紹介 良妻賢母は〈抑圧〉であると共に〈解放〉でもあった。女性運動とは別の系譜として女性の地位向上を求める実践が存在したことを示す。 下田歌子の教育方針「良妻賢母論」。性別役割分業体制の形成期、主婦や母の価値を高めることによって、女性の地位を高めようとする「ドメスティック・フェミニズム」に良妻賢母論を位置づけ、婦人参政権や女性の権利を求める第1波フェミニズムとは別の系譜として地位向上を求める女性の要求が存在したことを明らかにする。 目次 序 章 下田歌子研究にあたって [広井多鶴子] はじめに 1 下田学校(桃夭学校)と華族女学校─明治前期の上流女子教育 2 実践女学校の設立と福祉事業─一般女子、貧困女子、清国留学生の教育 3 下田研究を阻んできたもの おわりに 第Ⅰ部 女子教育の創出 第1章 下田歌子・女子教育の源泉─皇后との関係 [久保貴子] はじめに 1 皇后との邂逅 2 明治初期の女