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セクハラに関するflorentineのブックマーク (7)

  • 傷つける性として生まれた罪を知れ - どうでもいいことかもしれない

    「性的客体してだけ扱われる(いわゆるモノとして扱われる)」という事の恐怖感というか、嫌悪感のような話は、かなり前から繰り返されて来た事で、いまさらそう珍しい話でもないのだけれど、最近また盛り上がりを見せている。 「何度目だよ」と言いたくなるような話ではあるが、「何度も言わないと解らないバカがいるからだ*1」という事なのだろう。 私も女なので、そういう恐怖も嫌悪感も解らない訳ではない。セックスのリスクが女の方が高いというのは「事実」であるし、セクハラだって不快である。 私の場合は*2不快な言動をした人に対して「不快だ」と言ってしまうし、犯罪レベルの問題であれば犯罪として処理してしまうタイプの人間なのであまり深く考えないが*3、こうした事を大変重く受け取ってしまう女性もたくさんいるのである。 中には「女になんて生まれたくなかった」と思う人もいるだろう。 こうした女性達の「意見」は全く持って「正

    傷つける性として生まれた罪を知れ - どうでもいいことかもしれない
  • 書かれなかったジェンダー論:セクハラ、フェミニズム、男性学、ウーマン・リブ

    論文 1997年頃(未発表) 書かれなかったジェンダー論のための前書き 森岡正博 私がフェミニズムに出会ったのは、一九八〇年代のはじめのころだ。 しかし、私がフェミニズムというものの真意を知ることになるのは、もっとあとのことである。親しい人々と傷つけ合いを繰り返すなかで、「女であるというだけで生きにくさをかかえている人たちがいる」ことを思い知らされた。そのとき、はじめて、私はフェミニズムというものが、なにを言おうとしているのかを理解したのだった。 そして私は、同時に、「私が男であるとはどういうことか」という重苦しい問いを突きつけられたのだ。私が男として生まれ、男として成長し、男としていまここに生存していることそれ自体が、女として生まれ、女として成長し、女としていまそこに存在しているあなたを苦しめているのではないか。私は加害者の意識にめざめた。男であることをやめたくなった。 しかしながら、そ

    florentine
    florentine 2010/05/27
    「これを書きながら、私はみずからの人生にいまここで決着を付けていくのである」
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    粗大ゴミに車輪を付けて捨てに行く マンションで暮らしていると自宅から粗大ゴミ置き場まで若干の距離があったりします。手で持てるサイズ・重量の粗大ゴミなら手で運べばよいし、それよりも一回り大きいくらいのものならマンション共用設備から台車を借りられる場合があります。 今回、キッチンで 10 年…

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  • ブックワン BK1

    florentine
    florentine 2010/03/24
    「原著のタイトルを日本語に訳せば、「女の著作を抑圧する方法」である」「狭く文学の領域にとどまらず、広く知的活動、創作活動をする男女に示唆するところが多い論考である」
  • ブックワン BK1

    florentine
    florentine 2010/03/24
    「女の物書きは、「女流文学」とか「少女小説」とかといったサブジャンルに囲い込まれたうえで、「女ならではの」とか「閨秀」(ちょっと古臭いけど)といった言葉で」「付加価値(作者自身にまつわる)プライベート
  • ブックワン BK1

  • セクハラ - 「あなたは悪くない」別館

    働くとセクハラをされる。 された。されまくった。 されたセクハラの内容を、まともな人が聞けば「ネタ?ねえ、ネタでしょ?」と笑って言われるくらい、おかしい。 ネタではないと知ると、皆一様に押し黙るくらいのひどさ。 おかしな人というのは実際にいる。 まともな人の理解の範疇を超えることをしてくる。 まともな人は、自分が被害者になるか目の前でおきない限り、理解できない。 セクハラは、だいたいが、人目につく所で大っぴらにはしない(そういうセクハラもあるが)。 まとも度が低い人は、自分がかわいいので、自分に面倒がふりかからない限り、見なかったこと聞かなかったことにする。 まともでない人は、自分もいい思いをしたいので、加害者に加担する。 まともかどうか、というのは、 つまり、自分さえよければいいか、ということの度合いでもある。 こどものいじめと同じ構造。 事実を伝えることで、より状況がひどくなることをお

    セクハラ - 「あなたは悪くない」別館
    florentine
    florentine 2010/02/27
    「まともかどうか、というのは、つまり、自分さえよければいいか、ということの度合いでもある」
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