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小松左京に関するflorentineのブックマーク (14)

  • 小松左京さん遺作も完結? - AI研究に作品データ提供 | マイナビニュース

    小松左京さん SF作家、小松左京さん(1931~2011年)の著作権管理事務所「小松左京ライブラリ」(神戸市)は26日、人工知能(AI)の研究グループに全作品のテキストデータを提供したと発表した。難しいとされる人工知能による長編小説執筆の実現に向け、分析用の資料として活用してもらう。  同ライブラリを運営する小松さんの遺族は、未完の遺作「虚無回廊」を人工知能が完結させることに期待を寄せている。  提供を受けたのは、人工知能に短編小説を創作させる研究を進めてきた、公立はこだて未来大(北海道函館市)の松原仁教授らのグループ。 記事は「共同通信社」から提供を受けております。 著作権は提供各社に帰属します。

    小松左京さん遺作も完結? - AI研究に作品データ提供 | マイナビニュース
  • 小松左京ライブラリー

    過去リポート再掲載 「小松左京アート展」開催中~2018年1月28日(日)まで・銀座スパンアートギャラリーにて~ *企画展は終了しています。 【 小松左京アート展 ―小松左京遺稿画とトリビュートアート―】 漫画家デビュー70周年を記念して、漫画家小松左京をテーマにした初の企画 (2018年1月13日(土)~…

  • 小松左京「小松左京の大震災'95  この私たちの体験を風化させないために 」 - 読書日記

    SFファン失格。 自分は「SFファン」を自称している。小学校の高学年からSFを読み始め、中学、高校、大学と、人生の最も感じやすい(?)時期をSFを読みながら過ごした。そのせいで、自分の人格形成にSFが深く関わっていることは間違いない、と思っている。またSFファンであることに密かにプライドを持って、今日まで生きて来た。しかし、最近、自分がSFファンの名に値しないと思うような事件があったことを告白したい。それは今年7月に亡くなったSF作家、小松左京についてのことである。NHKの「クローズアップ現代」という番組で「想像力が未来をひらく 小松左京からのメッセージ」という放送があり、それを見た家人から、小松左京の晩年のことを教えられ、ショックを受けた。十代から二十代の頃、あれほど夢中になって読んだSF作家が、最後の二十年をどう生きたかを、自分はほとんど知らなかった。しかもSFファンでもない家人に、そ

  • asahi.com(朝日新聞社):小松左京さんらしくお別れ 11月に宇宙へ送り出す会 - 社会

    印刷 故・小松左京さん  「日沈没」などで知られるSF作家で、今年7月に80歳で死去した小松左京さんのお別れ会「小松左京を宇宙へ送り出す会」が11月29日、東京都千代田区のホテルニューオータニで開かれる。同じSF作家の筒井康隆さん、漫画家の松零士さん、宇宙飛行士の毛利衛さんらが呼びかけ人に名を連ねた。  事務局によると、明るいことを好んだ小松さんをしのび、友人たちで「宇宙へ送り出す」企画を立案。映画「日沈没」のリメーク版を手がけた樋口真嗣監督がコンピューター・グラフィックス(CG)で「小松ロケット」を制作し、親交のあった人々の写真などを取り込んだ映像を流す。  事務局から案内状を送られた約300人が参加し、一般の参列はできない。事務局は来年の一周忌の際、小松さんの出身地・大阪でのお別れ会開催を検討している。 関連リンク小松左京さんが死去 「日沈没」「復活の日」(7/28)

  • 『果てしなき流れの果てに』を予約した

    昨日、この記事を読んだとき、突然目はある作品に止まった。 ■富野由悠季没企画、没監督・演出作品一覧 小松左京の『果てしなき流れの果てに』。 20世紀末、かつて角川春樹は富野由悠季監督とまだマブダチだった頃、春樹は富野監督に『果てしなき流れの果てに』をアニメ映画として撮らせる企画を進んだが、結局21世紀に入ってまもなく、ハルキは入獄したので、いつの間にか朝露のように消えていった。こりゃ角川春樹の憂ならぬ富野由悠季の憂だ。 春樹のうそつきに憤慨している私だが、ここで恥をしのんでここで告白すると、小松左京は『日沈没』、『見知らぬ明日』、『さよならジュピター』、『首都消失』しか読んだことないんだ。『果てしなき流れの果てに』ってwiki程度の知識しかないんだ。 誤解を恐れず言っておくと、『果てしなき流れの果てに』は小松氏の最高傑作かもしれないという評価も承知しているが、私としてはこの富野監督の

    『果てしなき流れの果てに』を予約した
  • 小松左京 その2【全4回】 文学と科学を一体化し新しい科学のイメージを開く(1) | 投資・経済・ビジネスの東洋経済オンライン

    僕は還暦を迎えたパーティの席で、「これからは文学原論を究めるために作家に専念する」とあいさつしました。それまで引き受けていた博覧会のプロデューサーや諸々の委員、社長業などからすべて自由になると決めたのです。  実はその40年前、プロの作家としてデビューする前の同人誌で、「文学の科学を確立しなければならない」と宣言していました。小説家の高橋和巳らと一緒に作った同人誌です。当時から文学の質を定義づける必要があると思っていたのです。  しかし40年間作家をやってきても「文学とは何か」を定義づけるまでに至っていませんでした。  先日のバンクーバー五輪のフィギュアスケートでは、浅田真央さんがキム・ヨナさんに負けました。僕にはその理由がよくわからなかった。真央さんのほうが人間として華があると感じた。「華」というあいまいなものに対してフィギュアスケートはきちんと評価する基準を持っているものと思っていま

  • ●小松左京さん ありがとう● | SACニュースページ | 宇宙作家クラブ

    ●小松左京さん ありがとう● 2011年7月26日、小松左京さんが肺炎のため、ご逝去されました。謹んで哀悼の意を表するとともに、お世話になった小松左京さんへのお礼のことばを宇宙作家クラブ会員よりお送りいたします。 ●お別れのことば(代表:小川一水) 小松左京先生と初めてお会いしたのは、今から十数年前、東京九段にある小松左京事務所、イオでのことだったと思う。宇宙作家クラブに入ったことや、ファンクラブにあたる小松左京研究会に参加したおかげで、ネットを介してご縁ができて、対面にこぎつけた。事務所はビルにあって、秘書の方に案内していただいた。イオの応接室には、各社から繰り返し版を重ねられてきた小松先生の御著書が棚一分置いてあり、その数に圧倒された。 小松先生は、秘書の方を同席させただけで、間に編集者も他の作家も誰も挟まずに、差し向かいで三十分話してくださった。その内容など覚えていようはずがない

  • 【小松左京さん死去】「マルチ人間」の元祖 東日本大震災、日本の復興信じ… - MSN産経ニュース

    異名は「ブルドーザー」。26日、死去した作家の小松左京さんは、かつて日のSFの世界で、こう形容された。故星新一さんが、けもの道を開き、小松さんが整え、その上を筒井康隆さんがスポーツカーを駆って走ったといわれたからだ。スケールの大きい活動を続けてきた小松さんの訃報は、関係者やファンに衝撃を与えた。 SF作家、イベントプロデューサー、文明評論家、映画の総監督、大学教授…と「マルチ人間」の元祖だった。「“お祭り騒ぎ”のかげにこの人あり」といわれ、昭和45年の大阪万博ではサブ・テーマ委員、56年の神戸ポートピアはテーマ委員、平成2年の大阪・花の万博では総合プロデューサーを務めた。 昭和48年に「日沈没」で、高速道路が倒れて車が転落すると書いて、専門家から「ありえない」と非難されたが、阪神大震災では現実になった。「復活の日」ではウイルス、「虚無回廊」ではコンピューター理論と宇宙論を提示するなどテ

  • 偽文士日碌 二〇一一年 七月三十日(土)

    一昨日上京したのだが、新幹線に乗っている間は小松左京の訃報を まったく知らず、夜の八時過ぎ、原宿のわが家に着くとNHKの女性 記者が家の前で待っていたので驚く。ここで初めて小松さんの死を知 って大ショック。記者はわが家でコメントを取って帰ったものの、そ れが今日NHKの「かぶん」(科学文化部の意味)というブログに出 ていて、そのいい加減さに驚く。改めてカメラでの取材をという申し 込みを断ったおれが悪いのでもあるのだが。 と、いうわけで、以後取材申し込みが電話やメールで殺到。みんな おれを捜しまわっていたらしい。結局はほとんど断り、朝日新聞のみ 三枚を執筆し、一日送稿、二日に掲載という慌ただしい段取りとなっ た。「文學界」も依頼してきたが、こちらは近近、短篇を渡すからと いうことで勘弁していただく。「オール讀物」には十枚の短篇「つば くろ会からまいりました」を送り、これは十月号の掲載となる。

    偽文士日碌 二〇一一年 七月三十日(土)
  • 小松左京さん死去:松本零士さんインタビュー 全文掲載 | NHK「かぶん」ブログ:NHK

    銀河鉄道999や宇宙海賊キャプテン ハーロックなどで知られるSFマンガの大御所、松零士さんは小松左京さんと古くから親交があり、訃報に接し「きょうほど悲しい日はなく、無限大の寂しさを感じます」と語りました。 松零士さんのインタビュー、全文を掲載します。 松零士さん:まず驚いたのと、何しろ、我々の少年期青年期を励ましてくれた戦後の偉大な創作者ですからやっぱりショックでしたね。やっぱり無限大の寂しさを感じます。お亡くなりになったと・・。 私は、小学校から中学校の時に通学路で買った小松さんの最初の印刷物は漫画なんですね。「大地底海」。日沈没の原型みたいな話ですね。そういったはそのまま持っていますね。ですから私らの青春というか、少年期から青年期への駆動力のエネルギーをくださった方なんです。ですから寂しいです。当に心の底から寂しい。 Q松さんが創作活動する中ではどういった存在だったの

  • Amazon.co.jp: 絵の言葉 (講談社学術文庫 74): 小松左京, 高階秀爾: 本

    Amazon.co.jp: 絵の言葉 (講談社学術文庫 74): 小松左京, 高階秀爾: 本
    florentine
    florentine 2011/07/28
    これ、ほんとにほんとに凄く好き。とても、いい本。
  • 作家の小松左京氏が死去 「日本沈没」 - 日本経済新聞

    SFの草分け的存在で、大ベストセラー「日沈没」などで知られる作家の小松左京(こまつ・さきょう、名=実=みのる)氏が26日午後4時36分、肺炎のため大阪府箕面市内の病院で死去した。80歳だった。告別式は近親者のみで行った。大阪府生まれ。京大イタリア文学科卒。雑誌編集、工場の現場監督などの職を経験した後、漫才台作家になる。1964年に「日アパッチ族」を発表、歴史や文明をテーマにスケールの大

    作家の小松左京氏が死去 「日本沈没」 - 日本経済新聞
    florentine
    florentine 2011/07/28
    ああ……。ダンテ(イタリア文学)とSFについて、おはなし、したかったなあ……
  • 小松左京 - Wikipedia

    小松 左京(こまつ さきょう、1931年〈昭和6年〉1月28日[1] - 2011年〈平成23年〉7月26日)は、日小説家。名:小松 実(こまつ みのる)。 『易仙逃里記』(1962年)でデビューして以降、人類と文明の可能性を模索し続けた、SF小説の大家。作品に『日アパッチ族』(1964年)、『果しなき流れの果に』(1966年)、『日沈没』(1975年)など。 概要[編集] 星新一・筒井康隆と共に「SF御三家」と呼ばれ[2]、日SF界を代表するSF作家であり、戦後の日を代表する小説家でもあった[3]。 1970年の日万国博覧会でテーマ館サブ・プロデューサー、1990年の国際花と緑の博覧会の総合プロデューサーとしても知られる。宇宙開発の振興を目的とした啓発活動にも力を入れ、宇宙作家クラブの提唱者で顧問も務める。 広範囲で深い教養を備えた知識人であり、その活動範囲は幅広く膨大な

    小松左京 - Wikipedia
    florentine
    florentine 2011/05/01
    「絵の言葉 対話高階秀爾 エッソ・スタンダード石油広報部 1975 (エナジー対話)のち講談社学術文庫」これは絶品。ちょーおすすめv
  • 2009-04-10 - 死んだ目でダブルピース

    小松左京の『SF魂』を読んでたら、凄いエピソードが書いてあった。 小松左京が京都大学を卒業して、経済誌の編集者をしていた1954年ごろの出来事。 忘れられないのは、創刊一周年記念号の目玉として湯川秀樹博士に取材した時のこと。湯川先生は東洋史の貝塚茂樹先生の弟だから、高橋和巳に頼んで貝塚先生から紹介してもらったのだが、当時は取材に来る新聞記者があまりに不勉強なことにウンザリされていた。その時も、最近はどんなことに関心をお持ちかと僕が聞いたら、「小松君、この歌は知っているか」と仰る。 「月やあらぬ 春や昔の春ならむ わが身ひとつはもとの身にして」 僕が「在原業平ですね」と答えると、「おっ、よく知っているね」と。当時すでに量子力学の観察者問題(極微小の量子力学の世界では、観察すること自体が観察されるものに影響を及ぼしてしまうという問題)が言われ始めていたから、「観察者問題ですか」と尋ねたところ、

    florentine
    florentine 2009/08/26
    さんは高階秀爾さんとの対談でも物凄かった……。凄いひとは、凄い。オム・ド・レトル!
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