日新聞デジタル
  • 戦前の沖縄写真、大量に発見 82年前に朝日記者が撮影:朝日新聞デジタル

    戦前の1935(昭和10)年に、沖縄で大阪朝日新聞(当時)の記者が撮ったネガ277コマが見つかった。市場や漁、農作業など、人々の暮らしぶりが写し取られている。太平洋戦争末期の沖縄戦で、戦前の沖縄の写真の多くは焼失しており、専門家は「大変貴重な資料」と評価する。 朝日新聞大阪社の倉庫内で眠っていたネガを、社員が偶然見つけた。デジタル化し、傷やカビを修復。82年前の沖縄が鮮やかによみがえった。 撮影したのは大阪朝日新聞のカメラマン藤護氏(46年、40歳で死去)。社会部記者の守山義雄氏(64年、53歳で死去)とともに沖縄を訪れ、糸満や名護の漁業などを取材した。大阪朝日新聞に、35年7月に連載「海洋ニッポン」が10回掲載されており、写真の一部も載っている。 見つかったネガには、漁業の様子だけでなく、にぎわう那覇の市場や、古謝(こじゃ=現・沖縄市)のサトウキビ作り、軌道馬車や人力車などの移動手段

    戦前の沖縄写真、大量に発見 82年前に朝日記者が撮影:朝日新聞デジタル
  • <機動隊 差別発言を問う>沖縄からアジェンダを 安冨歩さん(東大東洋文化研究所教授) - 琉球新報デジタル

    安冨 歩さん(東大東洋文化研究所教授) 非暴力の闘争で最も大事なのは、どうすればこちらが暴力を使わずに、相手を挑発して暴力を使わせるか、ということ。今回、この線から近づくなと言う警察に対し、抗議する人々が金網を利用して挑発し、日警察の質を露呈させた。「土人」発言という暴力を振るったことで、警察は窮地に立たされている。沖縄が今考えるべきは、さらに挑発的な次のアクションをどう起こすかだ。 猛烈な差別構造があるからこそ、これだけの基地が沖縄にある。今回の暴言はその差別構造ばかりか、大阪府知事の差別意識まで露呈させたのだから大成功だ。 もちろん、それが一般化し「沖縄人は土人だ」という空気が広がる可能性もある。その場合、沖縄は独立せざるを得ない。そのときは世界中がそれを容認し、日は威信を喪失するだろう。だからこそ、ここが闘いどころだ。 大事なのは、闘いのアジェンダ(議題)を沖縄が設定すること。

    <機動隊 差別発言を問う>沖縄からアジェンダを 安冨歩さん(東大東洋文化研究所教授) - 琉球新報デジタル
  • 沖縄で、いかに相手に暴力を使わせるかと宣う東大教授

    安冨歩という東京大学の教授がなかなか興味深いアジェンダを行ったそうです。反応をまとめました。 なお、まとめ主は安冨歩さんから早くもブロックされているみたいですので、人のツイートは@anmintei を確認してみてくださいませ。

    沖縄で、いかに相手に暴力を使わせるかと宣う東大教授
  • 特集ワイド | 続報真相 本土「常識」の誤解 辺野古移設は仕方ない? - 毎日新聞

  • 意図的追及で「法的瑕疵あり」 辺野古移設、有識者委の未公表議事録を入手(1/2ページ)

    産経新聞は、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設で、埋め立て承認を検証した同県の有識者委員会(委員長=大城浩・元沖縄弁護士会会長)による県職員へのヒアリングの未公表議事録を入手した。議事録からは、承認に関わった県職員が手続きや審査の瑕疵(欠陥)を一切認めず、すべての論点で委員と職員の「見解の相違」にとどまったことが浮き彫りになっている。 同県の翁長雄志知事は有識者委の客観性・公平性を強調しているが、議事録では、委員が職員の主張に耳を貸さず、瑕疵を恣意的(しいてき)に認めさせようとしている。翁長氏は有識者委の報告書に沿って、8月中にも埋め立て承認を取り消す方針だが、見解の相違に基づく瑕疵認定は客観性に欠けると指摘されそうだ。 委員6人のうちヒアリングを主導したのは元沖縄弁護士会会長の当真良明氏と、沖縄大名誉教授で環境学が専門の桜井国俊氏。職員側では承認審査を取りまとめた海岸防

    意図的追及で「法的瑕疵あり」 辺野古移設、有識者委の未公表議事録を入手(1/2ページ)
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    kamm 2015/10/14
    興味深い。この内容を地元紙や朝日毎日などが報じるかどうかが気になる。
  • 「中国には言わず、米には主張する」石垣市長が沖縄知事批判 | 沖縄タイムス+プラス

    【石垣】尖閣諸島で中国公船が領海侵犯を繰り返している問題で、石垣市の中山義隆市長は16日の市議会で「翁長雄志知事は中国のトップに会っても何も発言せず、アメリカでは米軍基地問題をドンドン訴えている」などと知事の対応を批判した。崎枝純夫市議の質問に関連して答弁した。 崎枝氏は自衛隊配備や辺野古移設、尖閣諸島などの問題に触れ、翁長知事を支援する立場で質問。 中山市長は、知事が経済交流促進を目的に4月に中国で李克強首相らと面談したことを挙げ「翁長知事はマスコミに『領土問題は一地方自治体の長が言うべきでない』と述べた。私は大変憤った」と指摘。 「中国の公船が沖縄の行政区域で領海侵犯を繰り返す中、中国トップに会えても何も発言しない。片方の国に言わず、アメリカでは基地問題を言う。那覇市長だったらいいが、沖縄県知事だ」と語気を強めて批判した。

    「中国には言わず、米には主張する」石垣市長が沖縄知事批判 | 沖縄タイムス+プラス
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    kamm 2015/06/17
    ごもっとも。
  • 政府、鉄軌道の白紙検討 振興予算も減額 | 沖縄タイムス+プラス

    政府が沖縄への鉄軌道導入を白紙に戻す方向で調整に入った。2015年度の沖縄振興予算も概算要求の3794億円から大幅に減額する方針を固めた。就任あいさつで上京した翁長雄志知事は2泊3日かけても山口俊一沖縄担当相と会談したのみ。

    政府、鉄軌道の白紙検討 振興予算も減額 | 沖縄タイムス+プラス
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    kamm 2014/12/27
  • 730 (交通) - Wikipedia

    政府の閣議決定と沖縄県内の反発[編集] この事業は、国の計画では当初は1976年に実施する予定であったが、オイルショックなどによって状況が変わり、さらに沖縄国際海洋博覧会の開催延期などで1978年実施へと変更されたものである[72]。 この変更は、県民全員の生活と生命に直結するものであるだけに、県民の関心は非常に高かった。しかし、政府からは具体的な日時は発表されたものの実施要項が示されなかった。このことに県民の不満が高まり、それに押されるように1977年9月8日、沖縄県議会は臨時議会を開き、「沖縄県の交通方向変更に関する意見書」を採択した。これは政府に対して早急な実施要項の公表を求めるものであった。県もこれに歩調を合わせ、国に対する要請を行った。 しかしながら国はこのような地元の強い要求を無視するように、1977年9月16日、政府は交通政令を閣議決定し、1978年7月30日をもって沖縄県の

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