「悪の教師」と呼ばれるマキァヴェッリ。しかし、彼は単純な「マキァヴェッリズム」の男ではなかった。聖書の神への信仰を拒絶し、「哲学的ではあるがもはやギリシア的ではない一種の思想」すなわち近代哲学を発見するさまを描く。われわれはみな、マキァヴェッリの子どもたちなのだ。 目次 日本語版への序文 ネイサン・タルコフ 序文 序論 第Ⅰ章 マキァヴェッリの教えの2重の性格 第Ⅱ章 マキァヴェッリの意図:『君主論』 第Ⅲ章 マキァヴェッリの意図:『ディスコルシ』 第Ⅳ章 マキァヴェッリの教え 注 訳者解説 索引
マキアヴェッリが「君主論」を書いたとき、彼の問題意識は「新しい君主はいかにあるべきか」ということでした。 当時のイタリアは「油断をすればすぐにも崩壊しかねない脆弱な政治的支配関係」ばかりの不安定な政情にありました。そのために政治的に安定した近隣の大国であるフランスによっていいように振り回され、つまみ食いされても、ほとんど何もできない状況でした。 慈悲深く、敬虔で善良な君主は、しかしそのためにかえって脆弱な支配力しか持てない恐れがあります。そのため狡猾さと力に満ちた君主の方が、それによって権力を保ち、そのため善良なだけの君主よりもはるかに偉大な事業を達成できる、というのです。 新しく権力を握った指導者について 権力の維持がとくに難しいのは、旧制度を打倒し、それにとってかわった君主です。そういった君主は権力を安定させるため、新制度を設立せねばなりません。その際に注意すべきこととして、マキャベリ
著者紹介 J.G.A. ポーコック (John G.A. Pocock) 1924年生まれ。ジョンズ・ホプキンズ大学名誉教授。ヨーロッパ啓蒙思想史研究、政治思想史研究における巨匠。本書の他に代表作として Ancient Constitution and Feudal Law (1957), Politics, Language and Time (1971), Virtue, Commerce and History (1985), Barbarism and Religion (1999-, 現在第4巻まで刊行), The Discovery of Islands (2005) などがある。共和主義研究のみならず、思想史方法論、イギリス史の再検討でも影響力が大きい。 (所属などは本邦訳刊行時のものです。) 目 次 凡 例 日本語版への序文 序 文 第Ⅰ部 個別性と時間 —— 概念的背景
知識の総称としての科学[編集] 「科学」(science)という語はラテン語の scientia (知識)に由来し[8]、「知識」全般を指すこの言葉は早くはフランス語に取り入れられ、17世紀初期には英語としても定着した[9]。古代では科学と哲学に区別はなく、これが分化したのは近世(特にF・ベーコン以降)だった[10]。 近代自然科学の成立以前は、自然についての理論的・哲学的学説は、自然哲学(philosophy of nature)か自然学(physica)と言った[11]。自然科学は「実験と数学による解析」という方法によって成立しているのに対し、古代~中世の自然哲学にはこの方法が欠けており「いくら自然を眺めていても、そこから自然科学が生まれることはなかった」と言う[12]。 現代では広義の「科学」が、全学問を指すこともある[5]。 人類は太古の昔から、自分たちをとりまく自然界の現象や自身
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