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哲学に関するebmgsd1235のブックマーク (23)

  • ラヴジョイ『存在の大いなる連鎖』の最終講:存在の連鎖は破綻した無意味な思想 - 山形浩生の「経済のトリセツ」

    ラヴジョイ『存在の大いなる連鎖』の翻訳を始めた話はした。 cruel.hatenablog.com 素直に第2講を初めて、半分くらいはおわっているんだけれど、そもそもこの話がどこへ行くのか知りたくて (はい、推理小説もまず最後を読むタイプです)、最後の第11講をあげてしまいました。 ラヴジョイ『存在の大いなる連鎖』第11講 (最終回) もちろん、このpdfを読むとそれなりにウダウダしい。だが、そこで言われていることは、第1講と同じでとてもシンプルではある。それはつまり、以下の通り: 「存在の連鎖」という観念は最終的に、二千年かけて詰めていったらボロボロでまったく整合性がないことが明らかになった。 だから破綻して、すると一気に忘れられてしまった。 思想そのものの現代的な価値はまったくない。 ただこういう変なものにハマる精神の働き (すでに蒸し返すバカも出てる) の記録という意味はあるかも。

    ラヴジョイ『存在の大いなる連鎖』の最終講:存在の連鎖は破綻した無意味な思想 - 山形浩生の「経済のトリセツ」
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    ebmgsd1235 2024/01/22
    Lovejoyってそのままなんかい、20世紀初頭、アメリカの哲学者なのね。「2000年の西洋思想の相当部分が、単なる幻影を追いかけるだけの活動で、つまり西洋思想そのものが結局は破綻したんです、と述べているに等しい」
  • 谷口一平「「マイナス内包」としての性自認の構成」&査読コメント を検証する - 落ち着けMONOLOG

    【拡散希望】日、日大学哲学会『精神科学』に投稿していた私の論文「「マイナス内包」としての性自認の構成 (Gender as Irifuji’s Minus-Intensions)」に、不採用の通知が届きました。来年出る『精神科学』に掲載されるよう今年春に書いたもので、トランスジェンダーを巡っても注目を集めている pic.twitter.com/EaJD44DVxv — 谷口一平 A.k.a.hani-an (@Taroupho) 2023年12月25日 独立研究者・谷口一平氏の日大学哲学会『精神科学』への投稿論文がリジェクトされた。 そこで谷口氏は査読過程、及び匿名査読者2名の査読コメントに疑義を投げかける連投ツイートを昨年末にしていた。 谷口氏のツイートを見る限り、この疑義にはもっともな部分もありそうだが、谷口氏の論文体が公開されているわけではないので、判断しかねる部分もある。

    谷口一平「「マイナス内包」としての性自認の構成」&査読コメント を検証する - 落ち着けMONOLOG
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    ebmgsd1235 2024/01/18
    "従来「性同一性」という概念であったものが「identity があることから self-identify することへと内包の比重が移り」「性自認」概念に接近していく。そして「一人称特権」を伴うものとして言説が組織されるようになった"
  • 付随性 - Wikipedia

    付随性(ふずいせい、スーパーヴィーニエンス、英: supervenience)は、哲学、その中でも特に心の哲学で使われる用語で、異なるレベルの特性の間に定義される強い依存関係のこと。 直観的に言えば、「AがBに付随する」とは「BがAを決定する」ことを意味する。 より厳密な定義は次のような形で与えられる。 『おこりうるどの二つの状況を考えても「特性2に関して異なりながら特性1は同一だ」ということがない』ならば、 特性2は特性1に付随している。 一般的な用法として、特性2として心的な性質(命題的態度やクオリアなど)を、そして特性1として脳の物理的な状態(ニューロンの状態、神経伝達物質の濃度など)を考え、心的な性質の物理的な状態に対する付随性を議論する事が多い。すなわち「心的な性質は脳の物理的な状態に完全に依存して生起している」という事を言いたいときに、「心的な性質は脳の物理状態に付随している、

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    ebmgsd1235 2024/01/09
    "すなわち「心的な性質は脳の物理的な状態に完全に依存して生起している」という事を言いたいときに、「心的な性質は脳の物理状態に付随している、(またはスーパーヴィーンしている)」などという風に使う"
  • 永井均の発言について - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    永井均が、あるトランス差別に擁護ともとれる発言をして、ネットで話題になっている。発端は、永井の元教え子の谷口一平が、自分の投稿論文につけられた査読コメントをSNSで公開したことだ。谷口の論文はトランスジェンダーをテーマにしているが、査読の結果、不採用となった。しかしながら、谷口は査読者が、哲学研究者ではなくジェンダー論者であったことを批判し、不当な査読であったと訴えている。 togetter.com 谷口の主張の内容には踏み込まないが、これらの発言を一般論として「査読への不満」として理解する。トランスジェンダーをテーマにした論文であれば、どんなジャーナルであれ、ジェンダー論者が査読を担当することは十分に予測できる。そのために、学際領域を扱う哲学研究者であれば、先行研究を十分に精査し、査読者を説得できるよう先回って論を組み立てる必要がある。私自身、学際領域にいるし、うまく書けずに査読者に全然

    永井均の発言について - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)
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    ebmgsd1235 2024/01/01
    心理学や社会学でなく“あくまでも哲学的に議論をしているとして、それまでの他分野での議論の蓄積を無視して「新しい見解」を発表する。しかしながら「新しい見解」は過去の先人の営みに敬意を払った上で生まれる”
  • 人生を変える社会学──『岩波講座 社会学』刊行にあたって

    このたび、『岩波講座 社会学』が正式に刊行開始となりました。前回の「岩波講座」からほぼ30年経つ。私のほかに、北田暁大、筒井淳也、丸山里美、山根純佳の各氏が全体の監修を務め、テーマごとに編集される全13巻の各巻に、そのテーマに造詣が深い社会学者が編者になります。 前回の「岩波講座」が刊行されたときは、たしか私はまだ院生でした。貪るように読んだことを覚えています。あれから社会も、社会学も、大きく変化しました。 前回は上野千鶴子や吉見俊哉、大澤真幸などが全体の監修者で、巻数も26あったと記憶しています。各巻のタイトルも凝ったものが多かった。執筆者も社会学プロパーだけでなく、竹田青嗣などの周辺領域の方が入っていました。文体や内容も派手で、自由で、雑多で、それほど社会学とは関係のないものもたくさんありました。もちろんそれだけではなく、当時の最先端の社会学的な議論をしている論文もたくさんあって、たと

    人生を変える社会学──『岩波講座 社会学』刊行にあたって
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    ebmgsd1235 2023/12/15
    若い時に本屋や図書館で見栄や背伸びで知ったぶりして突き落とされるという経験は貴重だった。前回は30年前か。SNS上では社会学はネガティヴに語られがちだけど囲い込みから逃れるツール、理論武装(仮)として有効
  • メタ倫理学 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "メタ倫理学" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2011年12月) メタ倫理学(メタりんりがく、英語:metaethics)とは倫理学の一分野であり、「善」とは何か、「倫理」とは何か、という問題を扱う。規範の実質的な内容について論じる規範倫理学と異なり、メタ倫理学においては、そもそもある規範を受け入れるというのはどういうことか、ということについての概念的分析、道徳心理学的分析、形而上学的分析などを行う。 メタ倫理学の歴史[編集] メタ倫理学という分野は1903年G. E. ムーア が『倫理学原理』を出版したことを起点とする。そ

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    ebmgsd1235 2020/07/24
    規範・応用のそれは道徳的善悪の問題。情緒表現直観だとしても敢て概念的分析、道徳心理学的分析、形而上学的分析を行う。非認知主義的な実在?形而上学的な同一性という概念で道徳判断の対象を自然的対象と同一視?
  • Daily Life:生物学者は「自然主義的誤謬」概念をどう使ってきたか

    July 16, 2020 生物学者は「自然主義的誤謬」概念をどう使ってきたか 最近発表された人間行動進化学会の声明の中で、「自然主義的誤謬」という哲学由来の概念が使われていた。 そこでは、自然主義的誤謬が、「「自然の状態」を「あるべき状態だ」もしくは「望ましい状態だ」とする自然主義的誤謬と呼ばれる「間違い」」という言い方で紹介されている。これを倫理学者が聞いたなら「いや、自然主義的誤謬はそういう意味じゃないんだけどなあ」と言いたくなるところであろう。しかし、進化生物学者と「自然主義的誤謬」という概念の付き合いはかなり長く、それなりの経緯がある。稿の目的はとりあえずその経緯を追うことで、「自然主義的誤謬」という概念の適切な用法とはなんだろうかということを考えることである。 最初に断っておくが、稿はいかなる意味でも体系的なサーベイとはなっていない。どちらかといえば、目立つ事例いくつかをつ

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    ebmgsd1235 2020/07/16
    “ただ「他の」性質であるというだけでなく、絶対的に、全面的に、善さと同一である”ムーアの自然主義的倫理の誤謬、「である」から「べきである」への導出はできないというテーゼの元ネタ、カントの存在と当為。
  • 新型コロナは「敵」ではない。哲学者が説くウイルスとの「共生」 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)

    「われわれは戦争状態にある」「直面しているのは他の国や軍ではない。敵はすぐそこにいる。敵は見えないが、前進している」 フランスのエマニュエル・マクロン大統領が3月中旬の外出制限発表に際し、新型コロナウイルスを「敵」と名指して以降、この表現はパンデミック下の指導者たちの新たな紋切り型となった。 WHOのテドロス・アダノム・ゲブレイェスス事務局長は、新型コロナウイルスを「人類の敵」と表現し危機感を強めた。日の安倍首相も4月7日の記者会見の中で「見えない敵」という表現を用いている。 「われわれ」は現在「人類の敵」である新型コロナウイルスを前にして家へと引きこもり、「パンデミック」という「戦争状態」を生き抜くサバイバル生活を送っている。政治質は「友」と「敵」との設定にあると戦間期に喝破したのはドイツの法学者カール・シュミットだったが、パンデミック下の政治的リアリティを支えているのはこのような

    新型コロナは「敵」ではない。哲学者が説くウイルスとの「共生」 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)
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    ebmgsd1235 2020/04/19
    “モートンによれば「生(life)」とは、「alive」と「survival」が織りなすこのようなジレンマそのもの」”これをフーコーの生権力のアンチ、生の哲学としたい。メメント・モリ、死の舞踏。パンデミック下の政治、友敵。
  • PODCAST:哲学マガジン・ニューQ ラジオ - ジャズを聴いているとき、何を聴いているのだろう? ゲスト : 柳樂光隆|柳樂光隆

    哲学カルチャー・マガジン"ニューQ"のポッドキャストで瀬尾浩二郎さん、今井裕里さんと喋ってます。 Jazz The New Chapterをネタにジャズ話というよりは哲学方面視点の問いに僕が答えるような形で進んでいきます。 前後編。Spotifyで聴けます。 前半 ・ジャズと哲学は似ている? ・ジャズにおける教育の進歩について ・ジャズを考えることと社会を考えること ・黒人のナショナルアンセムと言われる「Lift Every Voice and Sing」 ・ルーツを研究すると新しい発見が今でも色々と出てくる ・文化を残すこと、広げることと教育 ・「ジャズ」という概念の再解釈 ・ジャズはスタイルなのか?乗りものなのか? 後半 ・見過ごされてきたもの、個人的なもの ・「まずは自分を愛すること」ジャズメイア・ホーン ・パーソナルなことを考えることが社会を考えること ・女性ジャズミュージシャンに

    PODCAST:哲学マガジン・ニューQ ラジオ - ジャズを聴いているとき、何を聴いているのだろう? ゲスト : 柳樂光隆|柳樂光隆
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    ebmgsd1235 2020/04/13
    タイトルは村上春樹っぽいけど内容は刺激的。「ジャズはスタイルなのか?乗りものなのか?」型破りだけど形無しに非ず。今現在のJazzから遡行あるいは逆照射し日本の音楽の中にJazzの起源を発見すること。bluesをもっと
  • アリストテレスのアクラシア論—「自制心のない人」とはどのような人か—(相澤 康隆) │ 東京大学文学部・大学院人文社会系研究科

    稿の目的は、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』第7巻のアクラシア論を解釈し、その哲学的意義を考察することである。 「アクラシア(akrasia)」というギリシャ語は「自制心がないこと」を意味する。アリストテレスの記述に即して規定すると、アクラシアとは、「ある行為を悪いと知りつつ、欲望のゆえにそれを行ってしまう性向」である。また、そのような性向に対応する行為は、研究者たちによって「自制心を欠く行為(akratic action)」と呼ばれている。たとえば、ダイエット中の人が、べてはならないと知っているのに、欲望に負けて目の前のケーキをべてしまうといった行為がそれに該当する。 自制心を欠く行為が哲学的な問題になるのはなぜだろうか。それは、「合理的な行為者ならば、自分にとって悪いと知っていることを、自ら進んで行うことはありえない」という想定があるからであろう。自制心を欠く行為はこの想定と

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    ebmgsd1235 2019/08/03
    「自制心のない人は、大前提を所有しているという点では知っている。しかし、小前提(および結論)に意識を向けることができないという点では無知である」それは悪しき性格の定着?それを習慣(依存?)としない。
  • 「哲学を学ぶなら岩波文庫を全部読め」を信じてはいけない理由 | Mitorizu Magazine

    小難しいを何冊も読むことが哲学を始める最初の一歩として相応しいわけではない。どんな順番でどんなを読んだら良いのか、それらを推薦する理由は何か。慶應大学で倫理学を教える長門さんからお話を伺った。 今回棚【哲学・倫理学の輪郭を(ざっくり)つかむための読書ガイド:最初の5冊編】を寄贈頂いた。哲学や倫理学とはどのような分野なのか、また同分野の社会における役割や、独学にあたってオススメの書籍に関心がある方は是非ご一読頂き、新たな学びの一歩を踏み出すきっかけにしてほしい。 〈プロフィール〉 長門裕介さん:慶應大学非常勤講師 自己紹介とこれまでの経緯 ーーまずは長門さんに簡単な自己紹介をお願いできますでしょうか。 慶應大学博士課程を単位取得退学後、倫理学を研究しながら、同大学の非常勤講師などを務めています。特に「幸福」と「人生の意味」について研究しています。普段は学部生、特に教養課程の学生向けに授

    「哲学を学ぶなら岩波文庫を全部読め」を信じてはいけない理由 | Mitorizu Magazine
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    ebmgsd1235 2018/04/26
    知的喜びというのも幸福の一種。同様に刹那的な快楽や満足、精神の拡張という恒常性もまた福利。問題は人生の意味、多くの宗教が答えを提供してるけど哲学は快刀乱麻あらず常に問題に向き合い意識し地道にやるもの。
  • 言語論的転回 - Wikipedia

    言語論的転回(げんごろんてきてんかい、英: Linguistic turn)とは、「ある人の使用する言語表現がその人の思想を写像(mapping)したものである」という仮定の下、思想の具体的分析の方法として言語の分析を採用するという方法論的転換を言う。 ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインが1922年に出版した論理哲学論考(Logisch-Philosophische Abhandlung)が決定的契機となり重要視されることとなった[1]。 概要[編集] 言語が現実を構成するという考え方は、言語を事物のラベルのように見なす西洋哲学の伝統や常識の主流に反していた。たとえば、ここで言う伝統的な考え方では、まず最初に、実際のいすのようなものがあると思われ、それに続いて「いす」という言葉が参照するいすという意味があると考える。しかし、「いす」と「いす」以外の言葉(「つくえ」でも何でもいい)との差異を

  •  「無能な者たち」をめぐって - shinichiroinaba's blog

    http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-e7c7.html 「無能」にまつわる小玉重夫の議論は言うまでもなく田崎英明『無能な者たちの共同体』を踏まえたものであるが、田崎の語り口は小玉のそれに比べるともう一段ガードが堅い。 小玉の語り口は余りにも見え見えというか、謙虚なそぶりをした傲慢、無防備なルサンチマンの露出という弱点がある。もちろん小玉による「無能」論は田崎のそれと無縁というわけではなく、韜晦気味の田崎の議論をわかりやすくパラフレーズしたものであるといってよいが、田崎の表現はもっと不気味なものだ。小玉の議論がわかりやすく謙虚なそぶりにおいて、すなわち「無能」に対する「有能」の優位をとりあえず認めつつそれを脱構築し逆転するという形で論が示されているのに対して、田崎はより直截に臆面もなく、「無能」の「有能」に対する優位を

     「無能な者たち」をめぐって - shinichiroinaba's blog
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    ebmgsd1235 2017/06/27
    使える使えないって何を対象としているのか?自らを目的でなく手段として振る舞っている有能な者たちは己の不完全を恥じるがゆえに無能(完全=善)を「放っておいてはくれず、ひたすら追い回し、追い詰めていく」
  • スピリチュアリズムの危険性――『反オカルト論』/高橋昌一郎 / 論理学・哲学 - SYNODOS

    『理性の限界』(講談社現代新書)をはじめとする「認識の限界」シリーズや、天才数学者たちの思想を論じた『ノイマン・ゲーデル・チューリング』(筑摩選書)などの人気著者・高橋昌一郎氏が、科学の発達した現代になおも潜む「オカルト」をバサバサと切っていくのが書『反オカルト論』だ。 「血液型」「星座」「六曜」「おみくじ」など日常に溢れている「占い」も、楽しむレベルなら問題ないが、それらを信じ込み、実際の行動に影響を及ぼすようなら、まさにオカルトの罠に陥ってしまっている。有名な「丙午」は出処も分からない迷信だが、前回の昭和41年は出生率が25%も激減。その前の明治39年には4%しか減らなかったことを考えると、時代錯誤の驚きの事実である。 こうしたオカルト現象は、一般市民にとどまらず、「死後の世界」を煽って〝霊感セミナー〟を行う大学医師やSTAP細胞事件など、学問に携わる専門家や研究者の間でも頻発してい

    スピリチュアリズムの危険性――『反オカルト論』/高橋昌一郎 / 論理学・哲学 - SYNODOS
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    ebmgsd1235 2016/09/28
    “矢作直樹氏や池川明氏のような「医師」がスピリチュアリズムを擁護~現在でも、東京大学医学部助教が主宰する未来医療研究会は実在し、相応の社会的影響力を持っている。そこにオカルト関係者が参加している~”
  • 哲学者が考えた奇妙な10の思考実験 : カラパイア

    知の探求者であるところの哲学者というものは常に何かを考える病に取りつかれているものだ。そしてそれを検証しようにも、倫理的観点から実験できないこともあるし、折角実験の許可が与えられたとしても、単純に現実的にできないこともある。 そうした場合に頼りになるのが思考実験だ。ここでは哲学者たちが世界を理解しようと考案してきた10の奇妙な思考実験をご紹介しよう。

    哲学者が考えた奇妙な10の思考実験 : カラパイア
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    ebmgsd1235 2016/08/28
    参照先も少なく適当に仕上げた感のある記事。されどブコメが重宝なもので感謝。自由意志は原因ではなく結果。エピクロス曰く「パンと水さえあればゼウスと幸福で勝つこともできる」たとえ絶え間ない戯れであっても。
  • 神の存在証明 - Wikipedia

    前3者は、カントが『純粋理性批判』の第三章「純粋理性の理想」において中世以来の神の存在証明に対する反論のために独自にまとめたものである。 目的論的証明[編集] 目的論的証明とは、例えば、「世界と自然の仕組みの精巧さや精妙さは、人間の思考力や技術を超えている」という考えを前提とし、「世界にこのような精巧な仕組みや因果が存在するのは、『人知を超越した者』の設計が前提になければ説明がつかない、つまり、神は存在する」という主張による証明である。 これはカントにおいては自然神学的証明とも呼ばれる。 体論的証明[編集] アンセルムスやデカルトが、このような形の神の存在証明を試みたので有名である。この証明はいくつかのヴァリエーションを持つが、「存在する」という事態を属性として捉え、例えば次のような論理を展開する。 まず、「可能な存在者の中で最大の存在者」を思惟することができる。ここで、「任意の属性Pを

  • 「全能の神がいるなら、なぜ悪や無知、罪を自ら作り出すのだ?」との問いは、やっぱり重要だよね - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

    新井白石と「思想的名勝負」をしたシドッチの遺骨見つかる。白石のその後も含め、思いを馳せる。【記録する者たち】 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20160406/p1 を書いた縁で、ネット上にあった新井白石のシドッチ尋問記「西洋紀聞」の現代語訳を読むことができた。 そして、自分にとってはなじみ深い議論に、ここでも巡り合うことができた。 少し、これをまとめて論じたい。 “西洋紀聞現代語訳 Seiyoukibun.pdf” http://htn.to/Q1xkyq 「天戒を破った罪が大きいので自ら贖うことができず、デウスがこれをあはれんで、3 千年後にイエスになって生れて、罪を贖えた」という説なんか、まるで嬰児のたわ言である。 一方で刑罰をつかさどるものが、一方であわれむべき情を発して、罪を許そうと努めている。マサンをうなという天戒自体、そもそもデウス自身が課し

    「全能の神がいるなら、なぜ悪や無知、罪を自ら作り出すのだ?」との問いは、やっぱり重要だよね - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
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    ebmgsd1235 2016/04/07
    リンク先含め興味深い記事ありがとうございます。唯一絶対の創造主という一神教の概念は神学を発展をさせ科学へと導いたがゆえに人類にとって貴重なもの。作家の「神の愛に応える責任の重大さ」という言葉に共感。
  • 文化資本 - はてな村定点観測所

    2014-11-30 文化 la distinction (卓越化) 『ディスタンクシオン』は、ブルデューの主著の1つです。藤原書店から邦訳が出版されています。ブルデュー理論やディスタンクシオンの概念は、近年になって日でも積極的に紹介され、社会学や哲学の方面を中心に大きな影響を与えています。 文化とディスタンクシオン -卓越化- これは君のことを話しているのだ。 この注意は読者に向けられていると同時に、社会学者にもまた向けられている。逆説的なことであるが、文化のさまざまなゲームは、そこに巻き込まれた人々が互いに相手を客観化しようとして行うあらゆる部分的な客観化行為のおかげで、かえってそれら自体は客観化されることから免れるという仕組みになっている。 だから学者たちは、自分自身の真実をつかむことをあきらめるのでないかぎり社交家たちの真実をつかむことができないのだし、逆もまたしかりなの

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    ebmgsd1235 2014/11/30
    「社会学の社会学」、「インセンティヴ・デバイド」等、考えるヒントいただきました。国家や学校によって序列化されない共同体とケイパビリティ、物理的であれ象徴的あれ暴力装置を包摂、解消する視点を手に入れたい
  • レヴィナスの時間論 - 内田樹の研究室

    『福音と世界』という冊子に標記のような文を寄せた。あまりふつうの人の眼には止まらないような媒体なので、ここに再録しておく。 レヴィナスの時間論 最初は「レヴィナスの終末論」というお題を頂いた。原稿を引き受けたのは昨年の12月である。そのときには「あのこと」を書こうというアイディアがあったのだと思う(そうでなければ引き受けない)。だが、10ヶ月経って、いざ締め切り間際になってみると、そのとき何を書く気で引き受けたのかが思い出せない。とりあえず、レヴィナスの時間の観念についてなら少し書けそうな気がするので、それを書こうと思う。それはユダヤ教の終末論的思考にどこかで通底しているはずである。 エマニュエル・レヴィナス(1906-95)の戦後すぐの著作に『時間と他者』がある。短い講演録だが、正直言うと、ほとんど意味不明のテクストである。 終戦直後に「ホロコースト・サヴァイヴァー」としてのレヴィナスの

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    ebmgsd1235 2014/11/18
    内田先生の専門のお話。それは認識(併合)や脱自(埋没)ではない、他者との根源的関係とは宙吊りされたままの、しかし「この絶対的な未決と隔絶は時間のうちでひとつの希望に転化する」、沁みるなあ。不在のメシア
  • 池上さん、「川」は誰のものだと思いますか?:日経ビジネスオンライン

    池上 彰(いけがみ・あきら) ジャーナリスト。1950年生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業後、NHK入局。社会部記者として経験を積んだ後、報道局記者主幹に。94年4月から11年間「週刊こどもニュース」のお父さん役として、様々なニュースを解説して人気に。2005年3月NHKを退局、フリージャーナリストとして、テレビ、新聞、雑誌、書籍など幅広いメディアで活躍中。2012年4月より、東京工業大学リベラルアーツセンター教授として東工大生に「教養」を教える。主な著書に『伝える力』(PHPビジネス新書)、『知らないと恥をかく世界の大問題』(角川SSC新書)、『そうだったのか! 現代史』(集英社)など多数。 池上:「社会的合意形成」。いささか長い単語ですね。「社会的合意形成」とはいったい何ですか? 桑子:かいつまんでいえば、「哲学」の力で、社会の争いを治め、よい方向にみんなを導く手法のことです。 池上:哲

    池上さん、「川」は誰のものだと思いますか?:日経ビジネスオンライン
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    ebmgsd1235 2013/05/30
    国としては環境よりも安全=治水に重点を置くのは仕方がない。たしかに川は私有地にはなく利害関係者はいないと言えるけど、公共資産に対する配慮は必要。そのさじ加減を決めるために社会的合意形成が必要となる。