■連載小説 ・慈雨の音(六)/宮本 輝 ・俺俺(六)/星野智幸 ・還れぬ家(十)/佐伯一麦 ・幸福の森(二十五)/加賀乙彦
第23回三島由紀夫賞 受賞者自身による【略歴】 東浩紀 一九七一年東京に生まれる。成績がよかったので筑波大学附属駒場に通う。また成績がよかったので東大文Iに進学する。このままでは法学部に行くことになるぞ、という時期になりようやく真剣に将来について悩みはじめる。二〇歳の秋、法政大学で教鞭を執っていた柄谷行人のもとに人生相談に行くが、阪神の話しかされず、一念発起して書いた文章が人生最初の評論。それが意外なことに『批評空間』に掲載されることになり、舞い上がって悩むのを止める。快調に大学院に行き博士号を獲得。博論と同じ文章を出版して一九九八年にデビュー。同年直前に結婚もしており順風満帆に思えたが、人生について考えてこなかったツケがついに回り、遅れたアイデンティティ危機に陥る。そもそもおれ、思想とか評論とか好きじゃなかったんじゃね?的な気分になり批評空間派を離脱。流浪のサブカル漫遊の旅に出る。二
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ちょっと前になるけれども、id:font-daさんのエントリ「欲望は禁止できない、しかし…」と、そこで言及されている東浩紀氏による「児童ポルノの単純所持禁止問題」を読んで、少しひっかかっている事を。東氏の主張に多少違和感があって、font-daさんの主張に少し重なるところがあるように思っていますが、ちょっと自分でもまだ感覚レベルなので、多少頭の整理をかねて。 実際の児童ポルノの規制について、わたくしは、その制作・販売の過程において、児童あるいは制作にかかわる個人の搾取がいっさい行われていないという前提が成立するとすれば、確かにそのようなポルノの単純所持を法的に禁止することを正当化することはできないだろうと思っている(そのような前提が成立するのかどうかは、また別の問題である)。その意味では、以下の東氏の見解の前半部と、ちょっと近い。 上記の論理で行くと、(1)制作時に児童虐待と無関係であり、
ヘイトスピーチへの法規制について - 児童小銃 http://d.hatena.ne.jp/rna/20081216/p1 東擁護者は「声に場所を与える」ってことで一体なにを考えてんの? - Apes! Not Monkeys! はてな別館 http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20081215/p1 バカの身振り - kom’s log http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20081216 『自由を考える』でなんども出てくるモチーフなのだけれども、東の考え方に共感できる点として「匿名の自由」という概念がある。 これを東は「確率」と言い換え、大澤は「遇有性」と言い換える。 そしてまたあるいは、「弱い受動的な権利」とも。(本がどっかに埋もれてるのでうろおぼえ) 東の頭の中では、大まかな戦略的方向性として、「歴史修正主義」を弱者とみなすことで「確率」的
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