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芥川龍之介に関するflorentineのブックマーク (28)

  • 東京新聞:芥川龍之介の主治医の日記公開へ 近代文学館が今秋:話題のニュース(TOKYO Web)

  • 芥川龍之介 舞踏会

    一 明治十九年十一月三日の夜であつた。当時十七歳だつた――家(け)の令嬢明子(あきこ)は、頭の禿げた父親と一しよに、今夜の舞踏会が催さるべき鹿鳴館(ろくめいくあん)の階段を上つて行つた。明(あかる)い瓦斯(ガス)の光に照らされた、幅の広い階段の両側には、殆(ほとんど)人工に近い大輪の菊の花が、三重の籬(まがき)を造つてゐた。菊は一番奥のがうす紅(べに)、中程のが濃い黄色、一番前のがまつ白な花びらを流蘇(ふさ)の如く乱してゐるのであつた。さうしてその菊の籬の尽きるあたり、階段の上の舞踏室からは、もう陽気な管絃楽の音が、抑へ難い幸福の吐息のやうに、休みなく溢れて来るのであつた。 明子は夙(つと)に仏蘭西(フランス)語と舞踏との教育を受けてゐた。が、正式の舞踏会に臨むのは、今夜がまだ生まれて始めてであつた。だから彼女は馬車の中でも、折々話しかける父親に、上(うは)の空の返事ばかり与へてゐた。それ

  • 引用 芥川龍之介とモーパッサン

    Citations de Akutagawa sur Maupassant 解説 芥川龍之介の文章を読んでいるとモーパッサンの名前が度々出て来る。そこでその箇所を引用として並べてみた次第である。 こうして見てみると、実際のところは芥川は正面からモーパッサンについて論じている訳ではないことが分かる。多くは名前を出すだけで、むしろ論じるのを避けているようにさえ思えるほどだ。その点、「敬服しても嫌いだった」の言葉は端的に作家の心情を語っている。(ちなみに、芥川が作品名を挙げている「ラルティスト」 L'Artisite は、英訳短編集に含まれていた偽作品。) そして確かに、芥川の創作作品の中にモーパッサンの影響はほとんど見られないと言ってよいだろう。 ただそれでも、ともに短編小説に優れた技量を発揮した両作家には、どこか共通するものがあるようにも思われるのである。 「モーパッサンは氷に似ている。もっ

    引用 芥川龍之介とモーパッサン
  • 芥川龍之介 恒藤恭氏

  • Amazon.co.jp: 長篇小説 芥川龍之介 (講談社文芸文庫): 小島政二郎: 本

    florentine
    florentine 2010/11/21
    これは読む!
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    週報 2024/04/28 川はただ流れている 4/20(土) 初期値依存性 さいきん土曜日は寝てばかり。平日で何か消耗しているらしい。やったことと言えば庭いじりと読書くらい。 ベランダの大改造をした。 サンドイッチ 一年前に引っ越してからこんな配置だったのだけど、さいきん鉢を増やしたら洗濯担当大臣の氏…

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    florentine
    florentine 2010/11/21
    これは凄く身にしみる……。読みたい本。
  • 芥川龍之介 『上海游記・江南游記』 - 蟹亭奇譚

    大正7年の谷崎潤一郎に続いて、大正10(1921)年3〜7月、芥川龍之介は大阪毎日新聞の特派員として、中国各地を旅行した。『上海游記・江南游記』 は芥川が帰国後に執筆、新聞に連載した紀行文を中心にまとめたである。 上海の日人倶楽部に、招待を受けた事がある。(中略) ――卓子(テエブル)を囲んだ奥さん達は、私が予想していたよりも、皆温良貞淑そうだった。私はそう云う奥さん達と、小説や戯曲の話をした。すると或奥さんが、こう私に話しかけた。 「今月中央公論に御出しになった『鴉』と云う小説は、大へん面白うございました。」 「いえ、あれは悪作です。」 私は謙遜な返事をしながら、「鴉」の作者宇野浩二に、この問答を聞かせてやりたいと思った。 芥川龍之介 『上海游記』 十九 日人 上海に到着早々、腹膜炎を患い3週間も入院したようだが、その後の上海では俄然飛ばしている。上に引いたように、読者へのサービス

    芥川龍之介 『上海游記・江南游記』 - 蟹亭奇譚
    florentine
    florentine 2010/10/29
    わたしは芥川の小説よりもエッセイなんかのほうがずっと好みなので(「大川の水」とか大好き!)、これは期待大ですね☆
  • Amazon.co.jp: 小説の深層をめぐる旅: プルーストと芥川龍之介: 吉田城 (著), 松澤和宏 (編集): 本

  • 芥川龍之介 『邪宗門』 - 蟹亭奇譚

    『邪宗門』 が収録されている新潮文庫版 『羅生門・鼻』 の巻末注には、『今昔物語』 や 『宇治拾遺物語』 などの元ネタが記されているが、反面、聖書からの引用・転用が全く書かれていないので、少しだけ元ネタ探しをやってみることにしたい。 まずは十文字の護符を提げた摩利信乃法師が加茂川べりで奇怪な儀式を行う場面。 そう云う勢いでございますから、日が経(ふ)るに従って、信者になる老若男女も、追々数を増して参りましたが、そのまた信者になりますには、何でも水で頭(かしら)を濡(ぬら)すと云う、灌頂(かんちょう)めいた式があって、それを一度すまさない中は、例の天上皇帝に帰依(きえ)した明りが立ち兼(か)ねるのだそうでございます。 芥川龍之介 『邪宗門』 十二 これはわかりやすい。洗礼者ヨハネである。 洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼(バプテスマ)を宣べ伝えた。ユダヤの

    芥川龍之介 『邪宗門』 - 蟹亭奇譚
    florentine
    florentine 2010/09/22
    『藪の中』もそうだけど、芥川……
  • 芥川龍之介 『羅生門』 - 蟹亭奇譚

    『羅生門』 とはどのような小説か? と聞かれたら、あなたはどう答えるだろうか。 失業した下人が、死人の髪の毛を抜いている老婆に出会い、自らもまた老婆の着物を盗む話。 ――と答える人がほとんどではないだろうか。なるほど、ストーリーはそのとおりだ。そして、それだけなのである。主人公の下人が盗みを働くまでの心境が書かれているけれども、「饑死をするか盗人になるか」 という極端な選択は短絡的すぎるし、読者にとっては何の驚きも教訓もなく、正直どうでもいい話なのだ。 だが、ここで下人という人物がどんな風に描かれているか、もう一度読み返してみることにしたい。 ※強調部は引用者による。 下人は七段ある石段の一番上の段に、洗いざらした紺の襖(あお)の尻を据えて、右の頬に出来た、大きな面皰(にきび)を気にしながら、ぼんやり、雨のふるのを眺めていた。 それから、何分かの後である。羅生門の楼の上へ出る、幅の広い梯子

    芥川龍之介 『羅生門』 - 蟹亭奇譚
    florentine
    florentine 2010/09/19
    面白い。疱瘡とか、ああいう伝染病的なものと関係ある描写かと勝手に思ってたけど、「不快感」か。いかにも現代小説的。神経質なひとだからなあ。
  • 芥川龍之介の青春 : 畑に家を建てるまで

    中学時代に一番心惹かれていた作家は芥川龍之介だったが、その割に彼の作品を読んでいなかった。というのは、家にある彼のは戦前の改造社版「現代日文学全集」中の芥川龍之介集一冊だけだったし、学校の図書室にある青い布表紙の芥川龍之介全集も、その大半が紛失していて、書架にはほんの僅かしか残っていなかったからだ。 その代わり、利用可能な芥川のは全部読んだ。当に、隅々まで読んだのである。図書室に残っていた芥川全集の書簡集も、その全部を読み通した。 書簡集を読み進んでいくうちに、身体の不調を友人に訴える手紙が増え、そのなかに「屁をしたら、糞が出た」という一節があった。痛ましいと思った。彼が自殺を選んだのには、極点に達した体調不良という理由もあるに違いないと思った。 あんなに芥川を愛していたのに、旧制中学校を卒業するともう彼のは、全く読まなくなった。戦後になって、筑摩書房版「芥川龍之介全集」を購入し

  • 芥川龍之介 『歯車』 - 蟹亭奇譚

    ……僕はそこを歩いているうちにふと松林を思い出した。のみならず僕の視野のうちに妙なものを見つけ出した。妙なものを?――と云うのは絶えずまわっている半透明の歯車だった。僕はこう云う経験を前にも何度か持ち合わせていた。歯車は次第に数を殖やし、半ば僕の視野を塞いでしまう、が、それも長いことではない、暫(しば)らくの後には消え失せる代りに今度は頭痛を感じはじめる、――それはいつも同じことだった。…… 芥川龍之介 『歯車』 一 レエン・コオト 『歯車』 は昭和2年、芥川の死後に発表された小説。一から六までの各章の末尾に、昭和2年3〜4月の日付が記されているから、その時期に執筆されたのだろう。 以前、この作品を読んだときは、精神を病んだ主人公 《僕》 の心象が描かれているだけで、何が何だかさっぱりわからなかった。しかし先日、感想を書いた 『蜃気楼』 を読み返して、ようやく気付いたことがあった。『蜃気楼

    芥川龍之介 『歯車』 - 蟹亭奇譚
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    週報 2024/04/28 川はただ流れている 4/20(土) 初期値依存性 さいきん土曜日は寝てばかり。平日で何か消耗しているらしい。やったことと言えば庭いじりと読書くらい。 ベランダの大改造をした。 サンドイッチ 一年前に引っ越してからこんな配置だったのだけど、さいきん鉢を増やしたら洗濯担当大臣の氏…

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    florentine
    florentine 2009/11/25
    「芥川のスタンスとすれば、「十七音」という形式にこだわりつつも、それとは別に「調べ」のもつ豊饒さ、あるいは自由奔放さを擁護した。」/お疲れ様です!次は春ですね☆(←気が早いゾw)
  • isozakiaiの呟き置き場(旧:愛のカラクリ、AI日記) 潤一郎ルネサンス

    中央公論社の「潤一郎ラビリンス」の洒落です。ハイ。 ついでに、わたしはこの「ラビリンス」と「ジュンイチロウ」のもつ「ン」の重なりが気持ちよい。 さらには「迷宮」の語の妖しい魅力と、それが小説の「構造的美観(建築的美観)」というものに執着した谷崎を天才ダイダロスに喩えるようで、そしてまたそこに彷徨うミノタウロスの生死の悲劇的美しさをも思わせて、とてもとっても大好きなのです(実は、タニザキこのシリーズでは読んでないのだ。いつか買うぞ!) さて。 あの大タニザキに「俺おま」を感じてやまない今日この頃、 みなさま、いかがおすごしでしょうか? (って、わたしってば、なにスットボケようとしてるんですか!?) なにを言いたいかと申しますと、 あまりにも、あまりにも、 谷崎の「饒舌録」と「藝術一家言」が面白いので、 「みんな、読んで~~~~~~~っ!!」 ってお願いしたい、ただそれだけです。 ええ、ほんと

  • 芥川龍之介 - Wikipedia

    芥川 龍之介(あくたがわ りゅうのすけ、1892年〈明治25年〉3月1日 - 1927年〈昭和2年〉7月24日)は、日小説家。号は澄江堂主人(ちょうこうどうしゅじん)、俳号は我鬼(がき)。東京出身。『羅生門』、『鼻』、『地獄変』、『歯車』などで知られる。 生涯[編集] 東京市京橋区入船町8丁目(現・東京都中央区明石町)に牛乳製造販売業を営む新原敏三、フクの長男として生まれる[1]。出生時刻については資料がないため不明である。 戸籍上の正しい名前は「龍之介」であるが、養家である芥川家や府立三中、一高、東京大学関係の名簿類では「龍之助」になっている。芥川自身は「龍之助」の表記を嫌った。姉が2人いたが、長姉は、龍之介が生まれる1年前に6歳で病死している。 生後7か月ごろに母フクが精神に異常をきたしたため[* 1]、東京市所区小泉町(現・東京都墨田区両国)にある母の実家の芥川家に預けられ、伯

    芥川龍之介 - Wikipedia
  • 芥川龍之介 続文芸的な、余りに文芸的な

    一 「死者生者」 「文章倶楽部」が大正時代の作品中、諸家の記憶に残つたものを尋ねた時、僕も返事をしようと思つてゐるうちについその機会を失つてしまつた。僕の記憶に残つてゐるものはまづ正宗白鳥氏の「死者生者(ししやせいしや)」である。これは僕の「芋粥」と同じ月に発表された為、特に深い印象を残した。「芋粥」は「死者生者」ほど完成してゐない。唯幾分か新しかつただけである。が、「死者生者」は不評判だつた。「芋粥」は――「芋粥」の不評判だつたのは吹聴(ふいちやう)せずとも善い。「読後感とでも云ふのかな。さう云ふものの深い短篇だね。」――僕は当時久米正雄君の「死者生者」を読んだ後、かう言つたことを覚えてゐる。が、「文章倶楽部」の問に応じた諸家は誰も「死者生者」を挙げてゐなかつたらしい。しかも「芋粥」は幸か不幸か諸家の答への中にはいつてゐる。 この事実の証明する通り、世人は新らしいものに注目し易い。従つて

  • 芥川龍之介 文芸的な、余りに文芸的な

    一 「話」らしい話のない小説 僕は「話」らしい話のない小説を最上のものとは思つてゐない。従つて「話」らしい話のない小説ばかり書けとも言はない。第一僕の小説も大抵は「話」を持つてゐる。デツサンのない画は成り立たない。それと丁度同じやうに小説は「話」の上に立つものである。(僕の「話」と云ふ意味は単に「物語」と云ふ意味ではない。)若(も)し厳密に云ふとすれば、全然「話」のない所には如何(いか)なる小説も成り立たないであらう。従つて僕は「話」のある小説にも勿論尊敬を表するものである。「ダフニとクロオと」の物語以来、あらゆる小説或は叙事詩が「話」の上に立つてゐる以上、誰か「話」のある小説に敬意を表せずにゐられるであらうか? 「マダム・ボヴアリイ」も「話」を持つてゐる。「戦争と平和」も「話」を持つてゐる。「赤と黒と」も「話」を持つてゐる。…… しかし或小説の価値を定めるものは決して「話」の長短ではない

    florentine
    florentine 2009/10/14
    大量のタグをつけたくなるが、コレだけ/↑え!? そ、そ、それは……なんともはや……。教えてくださってありがとうございます。そうかあ、そうなのかあああ……
  • 文芸的な、余りに文芸的な - Wikipedia

    『文芸的な、余りに文芸的な』(ぶんげいてきな、あまりにぶんげいてきな)は、芥川龍之介が雑誌『改造』1927年(昭和2年)4月号から8月号(7月号は休載)に連載した文学評論。同時代の文豪谷崎潤一郎との「小説の筋の芸術性」をめぐる論争が特に注目された。 概略[編集] この芥川対谷崎論争のそもそもの発端は、1927年(昭和2年)2月に催された『新潮』座談会における芥川の発言である。この座談会で、芥川は谷崎の作品「日に於けるクリップン事件」その他を批評して「話の筋というものが芸術的なものかどうか、非常に疑問だ」、「筋の面白さが作品そのものの芸術的価値を強めるということはない」などの発言をした。 するとこれを読んだ谷崎が反論、当時『改造』誌上に連載していた「饒舌録」の第二回(3月号)に「筋の面白さを除外するのは、小説という形式がもつ特権を捨ててしまふことである」と斬り返した。これを受け、芥川は同じ

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    週報 2024/04/28 川はただ流れている 4/20(土) 初期値依存性 さいきん土曜日は寝てばかり。平日で何か消耗しているらしい。やったことと言えば庭いじりと読書くらい。 ベランダの大改造をした。 サンドイッチ 一年前に引っ越してからこんな配置だったのだけど、さいきん鉢を増やしたら洗濯担当大臣の氏…

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    florentine
    florentine 2009/10/14
    力の篭った良記事ありがとうございます!/「芥川龍之介は詩人である」ですなあ。四半世紀ぶりにまとめて読んで、彼の「不安」は「小説家」としての力量への懼れであったかと思いました。僭越極まりないですが……
  • 島崎藤村 『新生』 を巡る批評と個人的な感想 - 蟹亭奇譚

    芥川龍之介の遺作、『或る阿呆の一生』(昭和2年)に以下の一節がある。 殊に「新生」に至っては、――彼は「新生」の主人公ほど老獪な偽善者に出会ったことはなかった。 芥川龍之介 『或る阿呆の一生』 四十六 嘘 同年、島崎藤村は芥川の追悼文を著し、上の箇所を引用しながら、次のごとく述べている。 ……ここに引いた『新生』とは私の『新生』であるらしく思われる。私はこれを読んで、あの作の主人公がそんな風に芥川君の眼に映ったかと思った。 知己は逢いがたい。『ある阿呆の一生』を読んで私の胸に残ることは、私があの『新生』で書こうとしたことも、その自分の意図も、おそらく芥川君には読んでもらえなかったろうということである。私の『新生』は最早十年も前の作ではあるが、芥川君ほどの同時代の作者の眼にも無用の著作としか映らなかったであろうかと思う。しかし私がここで何を言って見たところで、芥川君は最早答えることのない人だ

    島崎藤村 『新生』 を巡る批評と個人的な感想 - 蟹亭奇譚
    florentine
    florentine 2009/10/08
    「だが、小説 『新生』 は決して古びることがない。現在、絶版状態のようだが、もっと現代人に読まれるべき作品であると思う」そう思いました。ちょっと先になるかもしれませんが、必ず読みます!