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森鴎外に関するflorentineのブックマーク (47)

  • 鷗外追想 - 岩波書店

    近代日の傑出した文学者で、西洋文化全般を日に伝えた先導者、さらに軍医総監・政府高官でもあった森鷗外。その風貌に接した友人、後続の文学者、親族、軍人ら、同時代人の回想五十数篇から、厳しさと共に細やかな愛情を持った巨人のさまざまな素顔が現れる。鷗外文学への格好の道標となる一冊。 Ⅰ うたかた うたかた……与謝野晶子 巴里なるまり子様に……佐佐木雪子 巴里なる山田珠樹兄に……団 伊能 通夜筆記……賀古鶴所 Ⅱ 鷗外と解剖 兄の日常生活……森 潤三郎 西周男と鷗外博士……相沢英次郎 鷗外と解剖……森 於菟 森鷗外君の追憶……緒方収二郎 通夜筆記……斎藤勝壽 森於菟に……小金井喜美子 Ⅲ みなわ集の事など 鷗外君の文勲を憶う……坪内逍遥 森鷗外君の追憶……内田魯庵 鷗外先生片々……平野万里 森先生と私……与謝野 寛 みなわ集の事など……泉 鏡花 観潮楼の思い出……佐佐木信綱 鷗外先生を訪いて……

    鷗外追想 - 岩波書店
  • BGR2299_33188.pdf

  • 法政大学機関リポジトリ移行のお知らせ :: 法政大学 図書館

    法政大学では、教育・研究成果の発信システムである「法政大学機関リポジトリ」について、 2018年8月より国立情報学研究所が提供する共用リポジトリサービス「JAIRO Cloud」環境へ 移行いたしました。 ブックマーク等に登録されている方は、お手数ですがURLの変更をお願いいたします。 (新) https://hosei.repo.nii.ac.jp/ 2018年8月20日より公開開始 (旧) http://repo.lib.hosei.ac.jp/ 以上

    florentine
    florentine 2017/05/01
    「鴎外は一年中軍服を着、サーベルをさげて二カ年間美学の講義をおこなったが、笑顔をみせたことがなく、いつもむずかしい顔をし ていたという」
  • 文京区立森鴎外記念館 コレクション展「死してなお―鴎外終焉と全集誕生」(平成29年2月2日(木)~4月2日(日)) | 笠間書院

    展示情報です。 ●公式サイトはこちら http://moriogai-kinenkan.jp/modules/event/?smode=Daily&action=View&event_id=0000000517&caldate=2017-2-2 ——————– コレクション展「死してなお―鴎外終焉と全集誕生」 2017年 2月 2日 ~ 2017年 4月 2日 会期:平成29年2月2日(木)~4月2日(日) ※会期中の休館日:2月27・28日(月・火)、3月28日(火) 開館時間:10時~18時(最終入館は17時30分) 観覧料:一般300円(20名以上の団体:240円) ※中学生以下無料、障がい者手帳ご提示の方と同伴者1名まで無料 会場:文京区立森鴎外記念館展示室2 文豪・森鴎外は、大正十一年七月九日午前七時、自宅観潮楼でその生涯を終えました。 死の間際まで職務に励み、また著作のための調

  • https://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/lcs/kiyou/12-1/RitsIILCS_12.1pp.125-129NISHI.pdf

    florentine
    florentine 2017/02/14
    「男性側の性欲というようなものが見境なく,さまざまな女性に向かって襲いかかっていってしまい,そしてそれを文学というものが搾取していってしまう構造を森鴎外はかなり意識的に自分の作品の中で再現している」
  • 森鴎外 サフラン

    名を聞いて人を知らぬと云うことが随分ある。人ばかりではない。すべての物にある。 私は子供の時からが好だと云われた。少年の読む雑誌もなければ、巌谷小波(いわやさざなみ)君のお伽話(とぎばなし)もない時代に生れたので、お祖母(ばあ)さまがおよめ入の時に持って来られたと云う百人一首やら、お祖父(じい)さまが義太夫を語られた時の記念に残っている浄瑠璃(じょうるりぼん)やら、謡曲の筋書をした絵やら、そんなものを有るに任せて見ていて、凧(たこ)と云うものを揚げない、独楽(こま)と云うものを廻さない。隣家の子供との間に何等の心的接触も成り立たない。そこでいよいよに読み耽(ふけ)って、器に塵(ちり)の附くように、いろいろの物の名が記憶に残る。そんな風で名を知って物を知らぬ片羽(かたわ)になった。大抵の物の名がそうである。植物の名もそうである。 父は所謂(いわゆる)蘭医(らんい)である。オランダ語を

    florentine
    florentine 2016/02/20
    「巌谷小波君のお伽話もない時代に生れた」と書かれてる。日本初の穉物語(ジュブナイル小説)「こがね丸」の少年文学序をかいてるのが鷗外さん http://www.aozora.gr.jp/cards/000981/files/3646_12287.html
  • 森鴎外 うたかたの記

    幾頭の獅子(しし)の挽(ひ)ける車の上に、勢(いきおい)よく突立ちたる、女神(にょしん)バワリアの像は、先王ルウドヰヒ第一世がこの凱旋門(がいせんもん)に据(す)ゑさせしなりといふ。その下(もと)よりルウドヰヒ町を左に折れたる処に、トリエント産の大理石にて築(きず)きおこしたるおほいへあり。これバワリアの首府に名高き見ものなる美術学校なり。校長ピロッチイが名は、をちこちに鳴りひびきて、独逸(ドイツ)の国々はいふもさらなり、新希臘(ギリシア)、伊太利(イタリア)、馬(デンマーク)などよりも、ここに来(きた)りつどへる彫工(ちょうこう)、画工数を知らず。日課を畢(お)へて後(のち)は、学校の向ひなる、「カッフェエ・ミネルワ」といふ店に入りて、珈琲(カッフェー)のみ、酒くみかはしなどして、おもひおもひの戯(たわぶれ)す。こよひも瓦斯燈(ガスとう)の光、半ば開きたる窓に映じて、内には笑ひさざめく声

  • 森鴎外 文づかい

  • 森鴎外 歴史其儘と歴史離れ

    わたくしの近頃書いた、歴史上の人物を取り扱つた作品は、小説だとか、小説でないとか云つて、友人間にも議論がある。しかし所謂 normativ な美学を奉じて、小説はかうなくてはならぬと云ふ学者の少くなつた時代には、此判断はなか/\むづかしい。わたくし自身も、これまで書いた中で、材料を観照的に看た程度に、大分の相違のあるのを知つてゐる。中にも「栗山大膳」は、わたくしのすぐれなかつた健康と忙しかつた境界とのために、殆ど単に筋書をしたのみの物になつてゐる。そこでそれを太陽の某記者にわたす時、小説欄に入れずに、雑録様のものに交ぜて出して貰ひたいと云つた。某はそれを承諾した。さてそれが例になくわたくしの校正を経ずに、太陽に出たのを見れば、総ルビを振つて、小説欄に入れてある。殊に其ルビは数人で手分をして振つたものと見えて、二三ペエジ毎に変つてゐる。鉄砲頭が鉄砲のかみになつたり、左右良(まてら)の城がさう

  • 千駄木の森鴎外記念館で「奈良、京都の鴎外」展 「パパ」鴎外の側面も

    千駄木の森鴎外記念館(文京区千駄木1)で現在、コレクション展「奈良、京都の鴎外─今日オクラガアキマシタ。」が開催されている。 鴎外筆森杏奴宛葉書(大正8年11月2日)の宛名面 鴎外も参列した1915(大正4)年の「大正天皇 即位の礼」から、100年という節目を記念して企画された同展。観光名所として知られる奈良・京都と鴎外の関わりを、原稿や書簡、家族へ宛てた絵はがきなどを通して、子を持つ父・鴎外としての側面も交えながら読み解いていく。 京都と鴎外の関わりについては、陸軍軍医総監として参列した大正天皇の即位の礼の出来事を中心に構成。新聞社より依頼を受け、即位式や大嘗祭(だいじょうさい)、供宴などの子細な記録を執筆した「盛儀私記」(せいぎしき)の自筆原稿のほか、絵はがき、当時の官報などを展示。儀式の合間に弟の森潤三郎とともに古人の墓巡りをしたことなども併せて紹介する。 奈良と鴎外については、19

    千駄木の森鴎外記念館で「奈良、京都の鴎外」展 「パパ」鴎外の側面も
  • http://www.hmt.u-toyama.ac.jp/hibun/kaneko/gender.htm

    florentine
    florentine 2015/11/28
    鴎外のドイツ留学ージェンダーの視角からー                     金 子 幸 代
  • http://members.jcom.home.ne.jp/emura/ogai.htm

    鴎外、この複雜な大作家  ── 松清張の鴎外論に関して ───  村上 徹 (2013年2月21日) 松清張の絶筆ともいえる作品に「両像・森鴎外」という長編の評論がある。この作品は1985年に、雑誌「文芸春秋」に七回にわたって連載された「二医官伝」を、加筆改題し単行にしたものである。 二医官とは、軍医であり作家であった森鴎外と、鴎外が晩年の史伝で描いた弘前藩の侍医渋江抽齋を斥していると思われる。しかし、見方を変えれば、医官の一人は抽齋であることは確かだがもう一人の方は、福山藩の侍医伊沢蘭軒ともとることができる。蘭軒は抽齋の師であり、抽齋伝を書き終えた鴎外は、ひき続いて「伊沢蘭軒」の筆をおこした。しかし、この単行を見る限り、蘭軒は抽齋の添え物でしかない。作者である清張の興味の中心は、あくまでこれらの史伝の著者森鴎外にある。単行にするに際してタイトルが「両像・森鴎外」と変更さ

  • Vol.94 森鴎外旧蔵書?|ことばと文化のミニ講座|明星大学

    『うめのこと葉』という和の歌集で、賀茂真淵という国学者が編み、江戸時代後期の文政7年(1824)に、その孫弟子である大石千引の序文を付して出版されたものです。これ自体は特に珍書というわけではありませんが、注目したいのは、このをかつて所蔵していた人物が押した印鑑、すなわち蔵書印です。 このには、写真のように「進木廼舎」という文字が記された蔵書印が押されています。印の大きさは3.3×3.3センチ。この上から重ねて「原氏記」という印も押されています。 このを買ったのは、まさに偶然でした。 私は、半ば趣味、半ばストレス発散のために、神田神保町の古書即売市に時々行くのですが、私が別のを手に取ってレジに並ぼうとしていたところ、蔵書印にたいへん詳しい方がちょうどそこに居合わせ、 「青山君、森鴎外の旧蔵書があったよ」 とわざわざ私に声を掛けて、親切にもこのを手渡して下さったのでした。 私は

  • ハンス・クリスチアン・アンデルセン Hans Christian Andersen 森鴎外訳 即興詩人 IMPROVISATOREN

    是れ予が壯時の筆に成れる IMPROVISATOREN(イムプロヰザトオレン) の譯なり。國語と漢文とを調和し、雅言と俚辭とを融合せむと欲せし、放膽にして無謀なる嘗試は、今新に其得失を論ずることを須(もち)ゐざるべし。初めこれを縮刷に付するに臨み、予は大いに字句を削正せむことを期せしに、會(たま/\)歐洲大戰の起るありて、我國も亦其旋渦中に投ずるに至りぬ。羽檄旁午(うげきばうご)の間、予は僅に假刷紙を一閲することを得しのみ。 大正三年八月三十一日觀潮樓に於いて わが最初の境界 羅馬(ロオマ)に往きしことある人はピアツツア、バルベリイニを知りたるべし。こは貝殼持てるトリイトンの神の像に造り做(な)したる、美しき噴井(ふんせい)ある、大なる廣こうぢの名なり。貝殼よりは水湧き出でゝその高さ數尺に及べり。羅馬に往きしことなき人もかの廣こうぢのさまをば銅板畫にて見つることあらむ。かゝる畫にはヰア、

  • http://m.kaji-ka.jp/dokusyo/4205

    florentine
    florentine 2015/09/06
    あーーーーーーーー鷗外、こんな、こんな、こんな、たったこんだけの文章なのに、悔しいっ!
  • 岩波書店

  • 複数の胸騒ぎ Uneasinesses in plural by Nishi Masahiko

    Dec. 25...

    複数の胸騒ぎ Uneasinesses in plural by Nishi Masahiko
  • 青空文庫 : 作家別作品リスト : 森 鴎外

    名林太郎。石見国鹿足郡津和野町(現・島根県鹿足郡津和野町)生まれ。代々津和野藩亀井家の典医の家柄で、鴎外もその影響から第一大学区医学校(現・東大医学部)予科に入学。そして、両親の意に従い陸軍軍医となる。1884(明治17)年から5年間ドイツに留学し衛生学などを学ぶ。「舞姫」「うたかたの記」「文づかひ」「大発見」「ヰタ・セクスアリス」などに、そのドイツ時代の鴎外を見て取ることができる。その後、陸軍軍医総監へと地位を上り詰めるが、創作への意欲は衰えず、「高瀬舟」「阿部一族」などの代表作を発表する。 「森鴎外」 公開中の作品 あそび (新字新仮名、作品ID:2595) 阿部一族 (新字新仮名、作品ID:673) 尼 (新字旧仮名、作品ID:193)     →ウィード グスターフ(著者)    →森 林太郎(翻訳者) アンドレアス・タアマイエルが遺書 (新字旧仮名、作品ID:2065)    

  • Amazon.co.jp: 森鴎外 椋鳥通信(上) (岩波文庫): 森鴎外 (著), 池内紀 (編集): 本

  • 森鴎外『舞姫』をめぐって - 古典ニューロン

    2014-03-15 森鴎外『舞姫』をめぐって 西成彦(まさひこ)『胸さわぎの鴎外』(2013年)の第二部「性欲と石炭と植民地都市――『舞姫』再考」という批評文は、驚くほど新鮮な視点から『舞姫』に光を当てていて、そういう読み方が成り立つのかと大いに啓発された。 たとえば鴎外は『ヰタ・セクスアリス』(1909年)という性欲の問題を扱った小説を書いているが、「森鴎外(林太郎)にとって、性欲処理は重大な衛生学的関心事のひとつだった」と西氏はいう。 軍医として森林太郎は『衛生新篇』(小池正直との共著、1896年)という公衆衛生のテキストを書いているが、西氏によると、その「改訂増補第五版」(1914年)には「性欲雑説」が加えられているという。 森において、医学と衛生学とは一体であった。とりわけ成年男子を長期にわたって隔離し、戦地での非衛生的な生活を耐え、また周囲に強いなければならない陸軍の中枢に

    森鴎外『舞姫』をめぐって - 古典ニューロン