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フェミニズムに関するflorentineのブックマーク (128)

  • 下田歌子と近代日本 広井 多鶴子(編集) - 勁草書房

    紹介 良賢母は〈抑圧〉であると共に〈解放〉でもあった。女性運動とは別の系譜として女性の地位向上を求める実践が存在したことを示す。 下田歌子の教育方針「良賢母論」。性別役割分業体制の形成期、主婦や母の価値を高めることによって、女性の地位を高めようとする「ドメスティック・フェミニズム」に良賢母論を位置づけ、婦人参政権や女性の権利を求める第1波フェミニズムとは別の系譜として地位向上を求める女性の要求が存在したことを明らかにする。 目次 序 章 下田歌子研究にあたって [広井多鶴子] はじめに 1 下田学校(桃夭学校)と華族女学校─明治前期の上流女子教育 2 実践女学校の設立と福祉事業─一般女子、貧困女子、清国留学生の教育 3 下田研究を阻んできたもの おわりに 第Ⅰ部 女子教育の創出 第1章 下田歌子・女子教育の源泉─皇后との関係 [久保貴子] はじめに 1 皇后との邂逅 2 明治初期の女

    下田歌子と近代日本 広井 多鶴子(編集) - 勁草書房
  • エコロジカル・フェミニズムについて - HODGE'S PARROT

    大越愛子『フェミニズム入門』より「エコロジカル・フェミニズム」について記しておきたい。エコロジカル・フェミニズム(エコフェミニズム、Ecofeminism)とは、人間と自然的なものに階層を置く近代的自然観を最も先鋭に問題化にしているフェミニズム思想・運動である。人間による自然支配、その構造は、男性による女性支配、その構造とリンクしている──そのような認識においてエコロジーとフェミニズムは接点を見いだすことになる。その先駆者としては、環境科学者エレイン・スワロー*1と『沈黙の春』の著者レイチェル・カーソンが挙げられる。 シャーリーン・スプレトナクによれば、現代のエコ・フェミニズムの源泉は以下の三つの線に由来している。 ラディカル・フェミニズム。家父長制の女性支配は、男性原理の自然支配と一体的である。したがって、女性の自己解放と自然との親和感の回復は同一の問題である、と。 霊的体験。女神の宗教

    エコロジカル・フェミニズムについて - HODGE'S PARROT
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  • 寿岳章子 - Wikipedia

    寿岳 章子(じゅがく あきこ、1924年1月2日 - 2005年7月13日)は、日の国語学者・エッセイスト・社会活動家。 経歴・人物[編集] 寿岳文章・寿岳しづ夫の長女として京都府に生まれる。弟は天文学者の寿岳潤。 旧制京都府立第一高等女学校、旧制京都府立女子専門学校を経て、1946年(昭和21年)に東北帝国大学法文学部を卒業[1]、京都大学大学院へ進学。京都府立大学助教授、教授として同大学に36年間勤務。 憲法・反核、まちづくり、福祉、女性差別是正などの要求実現に向けた発言や政治革新の運動のリーダーとして活動[2]。「憲法を守る婦人の会」の活動に30年以上携わった。墓所は南禅寺慈氏院。 著書[編集] 単著[編集] レトリック 日人の表現 共文社, 1966 女は生きる 名前が語る女の歴史 三省堂新書, 1968 花と詩の旅 芸艸堂, 1970 働く婦人の講座 7 働く婦人の人間関係

    florentine
    florentine 2010/08/29
    「言葉と女性差別の問題で発言を続け、「憲法を守る婦人の会」の活動に30年以上携わった」
  • Something Orange - ファンタジィは女性をどう描いて来たか。

    カルバニア物語 (11) (キャラコミックス) 作者: TONO出版社/メーカー: 徳間書店発売日: 2007/08/25メディア: コミック購入: 2人 クリック: 8回この商品を含むブログ (34件) を見る 「なに言ってんのエキュー だって〝女〟が爵位をもつんだもの あたりまえのことじゃない〝妊娠〟も〝出産〟も これからもずーっと 女におこりうることは全部そのまま降りかかってくるのよ」 待望の第11巻。 あいかわらず、おもしろかった。どれくらいおもしろいかというと、読み終えた瞬間に第12巻も待望になってしまうくらい。 この巻は第11巻から1年半も間が空いているけれど、そのあいだに『チキタGUGU』や『ラビット・ハンティング』が出ているから、ま、大目に見よう(偉そうだね)。 チキタ・gugu 7 (眠れぬ夜の奇妙な話コミックス) 作者: TONO出版社/メーカー: 朝日ソノラマ発売日:

    Something Orange - ファンタジィは女性をどう描いて来たか。
    florentine
    florentine 2010/06/12
    ル=グウィンやティプトリーやマキャフリイも脇において(他でたくさん語られてそうv)、マッキンタイア『太陽の王と月の妖獣』(SFかファンタジーか謎。歴史コスチューム好きにはオススメ度大)とか?
  • ハーレクイン対フェミニズム

    1 はじめに 1963 年, 時代を画する 1 冊のアメリカで出版された。 Betty Friedan の The Feminine Mystique。 平凡な結婚生活を送っていた女性が, ある時ふと, その何不自由ない結婚生活の中に息苦しさを覚えるようになり, 自分は当に幸福なのだろうか, これ以上のものを人生に期待するのは間違っているのだろうかと自問し始める。 そんな女性の覚醒の瞬間から筆を起こしたこのが, 女性を家庭の中に閉じ込めようとする父権制社会の構造を暴き出し, 女性の自立を促して, 1960 年代後半から 1970 年代にかけて盛んになる女性解放運動の先駆けとなったことは, 既に常識の内と言ってよいだろう。 つまり 1963 年という年は, 新世代 (第 2 波) フェミニズムの誕生を歴史に刻む, 記念すべき年なのだ。 だが 1963 年という年は, 女性と結婚にかか

    florentine
    florentine 2010/06/09
    直接関係ないかもしれないけど、「安心」して読めるステロタイプな物語を好むのは別に「女性」だけの特徴じゃない、とも言えるしなあ。イロイロ考える。
  • Amazon.co.jp: 政治思想のなかの女: その西洋的伝統: スーザン・モラーオーキン (著), Okin,Susan Moller (原名), 葉,田林 (翻訳), 臣広,重森 (翻訳): 本

    Amazon.co.jp: 政治思想のなかの女: その西洋的伝統: スーザン・モラーオーキン (著), Okin,Susan Moller (原名), 葉,田林 (翻訳), 臣広,重森 (翻訳): 本
  • ダナ・ハラウェイ『猿と女とサイボーグ 自然の再発明』青土社

    ◆Haraway, Donna J. 1991 Simians, Cyborgs, and Women: The Reinvention of Nature, London: Free Association Books and New York: Routledge=20000725 高橋 さきの 訳,『猿と女とサイボーグ──自然の再発明』,青土社,523+XXXVp. ISBN:4-7917-5824-2 3600 [amazon]/[bk1] ※ *ここでは、第8章を紹介する。 〈目次〉 謝辞 序章 第1部 生産・再生産システムとしての自然 第1章 動物社会学とボディポリティックの自然経済:優位性の政治生理学 第2章 過去こそが論争の場である:霊長類の行動研究における人間の性と、生産と再生産の理論 第3章 生物学というエンタプライズ:人間工学から社会生物学に至る性、意識、利潤 第2

  • フランスにおけるフェミニズムの台頭

  • デルフィの唯物論フェミニズム

    スティーヴィ・ジャクソン シモーヌ・ド・ボーヴォワールによれば、フランスにおけるフェミニズム理論は「ほとんどがラディカル・フェミニズムから発生した」(ボーヴォワール、1985:236)。 他の国のフェミニストはこの断言をいぶかって、社会主義やマルクス主義のフェミニストはどうなってしまったのだと尋ねるかも知れない。たしかにフランスの草の根的な運動の中では社会主義のフェミニストたちは表に立っていたし能弁な参加者だったが、ほかの西欧の社会主義フェミニストにくらべればそれほどの理論的な発展は見せていない。 ボーヴォワールがラディカル・フェミニズムを強調することを人が疑問に思うであろうもうひとつのより重要な理由は、「フランス・フェミニズム理論」と呼ばれるものがもうひとつ存在し、それはラディカル・フェミニズムとは全く似ていない    どんなフェミニズムとも似ていないとも言えよう(デル

    florentine
    florentine 2010/06/04
    なるほろ、というか、これは複雑な…。う~むう~む。
  • Welcome to the GALE website | gender awareness in language education

    florentine
    florentine 2010/06/04
    「ペルティエは女性の性欲と快楽への権利を擁護し、さらにそれを保障するために、「中絶の権利」まで要求」「「母性」そして「セクシュアリティ」から「自然性」を引き剥が」「「家族」の「自然性」をも否定」
  • ポストモダン・フェミニズム

    postmodern feminism ポストモダンフェミニズム † 近代啓蒙思想の人間中心主義・普遍主義自体が、男性中心主義・西欧中心主義に陥っていることを批判し、それからの脱却を求めるフェミニズム思想。 ↑ ポストモダン・フェミニズム † フーコー,デリダらのポスト構造主義の影響下で,西洋形而上学の「ロゴス中心主義」や「ファルス中心主義」を批判するフェミニズムである。 このフェミニズムは,言語構造,宗教秩序,主体形成に根強く潜む男根中心主義や性差二元論を解体し脱構築しようとする。 この派に属するクリステヴァ,エレーヌ・シクスー,リュス・イリガライはいずれも,ラカンの精神分析に影響を受けている。 クリステヴァによれば,西洋形而上学はロゴス中心主義的な象徴体系を基盤にしているが,男らしさ(男性性)はこの象徴体系に完全に統合されているのに対し,女らしさ(女性性)は

    florentine
    florentine 2010/06/04
    「つまり「ひとつしかない,真実のフェミニスト・ストーリー」を目指すこと自体が,男根中心的な思考法だとして,単一ではない多様なフェミニズムの可能性をめざす。」これがいちばんしっくりきたかなあ。
  • カルチュラル・フェミニズム - Wikipedia

    カルチュラル・フェミニズム(英語:Cultural feminism、直訳: 文化女性主義)は、男性と女性の個性には根的な差があり、その差は特別であり祝福すべきものであるという理論である[1]。社会であまり評価されていないとする女性らしさ、女性的な要素を再評価しようという考え方[2]。 このフェミニズム理論は、男女の間には生物学的な差異があるという考えを支持する。たとえば、「女性は男性より親切で優しい」から、女性が世界を支配すれば戦争がなくなるだろう、とか、女性の方が子供の面倒を見るのに向いている、みたいな考え方をするわけである[3]。カルチュラル・フェミニズムは、女性の固有の特性、習慣、経験などを賛美することにより、異性間の関係や文化一般を改善することを目指している。そして、「女のやり方」の方がよい方法であるとか、現在論じられる文化は男性的すぎるので、女性の観点からバランスをとる必要が

    カルチュラル・フェミニズム - Wikipedia
  • 差異派フェミニズム - Wikipedia

    差異派フェミニズム(さいはフェミニズム)は、男性と女性の間の根的な同一性を何らかのかたちで強調する、それまでの平等派フェミニズムとは異なり、男性と女性が存在論的にまったく異なる存在であることを強調するフェミニズムの一分派である。差異派フェミニズムの生まれた背景には法律問題がその一因としてある。平等派フェミニズムは、たとえば、女性が選挙権その他の権利を持つことは保証したかもしれないが、医学的な支援のような、より重要で影響力のある変革を行うためには、女性が男性と異なるという主張を行うことが必要だったのである。差異派フェミニズムが強調する根的な差異とは、生物学的な差異、感情的な差異、もしくは、その両方である。 差異派フェミニズムが流行したのは、いわゆる第二波フェミニズムの時期である。差異派フェミニズムは、たとえば出産のような、生物学的な理由から生まれる男性とは異なるニーズに対して、適切な対策

    差異派フェミニズム - Wikipedia
  • ラディカル・フェミニズム - Wikipedia

    ラディカル・フェミニズム(英: radical feminism、急進的女性主義[1][2]、急進的フェミニズム[3])とは、リベラルフェミニズムへのアンチテーゼであり、社会変革や男女平等を主張しながらも女性へ従来の補助的・性的役割を押し付けてきた新左翼・マルクス主義への失望から誕生したラディカルなフェミニズムの一形態である[4][5][6]。略す際には、ラディフェミとされる[7][8]。 概要[編集] ラディカル・フェミニズムは、性支配一元論をとり、男性を抑圧者とみなし、女・男の利害は競合・敵対すると考える[4][5]。リベラルフェミニズムよりも、差異派フェミニズム・分離主義なフェミニズムであり、女・男の分離を前提としたうえで、女性という性別を前提とし、「女性という集団」独自の存在意義を強調する[4][8]。結婚・母性・異性愛・家族・性交という諸制度で女性は抑圧されており、それらは女

    ラディカル・フェミニズム - Wikipedia
  • リベラル・フェミニズム - Wikipedia

    リベラルフェミニズム(英: liberal feminism)は、近代自由主義を理論的支柱とし、男女平等は法的手段や社会改革を通して実現可能であり、男性全体との闘争を主張しないフェミニズムの一形態である。元祖フェミニズムであり、自分たちも法的な市民社会の一員として、男性と同等の財産権、私的所有権、女性参政権要求運動から産まれた。以後も公的領域における法的男女平等要求運動・機会平等要求運動を行った。後発のフェミニズムは、リベラルフェミニズムを甘いと批判し、男性という性そのもの・慣習や意識といった私的領域・資主義・結婚制度、ポルノや売春の存在にまで批判領域を広げた[1][2][3][4][5]。 概要[編集] リベラルフェミニズムの起源は、1960年代の性革命やヒッピー・ムーブメント、ベトナム反戦運動などにある。リベラルフェミニズムは、(差異派フェミニズムとは異なり) 男性との同一性の

    リベラル・フェミニズム - Wikipedia
    florentine
    florentine 2010/06/04
    「リベラル・フェミニズムは、政治を個人主義的な観点から理解し、「男」と「女」という利害集団の間の闘争だとは見ない。」
  • エクイティ・フェミニズム - Wikipedia

    エクイティ・フェミニズムとは法律上の平等を目指すイデオロギーである。 『Who Stole Feminism』においてジェンダー・フェミニズムに対立して用いられた。 社会的な性役割等を批判するジェンダー・フェミニズムと区別するため使われた。ホフ・ソマーズは、ジェンダー・フェミニズムは男性中心主義の反対の女性中心主義であると考え、特に政治教育における同権を主な目標とする「第一波」のフェミニズムには、ほとんどのアメリカ女性が基的には賛成している[1]と主張する。ホフ・ソマーズは、自分の見解が学界やフェミニスト運動一般の主流でないことは認識しているが、アメリカの一般女性の間では主流であると考えている[1]。 関連項目[編集] リベラルフェミニズム 参考文献[編集] ^ a b Sommers, Christina Hoff (1995), Who stole feminism? : how

    florentine
    florentine 2010/06/04
    「ホフ・ソマーズは、自分の見解が学界やフェミニスト運動一般の主流でないことは認識しているが、アメリカの一般女性の間では主流であると考えている」
  • ジェンダー・フェミニズム - Wikipedia

    この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2018年10月) 正確性に疑問が呈されています。(2018年10月) 出典検索?: "ジェンダー・フェミニズム" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL この記事は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、議論中です。そのため、中立的でない偏った観点から記事が構成されているおそれがあり、場合によっては記事の修正が必要です。議論はノートを参照してください。(2018年10月) ジェンダー・フェミニズム (Gender feminism) というのは、クリスティーナ・ホフ・ソマーズが、著書 "Who Stole Feminism" (S

    florentine
    florentine 2010/06/04
    「ホフ・ソマーズは、この用語を、現代の性役割を批判し、全廃することを望むたぐいのフェミニズムを説明するために使っており」
  • バックラッシュ - Wikipedia

    バックラッシュ (backlash) 語句[編集] 英語で「反動」や「揺り戻し」を意味する語句。 バックラッシュ (社会学) - 人種やジェンダーなどの社会的弱者に対する平等の推進や地位向上などに対して反発する動き。 バックラッシュ (機械) - 機械などにおけるねじ、歯車の隙間。 投げ釣りの際に竿のリールから出ていく糸の速度がリールの回転速度より落ち、緩んだ糸が絡んでしまうこと。リール (釣具)#バックラッシュを参照。 固有名称[編集] バックラッシュ (1996年の映画) - アメリカ映画。主演はビリー・ゼイン。 WWE・バックラッシュ - アメリカのプロレス団体WWEの主催するプロレス興行。 このページは曖昧さ回避のためのページです。一つの語句が複数の意味・職能を有する場合の水先案内のために、異なる用法を一覧にしてあります。お探しの用語に一番近い記事を選んで下さい。このページへリンク

    florentine
    florentine 2010/06/04
    「「完全なる平等を女性が達成したことによって起こるのではなく、フェミニズムが勝つかもしれないという危惧から発生している」と指摘」「「ジェンダー研究」のことをバックラッシュだとみなす考えがある」難しい~
  • 書かれなかったジェンダー論:セクハラ、フェミニズム、男性学、ウーマン・リブ

    論文 1997年頃(未発表) 書かれなかったジェンダー論のための前書き 森岡正博 私がフェミニズムに出会ったのは、一九八〇年代のはじめのころだ。 しかし、私がフェミニズムというものの真意を知ることになるのは、もっとあとのことである。親しい人々と傷つけ合いを繰り返すなかで、「女であるというだけで生きにくさをかかえている人たちがいる」ことを思い知らされた。そのとき、はじめて、私はフェミニズムというものが、なにを言おうとしているのかを理解したのだった。 そして私は、同時に、「私が男であるとはどういうことか」という重苦しい問いを突きつけられたのだ。私が男として生まれ、男として成長し、男としていまここに生存していることそれ自体が、女として生まれ、女として成長し、女としていまそこに存在しているあなたを苦しめているのではないか。私は加害者の意識にめざめた。男であることをやめたくなった。 しかしながら、そ

    florentine
    florentine 2010/05/27
    「これを書きながら、私はみずからの人生にいまここで決着を付けていくのである」